蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

深夜の恐怖体験

2012-06-19 | 日々のこと

怖い夢を見た。

何年ぶりだろう。
うなされる、とまではいかないけれど、
とりあえず、トイレに行って、寝室の窓を鍵をかけて閉めて、
音を立てずに息を殺して、目をぎゅっと閉じた。

すると、朝になっていた。

朝まで、まんじりともせずに、どこからか雀の鳴く音が聞こえた、
牛乳配達のビンの振れる音が聞こえた、
なんてことはなかったが。


なにが、影響したのかと、あれこれ心当たりを当たってみる。
あれかな? これかな?

超天然のわたしが、怖い夢を見るなんて、ほんとうに、一生に何度もないことなので、
寝汗、とまではいかないにしても、ちょっと、じとっと、あぶら汗のようなものをかいた気配。
(あくまでも、気配)

夢のなかでは、
ぼこぼこに殴られた横顔が(特に鼻のあたりが、骨が折れているほど、ひどく腫れていた)、
アバターに良く似ていた。(というか、CGで、しかも西洋人女性)


これって、実は、ほんとは、怖くないのかも?
だって、自分が出てこないんだから。
夢でエンタメ映画を見ているだけか?
いやはや、こんなオチでは、天然そのものに、なってしまう。

本人は、ほんと、怖かったんです。
そして、思い当たるフシもあって、・・・とても複雑な心境。

年を取ると、こんなこともあるのかと、不思議でもある。

たんなる天然か・・・。(もういいか・・・)

 

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家事ロボット、ぎしぎし、カシャガシャ

2012-06-18 | 暮らし

今朝は、なぜか、意図せず、本人の意思とは関係ないところで、
ふいに早朝5時にスイッチが入り、家事をばったばったと、やっつけた。


これが、また、本人の司令塔から離れたところで、
勝手に自動的に、無感情に、家事ロボットが動くかんじだ。
もし、これが、殺人指令なら、たいへんなことになる。


たまたま自宅のプライベートな範囲内の家事だから、よかったものの。
(といっても、このロボット、殺人や事件は、絶対に起こさない)


上達したかもしれないダンスも、どうも、ダンスロボットの仕業ではないかと思われる。
本人の手を離れたところで、がむしゃらパワーアップしたダンスロボットが、
がんがん制御なしに、ノンストップで動いたようだ。


このロボット、時々、いいこともしてくれるから、助かるときもある。
しかし、若い頃は、火がついたまま、川に飛び込んだり、燃え盛る火の海に身を投げたり、
どこの国のメーカーか知らないが、手に負えない欠陥品だった。


タイマーが内蔵され、セットすると、
家事を定期的に行ってくれたり、母の日や、みんなの誕生日などに、期日が来れば機嫌伺いをしたり、
そういう、オプションも欲しいところだが、安物なので、無理だろう。


天気や温度、湿度によって多少の狂いは生じるようだ。


日ごろのお手入れは、デジカメ充電の隣のコンセントに、ちょこんとつなぐだけ。
でも、動かしたい時に、勝手にどこかに行ってしまっていたり、
いつ消費したのか知らないが、バッテリー消耗が激しくて、使い物にならなかったり、
商品としては、話にならない。


今後、改良されるかも知れないが、
故障しても、部品が古くて、生産をストップされたものがほとんどなので、
今のモノが最後。使いっきり。これっきり。
大事に使わなければならない。


そうそう。
このロボットは、人に使われて動くので、あまり感情がない。
これは、使う方は気を使わなくていいので非常にありがたいのだけれど、
いちいち指令しないと動かないので、気が利かない。
智恵がついてきて進化してほしいところだが、旧式なので、それも無理。


とりあえず、今日、明日、まあ、今年いっぱいぐらいは動いてくれたらいいか、と
さして期待もされず、安易に取り扱われている。


 


 


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 だが、このロボット、仕上げに、朝食&出勤前にブログまでアップしている。
質さえ問わなければ、文筆、校正ロボットとしても、使えるかもしれない。


