蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

こころの、あっち、こっちらへんに散らばっていること

2012-07-20 | 思い出

「いじめ」に、ついて。

小学生の頃。
うちの息子、問題児から好かれる。
誰も相手にしてくれないような、問題行動を起こす男子がクラスにいて
みんなは、被害を受けたくないから、距離を置いていた。

息子だけは、来るもの拒まずで、
みんなに嫌がられている子とでも、クラスで仲良くしていたようだ。
たぶん、他の生徒は、ほっとしていると思う。
厄介払いみたいなかんじ? 自分が被害を受けなくていいから? 息子に押し付けた?
息子ぐらいしか相手にしてもらえなかった、その男子は、けっこう、息子につきまとっていたんじゃないだろうか。

その男子のお母さんは、可愛いステキなお母さんだった・・・のに、なあ・・・。
あのお母さんと、あの息子さんは、結びつかなかった。
息子さんの行動が少し、変わっているから、悩んでいたかも?
(いまなら、それらしい病名がつくのかも?)
あるいは、息子さんの学校での一面をあまりご存じなかったかも?
深くは知らないけれど。
大騒ぎすることもない、成長の一時期、一過程かも知れないが。

今でも我が息子は、仕事でも、人の嫌がることを、
逃げ遅れて、あるいは、断りきれずに、(とわたしは、感じるが)、引き受けている。
本人は、大して苦痛でもないようだが、わたしの目から見ると、これ幸いと嫌なことを押し付けられているように思える。
世の中、要領のいい人と、分の悪い人が、いる。
息子が、さほど、苦痛に感じていないように見えるところが、問題だ。
本人は、苦痛だけどガマンしているのか、NOと言えないのか、それとも、さほど、苦痛ではないのか。

あんまり人がいいので、(NOと言えない?)
あんなので、社会でやっていけるんだろうか?と心配してくれる高校時代の元同級生もいるそうだ。

先日、東京に一同、集合した時に、
「嫌なことは、嫌だって、はっきり意思表示しなさい。無理しないで、自由に生きろ」
と、上娘に言われていた息子。
本人は、どう思っているのか、そのあたりが、よくわからないけれど、
もう、現在は成人なので、本人に任せて、ほっている。

同じく小学生時代。
下娘の個人面談で担任の先生に、
「○○ちゃんは、クラスの複数の男子に、いじめられているようです」
と言われた。
いじめられても、なにも反応しないので、反応を引き出したいために、もっといじめられているとか。
あの子らしいと思った。反応しないのは、家庭のなかと、おんなじ態度だ。
わたしは、そのままにしていた。(様子・経過観察)

また、個人面談の季節がめぐってきた。(3年間、同じ担任の先生)
「最近、○○ちゃんの様子を見ていると、描いている絵が、明るい色なので、大丈夫だと感じました」
「女子ともお話するように、なりました」
よかった・・・。
絵を描いているのは、家庭での行動と同じだ。

中学の頃。
下娘が、転校したい、という。
朝、学校に行く時に、そう言って出る時期があった。
わたしは、心配し、少しでも選択肢を広げてあげようと、転校先の候補の学校を選び、調べていた。
「○○中学は、どう?
転校するなら、そこぐらいしか、まあ、オススメできるところは思いつかないけど」

下娘の反応は、なし。

あまり、転校したいと言わなくなったので、そっとしていた。

先日、そのことを下娘に聞いたら、
「え? わたし、転校したいなんて、そんなこと、言った? 全然、覚えてないわ」
と。
親のこころ、子知らず。


わたし。

小さい頃、男の子に、よくいじめられた。
近所の悪ガキたち、同じ幼稚園の子、ひとつ年上の同じ小学校の上級生たち、同じクラスの子たち。
これは、けっこう苦痛ではあったが、彼らは、わたしのことが、好きで、子供ならではの、愛情表現だと受け取っている。
(ちょっと、前向きポジティヴ天然すぎるか?)

女子にも、いじめられたことはあるが、これは、嫉妬だと受け止めている。
(ちょっと、前向きポジティヴ天然すぎるか?)


