先日、本屋に平積みされている新書を見た。
「見た」のであって、読んだのではない。
その作家は、新進女流作家で、瑞々しい感性が、ここかしこに現れていて、今、期待の新人だそうな。
そういう、本の帯周辺の作家評価は読んだが、肝心のなかみを読む気になれなかった。
じつは、なかも、ぱらぱらと読んだのだが、いっこうにアタマに入らない。
字面だけが、虚しく、通り過ぎる。
読まなきゃ。
そう思って、読もうとする。
でも、なぜか、集中できない。
イマドキの注目を集める、瑞々しい感性とかいうものを、ぜひ、読んでみたい、
その感性というものは、いったいどういうものなのか、知りたいと思ったのだが。
やはり、立ち読みでは、だめか。
(お金、払え)
でも、わたしは、立ち読みが多い。
(ごくたまには、買うこともあります!→ムキになって言うことでもないが)
だいたい、ぱらぱらとその場で、読んでしまう。
ただし、小説とかは、立ち読みしたことがない。
わたしみたいなロマンのロの字もない人間には、無理のようだ。
そして、脳には活字に対して耐久性がない。
未曾有の一大巨編ともなれば、その文字量だけで、脳が、悲鳴をあげる。
で、無理なことは、無理せず、あまり頑張らないことにした。
「冬のソナタ」に熱を上げていた経験のある、わたしなんだから、
そう、いろんなことに対して評価基準は高くないと思う。
あまり、なにごとにも先入観を持たないかも知れない。
小説は、近代、認められたそうだ。
それまでは、戯曲や詩が主流。
あれこれ、時代とともに、いろいろ、あるんですね・・・
そもそもわたしが、ひとつのものを追究せず、プライドも根性もなく、ぽいぽいとサジを投げ、
へーキでいられるのは、天然キャラの要素が大きい。
例えば・・・(また、はずした例えかも知れないが・・・)
先週、遠縁の親戚の仏事に出かけた。
服装は、喪服でなくてもいいとのことだったが、とりあえず黒の上下を着た。
黒いフリルのブラウス。
前身頃は、全面大きなフリルで覆われ、後ろボタンになっている。
ボタンは、すべて、人造パール風。
スカートは、社交ダンスのスカートを流用した。(伸縮性があり、ウエストが平ゴムで着心地がいい)
で、この出で立ちで、電車の車両に乗り込んだ。
田舎方面行きへは、主要駅ごとに、乗換えなくてはいけないのだが、
途中の、田舎と都会の中間あたりの地点で、車内で立っていたわたしは、後ろから肩をとんとん、と叩かれた。
あら、なにかしら?と、純真な瞳をして、次の声を待つ、わたし。
「もしもし、背中のボタン、開いてますよ」
お客さんもさほど多くなく、乗客たちは、十分、その状況を観察できた。
「ボタン、しておきましょうか?」
「あ、ありがとうございます」
そう消え入りそうな声で、わたしは答えたものの、顔に出ていたかどうかは知らないが、顔から火を噴いていた。
自分でも、この服、ステキなチョイスになったかも、
と自己満足して、すました顔して、そこそこ、いいご機嫌だったのだが。
でも、ぼわっと火がついた、唐辛子みたいな辛過ぎる赤っ恥を、なにごともなかったのごとく、
すんなり、平常心に戻れる特技をわたしは、持つ。
天然のなせる業?
田舎で、待つ義母に、電車であった恥かき報告をすると、
「ああ、恥ずかし!!」と、とっさに言われ、なぜか、むっとした。
(本来は、義母の家から5分のところで行われる仏事、2時間もかけて、わたしが顔を出す手間、わかっとんか?
しかも、仏事は、40分ほどで、終わったし)
と、これは、まったくの蛇足でありますが。
その仏事が終わり、やれやれ、と義母の家で着替えたブラウスを、次の日、洗濯するときに、また発見。
このボタン、段違い(掛け違い)になっているではないか。
あの、電車のおばちゃん、ボタンかけてくれるのはいいけど、段違いって、どういうことよ!!
今度は、親切心に対する感謝の気持ちが、
微妙に、自己嫌悪とともに、逆切れ方向に傾きそうだった。
しかし、あの電車のおばちゃんは、わたしに感謝こそされど、怨まれる筋合いは、まったくない。
第一、電車の中から、そのまま、仏事の間じゅう、ずっと、ボタンが掛け違いのまま、
他人さんにも親戚にも見られてるって、
これって、恥を通り越して、もはや恥以外のものに化学変化を起こしている。
しかも、発見は、次の日だし。
人間、余裕がなくなると、笑う余裕もなくなる。
でも、たぶん、顔は、だらしなく、にやついていたに違いない。
と、例を出そうとして、大きく話がそれてしまった。
要するに、わたしは、あんまり恥を恥として受け止めないので、
いともカンタンに負け犬になりさがっても、へらへらしているのは、負け惜しみでもなんでもなく、
元来の生まれつきの、性格のなである。
そこが、いい加減なわけでありまして、追究する、とか、そんなことには向いていないのであります。
そうやって、自分をいつも、逃がしてあげる、自分に対しては、じつに懐の大きな人物なのであります。
何が、言いたいんだかわからなくなってきた。
あ、そうそう。
小説のことだった。
負けて嬉しい花いちもんめ。
で、自分の書く小説は、信じられないほど、ひどい。
けど、電車内でのはずれた背中ボタンと同じで、一瞬は恥ずかしいけれど、即、立ち直れる。