おひとりさまジェットコースター

2012-06-17 | 趣味

この半年で、わたしは大きく変わった。

昨夜、日記をまとめて記入していてそう感じた。
(日記って、まとめて記入するもの?)
毎日、記入するから「日記」というのだが、わたしの場合、備忘録だ。

努力しても成果につながらす、悶々としていた、この半年。
ようやく光明が見え出した。

仕事や家庭・家事の話なら、他の人が聞いても、「頑張ったですね」と言ってもらえるかも知れない。
が、そうではないので、あまり声を大にして言えないのが辛いところ。

(でも、家族の人生のビッグ・イベントはあったが)


趣味の話を書いても、うんざりされるだろう。
しかし、趣味が不思議と、世界を広げた。
知らない人々と交流を持つこともできた。

去年は、パリ一本槍。
今年は、社交ダンスにかなり集中的に力を入れた。(熱をあげた)

なにがなんでも目標の期間内に上手くなりたい、と、がむしゃらに、闇雲にやっていたが、
それを続けていると、方向性が見え出してきた。
先輩や出会う人々の意見やアドバイスも取り入れた。

最良と思えることは全て取り入れたけれど、結果は見えない。
その期間がけっこう、あった。
どうしてだろう?と思ったが、乗り出した船は、漕ぐしかない。
素晴らしくお上手な方のダンスを見て、落ち込んだ。(前なら、目を輝かせるところだろうけれど)

わたしは、まだまだダメだ。程遠い。向いてない? 頭打ち?

そう思ったけれど、自分が出来る限りのことは続けていた。
出会う人々には、痛烈な言葉を投げかけられ、いつまでもそれは続いた。
少しぐらいは、上向きになっているのでは?と期待したが、評価は、いつも同じで、ダメだった。
「ヘタ」と言われ続けた。

お上手な人に踊ってもらえるようにならないと、上達しない。
ヘタな人といくら踊っても、向上はない。
だが、上手な人は、ヘタなわたしと踊ってくれない。

上手な人に踊ってもらうには、わたしが、上達するしか方法はない。


「あと三年もすると、すごく上達しますよ」とよく言われた。
が、あまりお上手じゃない人に言われても、たいして嬉しくなかった。
(第一、それ、誉め言葉じゃないし)

気づくと、半年が過ぎていた。

とりあえずは、ほんの少し、手ごたえを感じたので、次の段階まで、あと三年の辛抱。
頑張ろうと燃えている。


家事もこれぐらい、頑張れば、家族は大喜びなんだろうけれど。
ああ、料理が特にヘタ。いや、掃除が、飛びぬけて、だめ。
いや、整理整頓がだめ、あれが、だめ、これが、だめ・・・
家事全般が、ひどい。
(昨夜の晩御飯は、とりわけ、ひどかった。
あまりの不味さに、はじめは、材料のせいにしていたが、次第に自分でも、情けなさに腹が立った)

心遣いが、根性が終わっている・・・

完ぺき主義の正反対で長年やっていると、こんないい加減なことになっている。
いや、すべきときには、一度にまとめてするから、大丈夫だ(と、自分では思っているだけで、きっと出来ない)。

喜んだあと、次の瞬間に、即、凹む。反省タイムがやってくる。
これの繰り返し。

バイオリズム。一喜一憂。喜怒哀楽。
自分だけの小さな世界で、浮き沈みしている。
でも、あっぷっぷと溺れることはないようだ。

わたしは、けっこう、スタミナがあって、タフなのだ。
そんな奴が、自己防衛やら自己正当化やらをすると、手に負えない。

 

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恥かきは、慣れっこ

2012-06-16 | ブログ

先日、本屋に平積みされている新書を見た。

「見た」のであって、読んだのではない。

その作家は、新進女流作家で、瑞々しい感性が、ここかしこに現れていて、今、期待の新人だそうな。
そういう、本の帯周辺の作家評価は読んだが、肝心のなかみを読む気になれなかった。

じつは、なかも、ぱらぱらと読んだのだが、いっこうにアタマに入らない。
字面だけが、虚しく、通り過ぎる。

読まなきゃ。
そう思って、読もうとする。
でも、なぜか、集中できない。
イマドキの注目を集める、瑞々しい感性とかいうものを、ぜひ、読んでみたい、
その感性というものは、いったいどういうものなのか、知りたいと思ったのだが。
やはり、立ち読みでは、だめか。
(お金、払え)