歯に衣、着せなさすぎ

2012-07-19 | 趣味

哲学に関して、なかなか含蓄あるお言葉、コメントをお寄せいただいた。
だが、「未公開希望」となっているので、残念ながら、ここにはご紹介できない。
わたしの、うだうだ偽哲学より、ずっと、キーンとしていて、わかりやすいのに・・・

まあ、ご本人のご希望なので、わたしだけが拝読させていただくことになった。


と、それはそうと・・・
昨日、「あなたのタメだから」系ではあるが、ノックアウト・パンチをくらった。

聞いた瞬間、じわーっと涙が出そうになった。
ひょっとしたら、一筋の涙がこぼれ出ていたかも知れない・・・

それは・・・

趣味の話で申し訳ないが・・・(この言葉が出たとたん、引かれてブログからお帰りの方、続出のことだろう・・・)

ボールルーム・ダンスの、ちょっとした私設・先生である、ダンス歴苦節うん十年(推定30~40年??)のS先輩が仰った。

「あなたのダンス歴と、実力を対比してみると、その経験の長さで、その踊りの未熟さでは、
お気の毒だけれど、ダンスの素養、才能がない、と言えますね。
例えば主婦の場合、家事のなかでも、どうしても、料理が不得意な人って、いますね?
あんなかんじで、いくら頑張っても、不向きな、不得手なことって、誰にでもあるんです。
だから、気を落とさないでください」

充分すぎるほど、充分、気を落としましたよ。S先輩。
忌憚がなさすぎる、歯に衣、着せなさすぎる、そのストレートなお言葉に、その場で、即、KO負けのわたし。
仰向けに倒れて、白い天井がぐるっと回ってるかんじがした。

でも、あとで、フォローしてくださった。

「あなたの、その、(そんなマイナス状態が長く続いているにもかかわらず)、
精進、前向きな心構え、くじけない、不屈の努力には、アタマが下がります。
刺激を受けました」
だって。

これは、喜んでいいのか、悲しんでいいのか。

「これからも、くじけずに、どんなに恥ずかしい目に遭おうが、長く、続けてください」
と、さらに、エールを送ってくださった。

う・う・う・う・・・わたしは、嬉しいのか、嬉しくないのか・・・じつに、複雑な心境だ。


ダンス仲間の集う倶楽部があり、活動も、東京、名古屋、四国と幅広い人々が交流しているそうだが、
「その倶楽部の人たちは、お上手なんですか?」
と、わたしが聞くと、
「みなさん、お上手ですよ。腕自慢したい方ばかりです。
あなたぐらいの(低い)レベルの方は、一人もおられません」

う・う・う・う・・・なんで、こう、いつも、はっきりとモノを仰るんだ、S先輩。

すっかり、うな垂れて、元気なく、わたしは、お話を聞いた。

まあ、苦節40年の人から見ると、わたしなんか、おんぎゃーと生まれて、オシメも取れてないのだろう。
年は少し取っているが、中身は赤ちゃんのくせに、大人になりたがる、
老け顔の幼児ってところか?

まあ、老け顔ではあるものの、年齢は、苦節40年の人よりはわたしは若干、若い。
どんなお上手でも、キャリアがあっても、いくら逆らっても肉体的老化には、太刀打ちできない。

しかしながら、わたしと同じぐらいの年齢の女性が、中心メンバーになって活躍されているようだが、
その方々に比べると、わたしは、もう、まったく見劣りして、ひとつのいいところもなく、なんの勝てる要素もない。
勝とうという意識が、そもそも間違っているのだが、スタート時点で、こんなに差がついていては、
もはや、どんなに努力しても、追いつきそうもない。
ましてや、わたしより、さらにお若い、お上手な方がおられたら・・・
(これは、大丈夫。そんな人は、パーティダンスなんかせずに、競技ダンスの世界に行っている。棲家が違う)

それをわかっていながら、不屈の厚顔無恥で、突き進むしかないのか。

その件(くだん)のS先輩、あまりにも、わたしの習熟度が低すぎるので、かわいそうになって、ほっておけなくなったのか、
もっといい先生や教室を紹介してあげましょう、と、自分の習っている教室をプッシュしてくる。
べつに、生徒を紹介して、斡旋料をバックしてもらおうと、営業に回っているわけでもなさそうなので、
単なる、見るに見かねる善意なのだろうけれど・・・
(ちょっと宗教の押し売りに、似ていなくもない)

オススメ教室には、期待もしつつ、めんどうくさいような気もしている。

口だけの応援、叱咤激励でもよかったんだけどな~・・・なんていうと、罰が当たる?

