蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

海老論

2020-04-09 | ブログ
ブログ村エッセイ。
わははと思いっきり笑わせてくれ、唸るほど笑いを完璧に着地させたり、、、恐るべし大学生。
途中、綾野剛の切ない胸キュン顔が浮かび、BL系への淡い期待感にもワクワクしつつ、、、(そちらへの発展はなかったけれど)
脱帽しながら、代金を入れる箱があれば入れるのに、、、と、ポチ拍手のみ。
さらに、他にも、ウンウンと頷く記事が多い。
完璧な文章、読書家は、書くものも深いなあと。
その中から、ひとつ、お題を頂戴する。

ちなみに、わたしは、バーベキューで焼いた海老を剥ける。
が、プロ級の腕前ではない。
丸ごと焼いた海老、さてどうするか?
「わたし、剥けなぁ〜い」と可愛く弱々しく誰かにすがるとすると、かわいそうな老人枠で、ヘルパーさんが手を差し伸べてくれるかも知れない。
だが、実際は、年齢や身体能力からすると、ヘルパーさんの役を自分がする側。
若い可愛さから、男性の鼻の下だら〜ん特別優待枠からは、はみ出して半世紀?
なので、ちょっと狭間年齢ではある。

あたし、出来なぁ〜い。
と、本人は言っていないし、態度にも出ていないのだが、周りから見ると、どう見ても出来ていない。
2歳児が自分でなんでもやりたがり、かえって後始末が面倒、という図に少し似ている。
本人は、目を白黒させ頰を紅潮させ、必死で頑張っているのだが、結果が外に現れない。
しかも、涼しい顔をしているように見える。
遊びで、かくれんぼをしていて、いつまでも見つからず、皆んな帰ってしまうぐらい、何をするにも遅い。

あの、、、わたし、海老、、、えと、ええと、、、
気がつくと、海老は綺麗に剥かれて、しかもお皿には何も残っていない。
自分で食べたことも忘れている。
が、お皿を見ると食べたようだ。
では、誰が剥いた?
きっと、わたしが自分で剥いたんだろう、と、至って楽天家。
それとも誰か剥いてくれた?と、またまた楽観的。

これは、海老の剥けない女子としては幸せ認定されるのか?
一応、本人は努力している。
が、トロくて、どんくさくて、時間がかかって見てられないので、焼きたて海老、冷めるし、ちゃっちゃっと周りがやってしまう。
可愛がられるというよりは、お荷物が軽いうちに処理しよう、という算段か?
大まかに言えば、幸せなんだろう。
ただし、自分の評価は最低であることを引き換えに。
「かわいこちゃん」イコール 「無能」のレッテル、気にする人もいるが、気にしない人もいる。
有能な場合、爪隠しても、かわいこちゃんには徹しきれない。
無能なのに、かわいこちゃんでない場合は、ちょっと泣けてきそう。

あたし、出来なぁ〜い。

自分でするより、代行してもらうほうが、合理的。
してもらうばかりでなく、自分からも何かしたら?

わたしがすることは、ささやかな自己満足しか生み出さない。
せめて迷惑にならないよう、自分は楽しく生きたい。
そのためにかどうかは知らないが、わたしには少しだけの義務、役割がある。
それだけでいいと、わたしは思っているし、周りも多分(低い評価ながら)納得して(諦めて)いると思う。

頑張り過ぎて迷惑な人や、行い、ってある。
良かれと思ってやったことも、マイナスの結果を招いたりすることがある。
海老を上手に剥けて、剥けない人や剥きたくない人の代わりにに剥いてあげると喜ばれる。
だが、押し付けやら感謝の強要が入ったりすると、距離感が難しい。
基本的には自分の食べる分の海老は剥けるけれど、剥いてもらったり、剥いてあげたり、その場の雰囲気や需要供給、役割に応じて、臨機応変に柔軟に、、、が、いいなあ、、、と、お得意の言うだけ理想論。
自分で剥けるけれど剥いてもらって楽だ、と喜ぶ人もいるし、剥いてあげるのが嬉しい人もいる。
本当に海老が剥けない人がいるとすると、また話は別次元。

苦労してなさそうな人が、本当に苦労していないのか、誰もわからない。
苦労の尺度や基準は、誰の目から見てもはっきりわかる客観的に具体的なことでもないと、個人個人の苦労は周りにはわからない。
わたしの場合は、わかってほしいとは思わない。
何故なら、「苦労してるんです、これでも」なんて言おうものなら、すごい勢いで石があちこちから飛んで来そうだから。
ぐすん、、、

いじけても可愛くないお年頃のわたしは、禅はもうご馳走さん満腹なので、般若心経でも唱えるとしようか。