でも、わたしは、立ち読みが多い。
(ごくたまには、買うこともあります!→ムキになって言うことでもないが)
だいたい、ぱらぱらとその場で、読んでしまう。
ただし、小説とかは、立ち読みしたことがない。

わたしみたいなロマンのロの字もない人間には、無理のようだ。
そして、脳には活字に対して耐久性がない。
未曾有の一大巨編ともなれば、その文字量だけで、脳が、悲鳴をあげる。

で、無理なことは、無理せず、あまり頑張らないことにした。

「冬のソナタ」に熱を上げていた経験のある、わたしなんだから、
そう、いろんなことに対して評価基準は高くないと思う。
あまり、なにごとにも先入観を持たないかも知れない。

小説は、近代、認められたそうだ。
それまでは、戯曲や詩が主流。
あれこれ、時代とともに、いろいろ、あるんですね・・・

そもそもわたしが、ひとつのものを追究せず、プライドも根性もなく、ぽいぽいとサジを投げ、
へーキでいられるのは、天然キャラの要素が大きい。

 
例えば・・・(また、はずした例えかも知れないが・・・)

先週、遠縁の親戚の仏事に出かけた。
服装は、喪服でなくてもいいとのことだったが、とりあえず黒の上下を着た。
黒いフリルのブラウス。
前身頃は、全面大きなフリルで覆われ、後ろボタンになっている。
ボタンは、すべて、人造パール風。
スカートは、社交ダンスのスカートを流用した。(伸縮性があり、ウエストが平ゴムで着心地がいい)

で、この出で立ちで、電車の車両に乗り込んだ。
田舎方面行きへは、主要駅ごとに、乗換えなくてはいけないのだが、
途中の、田舎と都会の中間あたりの地点で、車内で立っていたわたしは、後ろから肩をとんとん、と叩かれた。
あら、なにかしら?と、純真な瞳をして、次の声を待つ、わたし。

「もしもし、背中のボタン、開いてますよ」

お客さんもさほど多くなく、乗客たちは、十分、その状況を観察できた。

「ボタン、しておきましょうか?」

「あ、ありがとうございます」

そう消え入りそうな声で、わたしは答えたものの、顔に出ていたかどうかは知らないが、顔から火を噴いていた。

自分でも、この服、ステキなチョイスになったかも、
と自己満足して、すました顔して、そこそこ、いいご機嫌だったのだが。

でも、ぼわっと火がついた、唐辛子みたいな辛過ぎる赤っ恥を、なにごともなかったのごとく、
すんなり、平常心に戻れる特技をわたしは、持つ。
天然のなせる業?

田舎で、待つ義母に、電車であった恥かき報告をすると、
「ああ、恥ずかし!!」と、とっさに言われ、なぜか、むっとした。
(本来は、義母の家から5分のところで行われる仏事、2時間もかけて、わたしが顔を出す手間、わかっとんか?
しかも、仏事は、40分ほどで、終わったし)

と、これは、まったくの蛇足でありますが。

その仏事が終わり、やれやれ、と義母の家で着替えたブラウスを、次の日、洗濯するときに、また発見。
このボタン、段違い(掛け違い)になっているではないか。
あの、電車のおばちゃん、ボタンかけてくれるのはいいけど、段違いって、どういうことよ!!