とりあえず、無料お試しレッスンを受けてみて、
自分の今の教室の教え方、習い方が、これでいいのかどうかの
再認識チェックをしてもいいなあとは、思っている。

「やっぱり今のままで、いいんだ」あるいは、「やり方、教室を変えよう」
どっちの結論になってもいいので、からりと晴れ晴れした顔で、
涙よ、さようなら・・・と、なればいいのだが。

恥知らずは、どこまでの、恥を恐れず突き進んでしまうので、体力を消耗する。
(こころの体力はあって、けっこう、頑丈。ゾンビ。ロボコップ)

 

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今日も理解できない、あぁ、哲学

2012-07-18 | ブログ

ふと、このブログの編集画面で、クリックする場所を間違えて、トラックバック管理のところをひらいた。


すると、見覚えのない「保留」が、いくつか溜まっていた。


トラックバックは、広告っぽいものや、首を傾げたくなるものが多いので、
いつしか、トラックバック管理をチェックしなくなって久しい。


が、今回は、哲学のトラックバックになっていて、そのブログに飛んでいった。
朝の時間がない中で、飛ばし読みは、あまりにも失礼であるし、わたしの脳ミソも速読を許さないので、
時間のあるときに、細部はゆっくり読ませていただくことにする。
やわらかアタマと、考えるアタマのバランスが、絶妙で、ユーモア・ペーソスも感じられ、なかなか好感度が高い。
内容は、わたしの好きなフィロソフィー。
日常の言葉に置き換えて、わかりやすい言葉で書いておられる。

わたしも、哲学は好きなのだが、
いわゆる、学校で学ぶ、学者による学問の哲学は、硬すぎて、歯に合わない。(今、治療中)
刃にも合わない。
かっきーーん、と、脳ミソの外側で跳ね返され、しかも、刃は、ぼろぼろになる。


もっと、単純な疑問、明快な答えが欲しい。
わたしは、もやもやの霧のなかで、一人で自問して、一人で答えるという、ぐるぐる人生哲学・自問自答パターンが多い。


日常生活において、どうでもいいことで、
答えが出ても、どうってことなく、答えが出ない時と同じ生活を送るケースが多い。


この、あわただしい、朝の時間に、手際よくまとめるには、手ごわい内容だが、
わたしは、どうでもいいことを何度も何度もこねくりまわすのは、キライではない。
逆に、一秒も早く結論を出さねばならないことや、行動に移さねばならないことは、
一秒でも遅く引き伸ばしたい、槍が降っても動かない、へんなところにマイペースぶりを発揮するタイプだ。


なので、哲学めいた話を、煮詰めて、もとのカタチがわからないほど、煮詰まって、疑問自体がわからなくなって、
もはや、アタマの交通整理係のおじさんは、いずこへ・・・、
わけがわからないことも、わからなくなって、寝てしまう・・なんてことは、結構好きだったりする。


実生活では、オシリに火がついているのに、アタマのなかは、一日中、釣り糸を垂れている、水墨画の仙人のごとく、なのだろう。


というわけで、時間があれば、さらに煮詰めたいところだが、
洗濯機の洗濯終了音と、目の前に迫る出発時間とで、ここで、いきなり、哲学は、強制終了となった。


 


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どたどた、ばたばた、切り張り人生

2012-07-17 | 日々のこと

小説を書いていると(ただし、亀の歩み)、砂に水を注ぐかのごとく。
疲れるし、少ししかない脳ミソは、消耗するし・・・なんか、いいことある?ってかんじになってしまう。


趣味だったら、それはそれで、楽しいはずなんだけれど、
趣味なようで、趣味でもないのかも・・・って。ちょっと思っている。
それは、スランプとも言うらしい。
(ま、いっちょまえに、恥ずかしげもなく、言えば・・・の話だが。恥ずかしくて言えない)


じっくり腰を据えて、あれこれ、深く考えることも必要だが、
現実生活が、ばたばたしてくると、それどころではなくなってくる。
寝る時間も惜しんで、哲学する、そんな強靭な脳ミソはまったく持ち合わせていないので、無理。
おそらく、じっとしていても、膨大な、まとまったボリュームの自由時間があったとしても、、無理。
脳ミソが、ある場所まで進むと、
工事中の、道路に突っ立っている、おじさんみたいに、ストップ、と、赤い旗を真横に出して、それ以上の前進を阻止する。


ましてや、朝のゴミ出し、3度の洗濯の合間、朝食準備、そして迫るラジオ・フランス語講座を知らせる5分前アラーム、
それらをくねくねとくぐりぬけ、このブログを更新しているのだが、
ただでさえ、ちょっと考えただけで、眠気に襲われるわたしなのに、こんなにバタバタしながら、
そもそも選ぶ話題ではない。


