わたしは、子供がちっちゃい頃、つまり、ベビーカーを使わなければならない頃、
電車に乗ったことがなかった。
田園風景のなか、牛の鳴く横っちょを通ったり、ひとっこ一人いない道を通ったり、
ベビーカーを押して、がたんこ、がたんご、ひたすら一人で歩いていた。
電車に乗って街に出かけるなんてことは、しなかった。
(バスは、あるけれど)
子供を大勢の人々が乗っている電車に乗せるなんて、ストレスのモトだ。
「静かにしなさい」なんていっても、子供は動物レベルで、まだ、日本語は解さないし、
なんにもわかっちゃいない子供に、へんな我慢や苦痛を強いるのは、理に合わないので、
誰に文句も言われない、おもちゃ散らかし放題の家の中や、
だあれもいない公園やら、だあれもいない、そこらへんで遊ばせていた。
だあれもいない、ということは、大人もだあれもいないのであって、
大人であるわたしとしては、非常に、孤独ではあった。
自分は動物のブリーダーみたいに思っていたらいいのかも知れないが、
実際のところ、そうではないので、孤独感をひしひしと感じていた。
が、子供と正面向いて向かう、生真面目な母親ではなかった。
大人が、子供(幼児)相手に、100%合わせるのは、しんどい。
子供の相手を、子供にやらせた。
つまり、子供同士遊ばせた。
こりゃあ楽だわい。
年子がごちゃっと、かたまっているのは、ある意味、保育所みたいなものだ。
子供同士、同世代の遊び相手には、不自由しない。
ただし、大人であるわたしは、ママ友なんぞもなく、
外で大人の声がしたら、大人恋しさに、飛び出していったりしたものだ。
ああ、人間と会話したい~~と、思った。
でも、子供はすくすくと育ち、ぜんぜん遊んでやらなくても、成長した。
わたしは手抜きではあったが、それなりに、孤独でもあった。
朝8時からの民放と、9時半からのNHKの子供番組の時間に用事などを済ませ、
あとは、子供の昼寝時間が黄金時間。
子供といっしょに、自分も楽しむということは、念頭になかった。
なので、いまの若いお母さんたちみたいに(娘を含む)、電車の乗って、
自分が楽しむ欲求を満たす、そして、街が、そのために整備されている、
そういうことに隔世の思い。
街も、エレベーターや授乳室が整い、子育てにやさしい環境が整いつつある。
じつに結構なことだ。
育メンも続出しているし。
ま、時代は変わったということだ。
わたしのように、育メンてなに?と、父帰らずで、八方塞で子育てをしていると、
(帰って来ると手間が増えるので、帰って来ないほうが望ましい)
子育て中に溜まったエネルギーは、かなりなものになった。
これはこれで、わたしの原動力になった。
決してマイナスのエネルギーではなく、プラスのエネルギーとして、後々のわたしの礎になった。
子育て世代で、非常識でダメダメな、感じ悪いママや、パパ、ジジババもいるが、
そうでもない、健気な人たちもいる。(思わず、がんばれ!と、応援したくなる)
そういう人たちを、ひとくくりには出来ない。
・・・
ちなみに、
健康で、時間もあって、ヨレヨレへろへろでもなく、ご高齢でもない、
荷物も持ってない、足にも支障のない、
見た目も、実際も、現実の状況も、なんの問題もない大人の人に言いたい。
2階まで上がるのに(1階上に上がるのに)、エレベーターを使うのはいかがなるものかと。
階段で歩けないのか?
見た目はどうもなくても、わたしのように足が悪い人もいるので、
いちがいに見た目だけで決められないところがある。
(足が悪いのにダンスを恐る恐るするのは、足が悪いと言うのか?
明らかに、気まま自己基準、勝手な言い分である)
ま、そういう感じ悪い人はさておいて、
問題ない人は、エレベーターで行けばいいのに・・・
ということを言っているような、・・・そんな感想に近い感覚を、
とあるブログを読んで感じた。
なにごともそうであるが、
一概に、ベビーカーが悪いのではなく、
一概に、ベビーカーを折りたたまないのが悪いのではなく、
ぎゅーぎゅー混んでいる時間帯に、
堂々とベビーカーをなんの臆面もなく、無神経に、涼しい顔で、
折りたたまない親、ジジババ一族が、よろしくない、ということである。
がらーんとした電車内ならいいと、わたしは思う。
そして・・・
そんなベビーカー年齢の子供を連れ歩くな、と、おっしゃりたい人もいると思うが、
わたしは、自分が電車に乗せなかったからといって、他の人もそうすべきだ、とは感じない。
自分ができなかったことは、他人もすべきでない、けしからん、とは思わない。
自分ができなかったから、改善できればいい、と考えるほうだ。
ただ、まわりの、まったく子育てに、なんの関心も関わりもない人に対する配慮が必要。
しかし、非常識な、感じ悪い親に対して、過保護にすべきでもない。
自分しか見えない人間には、それなりに、自覚してもらわないと、暖かい手を差し伸べる気にならない。
子育てに死にもの狂いで必死で、いっぱいいっぱいな場合と、単なる自己チューとは違う。
が、子育て真っ最中だと、人のことまで考える余裕がないことも事実。
夫や、ジジババがいっしょなら、プレッシャーや、余裕のなさが軽減されることだろうけれど。
夫やジジババも、同じ環境で育ち、類は友を呼ぶので、
ママと同じような、ありえないような誰もが眉をひそめる自己チュー軍団である場合もあるので、
これまた、ややこしい。
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