今度は、親切心に対する感謝の気持ちが、
微妙に、自己嫌悪とともに、逆切れ方向に傾きそうだった。
しかし、あの電車のおばちゃんは、わたしに感謝こそされど、怨まれる筋合いは、まったくない。

第一、電車の中から、そのまま、仏事の間じゅう、ずっと、ボタンが掛け違いのまま、
他人さんにも親戚にも見られてるって、
これって、恥を通り越して、もはや恥以外のものに化学変化を起こしている。
しかも、発見は、次の日だし。

人間、余裕がなくなると、笑う余裕もなくなる。
でも、たぶん、顔は、だらしなく、にやついていたに違いない。


と、例を出そうとして、大きく話がそれてしまった。

要するに、わたしは、あんまり恥を恥として受け止めないので、
いともカンタンに負け犬になりさがっても、へらへらしているのは、負け惜しみでもなんでもなく、
元来の生まれつきの、性格のなである。

そこが、いい加減なわけでありまして、追究する、とか、そんなことには向いていないのであります。
そうやって、自分をいつも、逃がしてあげる、自分に対しては、じつに懐の大きな人物なのであります。

何が、言いたいんだかわからなくなってきた。

あ、そうそう。
小説のことだった。

負けて嬉しい花いちもんめ。

で、自分の書く小説は、信じられないほど、ひどい。
けど、電車内でのはずれた背中ボタンと同じで、一瞬は恥ずかしいけれど、即、立ち直れる。

 

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この手の話は、キライだ

2012-06-14 | ブログ

最近、ご近所ブログ回りが、日課となりつつある。
まえも、お気に入りブログを見に行っていたが(引き続き、見に行っている)、少し感覚が違っている。

なんて言えばいいのか、「ご近所ブログ」なるものの登場だ。
これは、わたしにとっては、新しい響き。

実際のリンクとはまた別の・・・微妙にリンクしている、というか、影響を受けているというか、

うーーーん・・・

例えてみると

どこどこのカラダの具合が良くない。
薬やあれこれ、試してみているが、どうも調子が良くないという人がいる。
その人に、「この漢方薬、けっこう効くよ、試してみて。ダメもとで」
と、お互い、あまり期待せず、体験から来るオススメのものをそっと差し出す側と、受け取る側。
(ここは、「そっと」というところが、肝心。
押し付けや、効果をしつこく確認するのはNG。
ましてや、効き目があったからといって、どや顔は厳禁)

そおっと、あとで、様子を見に行く。
あ、どうやらよくなっているみたい。
あるいは、あんまり変化がないみたい。
または、他の人のオススメ方法で、改善されたみたい。

なによ、わたしのあげたあの漢方薬はどうしたの?!ぷんぷん!
なんてことは、まったく感じず、あらま、そうなの。どっちにしても、よかったね。

改善されていないとしても、まあ、様子をみましょう、
みたいなかんじで、
やいやい、わいわい、騒がず、静かに観戦、いや、見守る。


↑この例えは、よくなかった。わかりにくいし。

では、別の例えで。

このごろ、なになにが、流行っているらしい。
だれそれも買った、使った、もらった、捨てた、拾った、なんじゃらかんじゃら。
ご近所で話に花が咲いている。
へえ~、そんなのが流行っているのか・・・
ひとつ、今度、どこやらに見に行ってみよう。
こっそり、ひっそりネタを仕入れ、皆の感想と照らし合わせてみる。
「ねえ、買った? 見た? まだ見てないの? 知らないの? 
はやく見なさいよ! いつ見る? いっしょに行ってあげるわ!!」
ではなく、あくまでの、個人のペースや趣味や都合で、取り入れる。

うううーーんん・・・この例も、わかりにくい・・・。

わかりにくい例ばかり出して、読んだ人は混乱するばかり。
だいいち、自分自身が混乱している。

早い話が、
あまり人の流れに呑み込まれないけれど、でも影響を受け、自分流に取り入れ、フィードバックし、・・・
(あんまり早い話でもないか・・・)
ゆるやかな自由度の高い参加とでもいいますか、でも、とても興味深い、
自分にとって、おもしろい動きだってことだ。

**************************

せっかく、ここまで話をつたないなりに舌足らずで説明してきて、たいへん、遺憾に思うのだが、
突然、別の話がしたくなった。
(すみません)


わたしは、恋愛小説は、ほとんど読んだことはない。
かったるい。
(でも、一時期、「冬のソナタ」の時間帯には、テレビにべったり釘付け。
ものすごく笑ってしまうほど、わたしは超凡人だ。いいように言えば、素直なこころの持ち主ともいえる)

ましてや、不倫ものは、大嫌い。
しかも、素人(女性)の書く不倫ストーリーほど、おもしろくないものはないと、思っている。
深い哲学が潜んでいるならいざ知らず、
次々に登場するつまらん男と、ただただ、ああした、こうした、だらだら、小学生の日記のように。
備忘録か?
しかし、そんなこと、覚えておく必要はあるのか?
むしろ、忘れたほうがいいのでは?