フランス語のあとは、15分しか余裕がなくて、8時からは、あまり面白くないかも、と思いつつ、惰性で見てしまうNHK梅ちゃん、
その後、ドタドタと出発準備に取り掛かる。
ブログ更新やっている場合じゃないが、梅ちゃんの後、出発準備にかかるまでの30分で、更新する場合もある。


そんな、ドタンバタン、気が散るなか、更新することに意味があるのだろうか?
あわただしい時間の谷間のフランス語は、ただのBGMになってしまっているし、、、、
きちんと聞いても、もはやBGM。(今日などは、朝の居眠りまどろみタイム→これは、ラジオ後に追記)


なんか、なあ・・・
気が散っているにも、ほどがある。
どれもこれも、中途半端。
さて、BGMタイムに迫られ、今からフランス語を流し、なんの意味もない、ばたばたするだけの朝。


夜は夜で、アイデア枯渇、朝は朝で、時間の細切れ。


意味がないことの積み重ねで、意味を見出す?


 


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暴走を止めたら、すべてが消えてなくなった

2012-07-16 | ブログ

がんばって、小説の続きを書こうとした。

・・・進まない・・・

しかたないが、無理やり、進もうと、がんばってみた。

途中までは、いくのだが、筆が嫌がる。

しかたないんで、筆の好きなようにさせてやると・・・

あらら、筆が暴走・・・

ぜんぜん、違うストーリーへとどんどん進む。

おいおい、ちがう、そんな路線じゃない。

おおお~いい。

とりあえず、暴走が収まるまで、ほっておいた。

ある程度のところで、なにを感じたのか、筆が遅くなった。

おそらく、書いても、ボツになる虚しさを先取りして感じ取ったのだろう。

ばかな筆め(=わたしの、キーボード指)。

結局、暴走部門は、コピーも取らず、すべて削除した。

あんなものが、残ったら、たいへん、、、、というような暴走モノだったので、削除したあと、ほっとした。

 

みなさんは、こんな、コントロールのきかない、こと、もの、って、あるのだろうか?

わたしには、あるようだ。

へんなエネルギーは、無駄でもいいから、とりあえず、吐き出すことかなあ・・・と。

きれいに消したあと、さあ、書こう・・・と意気込むと、ぐったりして、ぴたりと筆が止まった。

削除と同時に、わたしのアウトプット蓄積エネルギーも、放熱、消え去ったようだ。

 

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ぶっ飛ばし

2012-07-15 | 日々のこと

さて、今日は、日曜日ではありますが、今から、ぶっ飛ぶ勢いで、ちょっと遠方まで、外出してきます。

忙しいけれど、まあ、人生、勢いが大事。

忙しいときは、頑張り、あとは、サボる。それが、人生。
あ、手抜きなわたしの、サボリ人生。

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槍が降っても、動けない

2012-07-14 | 日々のこと

忙しくなってきそうだ。
のんびりした、なんにもしたことのない、家事手伝いの未婚娘が、いきなり、大所帯の相撲部屋のおかみさんに、なるかのごとく。
あと、しばらく、のらりくらりとサボったあと、来年から、わたしは、おかみさんだ。
現場!

東大を卒業して、新卒で、いきなり地方の小さな税務所の長になるかのごとく。
わ~、机上での理論しか知らないのに、どうする?
現場!

なにも知らない、できない、経験ないくせに、いきなり現場で責任を負わされる、という図。

わ~。嫌だ。逃げたい。
(あくまでも、「家事手伝い娘」「相撲部屋おかみ」、「東大卒」「税務所長」は、例えです。
もし、真に受けておられる方がおられたら、紛らわしくてごめんなさい。
しかも、仕事の話ではなく、私生活での話です。
いちいち説明するのも、どうかと思うのではありますが・・・)

そこで、わたしの場合は、迫り来る、相撲部屋おかみを前に、考えたのは・・・
いま、せいいっぱい、サボろう!!ということだ。
ああ、なんて、フマジメなのだろう。
火事が対岸までやってきているのに、隣家から自宅に火が移るまで、遊んでいよう・・・そうしよう・・・

これは、明らかに、人間的欠陥である。


さて、それは、それとして・・・
(話を詰めてない、突っ込んでないのに、あいまいなまま、話題を変える、イージーさ)

やらねばいけないことを、延ばし延ばしにし、ついには、期限の切れる当日の朝にやり始めるという、わたし。
それは、昨日の朝のこと。
当然、さすがのわたしも、必死の鬼の形相なので、ブログ更新はできなかった。