書く人は、なにがおもしろくて書くのか、まったく理解に苦しむ。
これは、個人の好みなので、書く側も、キライだなんて、面と向かって言われる筋合いはない。
キライなら読むな、来るな、近寄るな、ということだ。
おたがいさまだ。
こうやって、隔離大作戦の結果、平和は保たれる。

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どんどんレベルアップした先には

2012-06-13 | 日々のこと

さきほど、ご町内ブログを軽くひとまわり、ぐるっと回ってきて、ちょっと、ひとやすみ。

前に、お邪魔したときには、余裕がなくて読まなかったアップ分(→崇高な透明精神)を、
今日、読んでみたら、けっこう、じわーっときた。
別の某さんの、創作意欲について、書きたいという内なる情熱について、も、然り。

みなさん、ほんとうに上手に書いておられて、
軽快なリズムやテンポに、わたしの心拍数がのっかっていったり、
時には、しっとり、じっくり、ぐぐっときたり。

文体や技量のすばらしさ・・・・・これはこれで、ちょっと、ここに、置いておいて・・・・

訴えたい内容もさることながら、実際の行動報告に、こころ動かされることがある。
アタマで考える、空想したり、妄想したり・・・そういうことではなく、(わたしは、アタマだけで行動しない、ナマケモノ)
ご本人は、あまり人に対してアピールしようとか、なにも意図的に考えていないとしても、
「実際の日々の力強い生活力」みたいなものに、パワーをいただくこともある。

とりあえず、描くテクニックはどうであれ、
たとえ、ゴツゴツしていても、その人の生き方みたいなものに、感動することがある。


想像の世界では、優雅な貴族の生活、たくましい農家や開拓者の生活、哲学者や芸術家の苦悩、
いろいろ、それぞれに、刺激を受ける。
(ちょっと時代が古いのは、
NHKフランス語ラジオ講座で紹介している小説が、19世紀~20世紀初頭のものが多いので。
最近、本屋にも立ち寄っていない、世捨て人)


受けた刺激をどう生かすか・・・
それを考える前に、まず、腹ごしらえを。。。。

コーヒーとお菓子を食べてから、考えよう。

いつも、ああ、あいしい、と、もぐもぐ食べている間に、
それまでのことをすっかり忘れて、時間切れになってしまうのが難点だ。

最近のわたしは、お腹が満たされると、けっこう幸せ気分に浸れるようになった。
お腹の喜び→カラダの喜び→脳の喜び→顔がにんまり→こころの喜び→ひしひし平和感
これは、けっこうな進歩だと、自分では喜んでいる。

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理想を追い詰めると、現実が、ででんとあるって、意外に、ステキだ。
なんか、マヌケだけど。

 


架空の話の、いったいどこが面白い?

2012-06-12 | わたし

昨日、小説の第4話をアップした。
が、5分後に非公開にした。
この、根性なし。

わたしには、小説のセンセイがいる。
その人にも読んでもらおうと、メールした。
そして送信した瞬間、あ、と思った。

送信したものを読み直してみて、主人公の年齢設定を変えようと思った。
で、変えたら、こんどは、微妙な調整が必要になった。
そして、ほんとうにその年齢でいいのか、もっとじっくり考えようと思った。

センセイからのコメントは、次のとおり。
「はやくストーリーを進めようと焦っているかんじがする。
もうすこし、遊びを入れてもいいのでは」

なるほど、急に主人公が年をとったことに関しても、ちょっと不自然だし。
焦っているのは、お見通しのようだ。
しかし、遊びなあ・・・
蝶ブログでは、遊んでばかりで、肝心なことは全然、書かないのに、
いざ、遊べ、と言われると、あれま、遊べない。
両極端。
どうやって、遊ぶんだ?
(わたしの小説の主人公は、クールで、まったくアソビのない、おもしろくない人間キャラ)