一気に、すべきことをやったせいで、金曜日の夜、疲れ果てて、しばしの間、倒れこんでしまった。
前々からわかっていることを、なぜ、前々からしない?
これは、病気だ。

たいそうに書いてしまった。
これって、実は、掃除。

ああ、掃除ギライ。
うう・・・どうして、こんなに掃除がきらいなんだ。
食事作りもキライだ。
こんなこと言ってると、絶対に、即、鉄砲で撃たれる。
間違いない。
有馬のタヌキより、わたしこそ、ハンターの標的になるべきだ。

 

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ヒト・カネ・ココロ

2012-07-12 | 趣味

今朝から、えらい雨。
大雨で被害が出ているところもあるようだ。

昨日は、ダンスパーティを主催している会の、懇親会に顔を出した。
いつもお世話になっている会、人々だったが、声をかけられ、飛び入り参加。

軽い気持ちで参加してからわかったのだが、
主要メンバーの、年に一度の会だったようで、わたし、こんな会に顔を出してていいのかな~と、ちょっと思ったけれど。
声をかけてくれた人は、わたしをこの会に引き込もうという魂胆があるらしい。

メンバーになると、あれこれ、常時、いっぱい用事、負担を抱えることになる。
毎回、パーティ主催者は、音響設備(機器)から、看板から、冷涼器具、会計、飲食物を用意し、
それらすべてを大きなワンボックスカーで搬入するが、目いっぱい積み込む量は、かなりなもの。
天井までぎっしり詰め込むためには、積み込む荷物の大きさや重さに順序があり、適当に積むと、入りきらなくなる。
車に荷物を入れ、自宅か、駐車場から持ち込み、会場の外で荷物をおろし、搬入、用意、使用し、
その後、また車まで持ち運び、さらに自宅か、駐車場へ。
力仕事だ。
強い雨の日は、荷物も人も、びしょぬれになる。
ほんの少しでも荷物を引き上げる時間がオーバーすると、罰金をとられるそうだ。

それと同時に、会場の倉庫に、常備、収納されている椅子を出して準備し、終了後、片付ける。
それが一週間に2~3回もとなると、大勢のスタッフの手がいる。

そんなに拘束、束縛される、なかばボランティア的なことをする余裕は、今のわたしにはない。

好きな曜日、時間に、お客さんとしてお邪魔するのが一番、気楽だ。
運営されている側は、たいへんだと思う。
よほど、ポリシー、信念がないと、できないだろう。

「こんな年齢にもなると、自分のダンスの伸びしろは、もう限度で、後は、ただ下降するだけなので、せめて、みんなの役に立ちたい」
そう、スタッフのひとりが、おっしゃっていた。

運営的にも厳しいようで、会場施設使用料が高く、いま、赤字になる恐れが出ているらしい。
入場料を値上げしないとやっていけなくなるとかで、値上げすると、お客さんが減る恐れもある。
なにごとも、人、カネが、不可欠だ。


ボールルーム・ダンス(社交ダンス)と一口に言っても、奥が深い。

パーティを活動の中心とするパーティ・ダンスと、競技で上位を目指す競技ダンスがある。
その二つは、似ていて非なるもの。
競技をリタイアして、パーティで、適当に遊ぶことはできるが、
パーティから競技へは、別にレッスンや練習を積まなければ、そのままでは行けない。
(ただし、レベルの低い級は、間口が広く、難易度が低く、
あまり上手でなくても、ちょっとした最低限度のテクニックで、いともカンタンに取れる)

パーティは、その場を楽しむ享楽的なもので、
かたや競技は公平な目、基準で競い、力量がはっきりわかるもの。
パーティダンスが出来ても、そのままでは競技ダンスは出来ないが、競技ダンスが出来るとパーティダンスは出来る。
パーティダンスは、無資格ダンス、で、競技ダンスは、有資格ダンスみたいなもの。
原産地が、わからない、ノーブランド品と、原産地が、はっきりしているブランド品みたいなもの。
ただし、ノーブランド品にも、質のいいものもあるし、ブランド品でも、ランクの低いものもある。

憂さ晴らし、楽しみ、社交、運動に、パーティで楽しむのも、いいだろうし、
上を目指す(目指せる)人は、競技で頑張ればいい。
お互い、同じ場に居合わせることは、あることもある。
パーティ会場を練習の場として利用する競技ペアが、会場狭しと踊っている場合があるが、
ふつうのパーティダンスとは違う、競技ダンスは、目を引く。
かつて、わたしは、自分が超・初心者のヘタ・ダンスだった頃、
同じ会場で、あてつけがましく競技ダンスを派手に踊られると、
「ヘタなひとが、和気藹々と楽しんでいる、こんなところで、レベルの高いダンスを踊るなよ」と、
ヘタ同士の場の雰囲気が壊れ、嫌な気がしていた。
(自分がヘタなのを棚にあげて)
というか、持たなくてもいい劣等感を無理やり持たされるようで、
バカにされているようで、強制的に卑屈にさせられているような気がした。

彼らは、競技用の特別な訓練、レッスンを日々、積んでいるのだから、
普通の一般人とは、同じではなくて当たり前なのだが。


これに、加えて、デモやメダルテストもある。
メダルテストは、派手さはなく、見栄えよりも、ちゃんとルール通りに踊れているか客観的な目で見て判定するもの。
これは、他と競うものではない。
デモは、お仲間同士が集う、公民館レベルのものも、超高級ホテルでの、べらぼうにお高いものも、
ピンからキリまである。
先生への謝礼、発表会パーティ招待券ノルマ、豪華ドレス、・・・お金は、かけたらキリがない。
しかも、年中行事のように、年に2回ほどデモがあり、毎回、デモに出る人もいる。
その、ピンのほうの方々は、あまりパーティには顔を出さない。
習っているフォームが崩れるのが嫌なのか、はたまた、下々の者たちとは、席を同じくしたくないのか。
滅菌室で手厚く人工育成されているので、バイ菌が、移ったら困るからか??

ダンスにも、いろいろ、だ。

パーティには、いろんな人が来ておもしろい。
へんな人、へたな人、教え魔、・・・けっこう、慣れた。
バイ菌、雑菌、なんでもこい、だ。

わたしは、パーティに来て、そこで踊っている人に教えてもらおうと企んでいると、思われるのか、
「レッスンを受けているの?」と聞かれて、「はい」と答えると、けげんな顔をされることもある。
「レッスンを受けていない」という答えを期待しているように感じる。
レッスン料を払うお金がなくて、レッスン料よりはるかにお安く、長く踊れる、パーティに来ている、と思う男性もいるようだ。
あるいは、なんでレッスンを受けるのか、意味がわからない人もいる。
楽しく踊れば、それでいいじゃないかと。
上手くなりたい、向上したい、という想いは、時として理解してもらえないこともあるようで、
わたしとしては、それのほうが、驚いている。
年齢の違いによる、身体的(からだが思い通りに動かない)、精神的(やっても、無理、無駄)な違いか???
いずれ、わたしにも訪れる道だろう。

踊りたくない人への断り方は、まだ慣れていないが、
相手に嫌な思いをさせない断り方を昨日、会の主催者さんに教えてもらった。

どんな人にも合わせて踊るのも、まあまあできるようになった。
あとは、お上手な人が踊ってくれるのを待つばかり・・・。
(ルール違反ではあるが、女性から声をかけても、男性は決して悪い気はしないそうだ)
それが、なかなかヒットせず、難しい・・・ 

最近、ぼちぼち、上手な教え魔が踊ってくれることもあるが。
上手な教え魔は、わたしが、団体レッスン、個人レッスンを両方、受けているというと、けっこう、燃えるようだ。
ちょっと先にいっている優越感をくすぐられるのだろうか。


とりあえず、望みはひとつ・・・上手になりたい。
それだけだ。

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没頭できるものは、カタチあるものとは限らない

2012-07-11 | 趣味

趣味について。

義父(故人)が現役時代、とても細かいレース編みに凝っていた時期があった。
わたしは、今もココ、真横にあるパソコンの上に、義父の作品を無造作に掛けている。
ものすごく目が細かく、狂いも歪みもない、結構、大きなサイズ。買えばお高そう。
義父は、とても几帳面な性格の人だった。(わたしとは真逆)
庭の草引きは、愛用のピンセットを使って一本一本、根っこから丁寧に抜き、
リタイアする、うんと前から、休日は、朝から晩まで、じっと座って一日中、草を引いていた。
盆栽や、花木も趣味だった。

手先を使う趣味は、わたしは、すべてダメ。
ぶ厚い大きなグローブをつけて、作業しているかんじだ。
針に糸を通すのも、面倒。
今、愛用している裁縫箱は、保険屋さんにもらったキティちゃんの3段引き出し式BOX。
少食向き・お弁当箱ぐらいの大きさ。プラスチック製で、引き出しは透明。ケースみたいなかんじ。
ミニミニサイズで、はさみも、ちいさい握りバサミが、ちょこんと入っている。
裁縫系は、まるでダメ。不器用。
せいぜい、ボタン付けと、繕いもの程度。