昨日、お会いした方(知る人ぞ知る、建築家さん)に、
「その小説、いつ読めそうですか?」と言われてしまった。
「1年ぐらいかかります」
と言っておいたが、
「先生をモデルにした人を小説に登場させます。ぜひ楽しみにしてください」
なんて、いい加減なことを言ってしまった。
口からデマカセばっかり。

あの先生が登場するようなストーリーなんぞ、いまのところ、まったく考えていないのに。
まあ、てきとうに。先は、長いんだし。

いまのところ、3話しかストックがない。が、
さて、重い腰をあげて、そろそろ、つまらん小説、アップめざして取り掛かろうか。

 

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おひさしぶり、あ、はじめまして

2012-06-11 | ブログ

わたしは、どうしても、ブログ村ランキングの数字に振り回される。
じつに、つまらないことだと自分に言い聞かせるのだが。
いっそ、エントリーからはずしてしまう潔さが自分にほしい。


ところで・・・

昨夜から今朝の未明にかけて、夢を見た。
それは、アメリカ中西部にお住みのブロガーさんのところに行く夢だった。
ペットのベッド(ソファ)のある、ガレージ(いまは、きれいに整理されている?)や、窓があるダイニングを見て、
「あら、これ、ブログの写真とおんなじ!!」と、夢のなかのわたしは、感激していた。


一度だけ、ブログのなかで、お顔の小さな写真をお見かけしたことがあり、
その彼女の顔が出てきて、「わー、おひさしぶり(?)  いえ、はじめまして」
と、へんな挨拶をしていた、わたし。


働いておられるレストランにもちょっと、連れて行ってもらったようなかんじ。
ファミリーレストランみたいな、がらんとして、カジュアルなかんじだった。
それとも、あのシーンは、彼女のお宅のダイニングリビングでのことだったかも知れない。
夢なので、あいまいで、ごっちゃになっている。


なにしろ、日本を出て、すぐに着いたので、とても早い到着には、驚いた。(夢のなかで)
「ほんとに、ついさっき、日本の家を出てきたばかりなのよ~」
とかなんとか、言って、旧来のトモダチみたいに、再会(?)を喜んだ。


お写真とともに、日々、更新されるブログって、無意識に影響を受けているのかと思うとなんだか不思議な気がした。


これは、映画を見たあと、その映画の夢を見るのと同じようなかんじだろうか。


お庭や家のパワフルな力仕事、最近は、パンづくり、そしてレストランでの接客業の復活、頑張り屋さんの彼女、
ブログを通して、身近に感じていたようだ。


コメントはそう、度々はしないのだけれど、ちょっと気になるときは声をかけたり、かけられたり、
ブログって、この距離感が、暑苦しくなく、涼しげでいい。


ほかの皆様のブログへのお邪魔も、だれかがおっしゃっていたが、まさに、お宅訪問。
ちょっと、スリッパつっかけて、のぞいてくる、というかんじ。
きょうは、どうも忙しそう・・・とか、元気がないな・・・とか、美味しそうなもの、つくってた・・・とか、
ご町内の巡回パトロールとまではいかないが、ご近所さんのようなかんじ。
「息遣いがわかる」とまでは及ばないが(それじゃあ、隣に寝ているみたいだ)
ちょっと、近くて、ちょっと、遠くて、ちょっと親近感があって、でも個々に、独立していて、
独特の、各々の距離感が、気持ちいい。


なによりも、実際のリアル生活にリンクしていないところが、最大の魅力かも知れない。


 


 


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日曜日には、たっぷりと

2012-06-10 | 日々のこと

今日は、延々、つまらん小説に取り組み、虚しく無駄な時間を費やしている。

下娘に、「できるのは、1年後?」と聞かれ、首を横に振りつつも、暗い表情。
顔を曇らせるわたしだ。
ついでに、足も浮腫ませている。(じっと座って、いつものエコノミー症候群)

「もう、やめたら?」

娘の声。

そうやなあ・・・それも、いいかも・・・。

今日は、ストーリー展開を全編ラストまで考えたので、ぐったりした。
ところが、まあ、一話一話の、面白くないことったら。
盛り上がりゼロ、次編への期待感ゼロ、自己満足度ゼロ。
好きに思いつき放題で書いていたときのほうが、どれだけ楽しいことか。

とりあえず、3話ぐらいは、書きためたものの、読み直しても読み直しても、赤ぺんセンセイ(わたしのこと)は、
どこをどう直したらいいのか、手のつけようがない。(ひどい)

またまたアップは、次週に持ち越すことにした。
そのうち、発酵して、腐って、朽ち果ててしまっても、もう、いい。
面白くないものは、面白くないんだから、仕方ない。

 

小説ではないことなら、書きたいことは、山のようにある。
あれも、これも、それも・・・
ねえねえ、聞いて。
だれも聞いてくれなくても、読んでくれなくても、書いているだけで、もう十分、大満足。

 

あ、ちょっとだけ、「ねえ、聞いて」を書いておこう。

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男性って、ほんとうに、いい加減だ。
女性には、「美しい」と、平気で修飾語をつける。
これは、わたしに言われたことではないのだが。
あるダンス知人のYさんのお話。

彼女のさらっとした報告話の中に、よく登場する。
「『今日のパーティ入場者は、だれそれと、だれそれ、そして、美人のあなた』って、言われたわ」

そうか、美しいのか、Yさんは。
決して、不細工ではない。
美しくないかといえば、美しくなくもない。(奥歯にモノがひっかかっている?)

わたしは、Yさんの美を決して否定していない。
ただ、男性は、美人という言葉を、大バーゲンセールのように、惜しげもなく使う。

まあ、言うほうも、言われるほうも、楽しい気分になれるんなら、潤滑油でいいか。

自分が言われないからって、ひがんでる?

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結論があろうが、なかろうが、読んで面白かろうが、面白なかろうが、
自分さえよければ、いい、って、最高気分。

ということで、しばらく、この数時間は、小説のことは考えないことにしよう。


本日の、ぼやき、無事、終了いたしました。

 

 

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モーパッサンより、クロワッサン

2012-06-08 | わたし

昨日は、わたしのブログのいんちきタイトルに、多くの方が引っかかり、
善良な小市民であるわたしは、こころを痛めている。

わたしは、べつに悪意はありませんので、悪しからず。
多少、ヤキがまわっている可能性は、なきにしもあらず、だが。

今、悩み中の小説、どうにかPart4を書いたのだが、小さい変更をチマチマ重ね、
さあ、そろそろアップしようか・・・と思った矢先、
やっぱりこんな展開、やめよう、と、急にNG、お蔵入りとなった。

あああ、せっかく、ネタづくり1週間、訂正・変更1週間、あわせて2週間かけて書いたのに、残念。
ボツにするということは、また考え直さないといけないということだ。
へんに欲が出ると、効果として、いい結果と、悪い結果が出ることがあって、わたしは後者のようだ。

しょせん、つまらん、薄い小説なのに、ね。

今朝のNHKラジオ・フランス語講座が悪かった。
前に一度聞いた再放送なのだが、モーパッサンの小説をフランス語の原文で紹介し、解説していた。
(まったくの、ちんぷんかんぷんで、テキストは開いたまんま、席を立ち、コーヒー入れて、パンを食べていた)
いま、文豪シリーズで、来週は、スタンダールとか、すごい面々の作品を取り上げている。

なもんで、比べるほうが、ありえない大馬鹿なのだけれど、
あまりの違いに、わなわなと打ち震えているわけでありまして・・・。

そう言いながら、きっと、また等身大の、つまらん、あくびの出る、せこい小説に戻っていることだろう。
それか、小説なんぞ、やめてるか、どっちかだ。

せっかくのブログタイムも、短くなるし、いいことなんてないし。

ただ、エッセーと違って、小説はそうそう書けるものではない。
それがわかっただけでも、まあ、いいか。
どっちにしても自分だけの自己満足の世界、肯定も否定もないわ、
と小さなマイワールドに、今日も浸っている。

 

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