小学校の高学年だったか、夏休みの自由課題かなにかの作品で作ったパジャマは、ひどかった。
布選びからしても、終わっていた。
そもそもパジャマ用ではない生地を平然と平気で選んでいた。
色柄に至っては、あれは、いったいなに?
型紙など、当然なし。参考にするものも、まるでなし。
デザインもアタマで漠然と適当にイメージしたものを、本当に場当たり的に縫っていた。
波打つ曲線を出すための、フリルの間隔やら細かさ、詰まりようなんて、糸を、いい加減に、ぎゅっとしぼるだけ。

他の子たちは、お母さんの手が明らかに加わっていると思われる作品だった。
わたしの場合は、過保護の反対、つまり、放任もいいとこなので、
母は、子供がどんな不細工な、無様な、恥ずかしい作品を作り、
しかも、それを休み明けの課題作品展で全校生の前で恥をさらされようが、
まったく知らなかった。
(忙しくて、眼中になかった)

昔から、子供時代から、厚顔無恥なわたしだったが、
さすがにあのパジャマは、子供ながらに、作品展で並べられていた、あの、変わった奇妙なパジャマには、
恥ずかしい思いをした記憶が、ぼんやりある。

(実家には、わたしが中学時代に毛糸で編んだ壁掛けが、まだ置いてある。
早く捨てて、って、思うけれど、まあ、人の家だし、好きにすればいいと思っている)

今まで、ひとつのことに、夢中になった経験は、あまりなく、熱くなっているのは今、現在ぐらいだろうか。

わたしは、小学生の頃から日記や小遣い帳はつけていた。
それが今に至り、カタチを変え、ブログになっている。
同じく小学生のとき、ロマンチックなドレスに憧れて、親にせがんで始めたバレエは、
発表会の期待はずれなドレスに、肩を落とし、それっきり。
子供がまだ小さかった頃に、少し英語に夢中になった時期もあったが、
脳細胞がカチンコチンで、新しいことが覚えられないことがわかり、挫折。

脳トレ系は、まったくダメ。
多大な膨大な時間をかけても、まるで、1ミリたりとも、進まない。
岩石のような、頑丈で硬い外部に囲まれた脳は、トレーニングを許してくれない。
岩窟王、頑固な脳。
カッキーンと、ピッケルを跳ね除ける。

一時期、仕事に、燃えていたこともあった。
子育てに燃えていた頃もあった。
それは、楽しくて、燃えていたのではなく、鬼の形相、気迫で頑張っていた。
(実際の顔は、にたにたしていると思うが・・・)

作品として残るものがあまりないので、助かっている。
(脳にも残っていない・・・)

作品として残っているのは、「子供という生き物」かも知れない。
なにもなかった無の状態から、意識できないけれど、生命がお腹に宿り、
やがて胎内で大きくなって、この世に誕生。
その10ヶ月間だけでも、貴重な作品づくりの期間だ。
フィジカルな固体、人間をこの世に送り出す、大切なモノづくり時間だ。

あとは、子供が手を離れるまで、(どの時点で手を離れるのか、個人差はあるだろう)
作品づくりの後半だ。
お腹の中が、ベースのベース。
DNAと環境に左右される部分は大きい。

今となれば、そんなこともあったっけ・・???というぐらい、遠い目。
が、子育ては、大きな作業だ。
愛情とサポートがないと、たいへんだろうと思う。


と、趣味の話から、脱線している・・・

身体がいうことをきかなくなっても、長く続けられる趣味と、身体が動く時の趣味は違う。
今しかできないことと、状況が変わっても続けられること、
両方、やっているのが、一番いいけれど、
なんだかアタマで計算して、計画して趣味を、というのはねえ・・・
計画停電みたいなかんじ? (ちょっと違う?)
だが、没頭するとか、そういう熱い状態になるには、キッカケは関係ないかもしれない。

ご夫婦で社交ダンスをされている人は、いいなあと思う。
一度、身に付いたものは、片方が亡くなっても、片割れだけでも続けられる。
ただ、片方が亡くならないで、しかしダンスができない状態の期間が、辛い。
そう思うと、わたしは、結婚当初から、はじめっからペアで動いていないので、気楽だ。

いなくなれば、寂しいだろうけれど、
わたしの母も義母も、「夫が亡くなってから、その、よさ、偉大さがわかった」と言っている。
傍目で見ていると、喪失感と、同時に、開放感も結構あったと思うけど。(義母は特に)
ただ、男たちは、家事は、すべて妻に任せるくせに、重要なことは全部、自分で仕切っていたので、
先に自分が亡くなることを想定しせず、前々からいろんな引きつぎ事項を妻たちに教えてなかった。
あとに、なって、「おとうさんが、いないから、わからないわあ」と、無知を露呈し、
周囲にもなめられる事態にも発展する。

妻が先に亡くなると、家事をしてこなかった夫は、あとで、自分だけでなく、周りも巻き込んで迷惑をかける。
今から夫に家事を仕込んでおくのは、「あなたのタメだから」である。
(お金があれば、ある程度の解決はつくが)


失ってみないと、よさがわからないことは、とてもたくさんある。
当たり前と思っていたことが、当たり前ではなかった。
気づいたときは、もう遅い。
日々、感謝。
感謝しないといけませんね。(と、自分に言い聞かせる)

趣味のブログも、今日も更新できて、感謝、感謝。
そういう状態、状況が保てることに、感謝。


さて、ぶらさがっている用事を目の前に、ちょっと気合を入れて頑張りますかあ。

 

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ネガティヴ大好き

2012-07-10 | 日々のこと

いま、書きかけの小説は、ストックは、あと2話、書き溜めているだけだ。

みなさんに、忘れ去られてしまいそうだが、他の人が、どんどん小説を発表されているので、
そっちを読んでいただくことにしよう。
というのは、もっともっと10話ぐらい書き溜めてから、アップしようと思っている。
しかし、10話も・・・・・となると、アップできる日は、いったい、いつ?


リアルについて。

ある元職場仲間から、小説の感想が送られてきた。
「スローさん、ネガティヴな表現は、スローワールド全開ですね」
と、誉められた?

ウソは書けない、とすると、
わたしは、楽しい話より、ネガティヴな話のほうが、そのまんま、知っているまんま書けるので、楽。
(あれは、私小説ではないので、実際の母とか、主人公の現実をリアルに書いているではありません。念のため)

ということは、すごいネガティヴ人間?
いつも、世の中に向けて、吠えて、怒って、文句いっているのか?

実際のわたしは、穏やかで、一見、清楚で(ぷぷぷぷ)、やさしいかんじなのに。
(自分で言っているあたり、言い放った瞬間から、もう、実体は、かけ離れている)
内面は、鬼なんですかねー。
犯罪歴もないし、人をいじめたこともないし(いじめられたことはあっても)、過激な経験もまったくない。
ネガティヴ ワールドは、単なる、想像の世界なのだろうか。

わたしは、美しいことは大好きだが、うわべだけの美しさにチャラチャラしている人は、大嫌いなのだ。
なので、そういう人への嫌悪感をつのらせ、ついつい、ネガティヴ ワールドには、力が入ってしまう。
そういう人は、そういう人で集まって、グループを作って、
「みんな、同じ考え、趣味、嗜好なのね。やっぱり、世の中の人は、みんな、そうね。私たちと、同じね」
と、自分たちを肯定しあって、他の別の集団や、状況を見ようともしない。
そのくせ、「わたしたちって、特別よね」みたいな優越意識もある。

どうしてなのだろう。

自分を否定するのは、嫌だからだと思う。
そして、アクのない、やさしい、世の中、知らないような、控えめな顔をしつつ、裏では優越感に浸りたい。

ま、ほっときゃいいんだろうけれど、わたしの気持ちがおさまらない。
善人ぶった人(ニセモノの善人)も、大嫌い。
で、ネガティヴ ワールドに突入、没頭するというわけだ。

「否定から、ものごとが生まれる。だから、否定は、大事だ」
そう、小説の先生(先輩)が言っていた。
楽しい世界を書くより、楽しくないの世界のほうが、わたしの筆は、イキイキしているそうだ。
(たんに、ひねくれているだけか・・・)

そう思うと、また、書きかけの小説に手をつけようという気に、少しはなったか?
どうだろう・・・

今週は、実生活で、(やりたくないけれど)やるべきことが、どどんと目の前に、ぶらさがっていて、
それが気になって、なにをするにも、上の空っぽい。
小説どころではないだろう。

いまも、それを考えると、ブログなんか更新している場合ではないのでは、と、急に冷や汗が出てきた。

とりあえず、今日のところは、これにて終了。
ネガティヴ ワールド炸裂の、実生活へと移行いたします。

 

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