強欲な守 ・ 今昔物語 ( 28 - 38 )
今は昔、
信濃守藤原陳忠(ノブタダ・982年信濃守在任)という人がいた。
任国に下って国を治め、任期が終わって京に上る途中、御坂(ミサカ・信濃と美濃の境にある峠。)を越えようとしたが、多くの馬に荷物を乗せ、人の乗った馬も数知れず連なって行ったが、多くの人の乗った馬のうち、守の乗った馬が谷に懸けた橋の縁の木を後ろ脚で踏み折り、守は真っ逆さまに馬に乗ったまま転落した。
谷底はどれほどと分からないほどの深さなので、守は生きているとは思われなかった。二十尋(ハタヒロ・一尋は、人が手を左右に広げた長さ。)もある檜や杉の木が下から生い茂り、その梢が遥かな底に見えていることからも、その深さが察しられた。その谷底に守は転落して行ったので、その身が無事であるとは思われなかった。
そこで、大勢の郎等共は、全員が馬から下りて、懸け橋の縁に居並んで谷底を見下ろしたが、手の施しようもなく、「まったくどうしようもない。降りる所でもあれば、降りて行って守の様子を見届けたいが、もう一日でも行った先であれば、谷が浅い方から回ることもできようが、ここからでは谷底に降りる手段は見つからない。どうしたらよいのか」などと、口々に言い合っていると、遥か底の方から、人が叫ぶ声が微かに聞こえてきた。
「守殿は生きておられるぞ」などと言い合って、こちらからも大声で叫ぶと、守が何か言っている叫び声が、遥か遠くから聞こえてくるので、「おい、静かにしろ。ああ、うるさいなァ。何をおっしゃっているのか、よく聞け、よく聞け」と言い合って、聞いていると、「『籠に縄を長くつけて下ろせ』と仰せだぞ」と誰かが言う。
そこで、「守は生きていて、何かの上に留まっておられるぞ」と知って、多くの人の差縄(サシナワ・手綱)を取り集めてつないで籠に結び付け、それそれと下ろしていった。
縄尻まで来てしまった頃、縄が止まって落ちなくなったので、「どうやら下に着いたらしいぞ」と思っていると、谷底から「よし、引き上げよ」という声が聞こえてきたので、「それ、『引け』と仰せだぞ」と言って、引き上げ始めると、いやに軽々と上がって来る。
「この籠は軽すぎるぞ。守殿がお乗りなっておれば、もっと重いはずだ」とある者が言うと、別の者は「木の枝などに掴まっているので軽いのだろう」などと言いながら、皆で引き上げていき、引き上げた籠の中を見てみると、平茸ばかりが籠いっぱいに入っている。
何が何だか分からず、互いに顔を見合わせて「これはどういうことだ」と言い合っていると、また谷底の方から「さあ、また籠を下ろせ」と叫ぶ声が聞こえてきた。
これを聞いて、「では、もう一度下ろせ」と言って、籠を下ろした。すると、また「引け」という声がするので、声に従って引くと、今度はたいそう重い。多くの人が取りかかって引き上げてみると、守は籠に乗って引き上げられてきた。守は、片手で縄を掴まえていて、もう片方の手には平茸を三房ばかり持って上がってきた。
引き上げ終ると、平茸を懸け橋の上に並べて、郎等共は喜びあって、「いったいこの平茸は、どういうわけの物ですか」と尋ねと、守は「転落した時、馬は先に谷底に落ちていったが、わしは遅れてずるずると落ちていくうちに、木の枝がびっしりと繁っている上に偶然落ちたので、その木の枝を掴まえてぶら下がったところ、下に大きな木の枝があって支えてくれた。それに足を踏まえて大きな股になっている枝に取りついて、それに抱き着いて一息ついたが、見てみるとその木に平茸が沢山生えていたので、そのまま見捨て難い気がして、まず手が届く限りの物を取って籠に入れて上げさせたのだ。まだまだ取り残した物があるはずだ。言いようもないほど沢山あったものだ。えらい損をしたような気がしている」と言うと、郎等共は「全く大変な損をなさいましたなあ」などと言ったとたんに、一同はどっと笑った。
守は、「心得違いなことを言うな、お前たち。わしは、宝の山に入って、手ぶらで帰ってきた心地がするぞ。『受領は倒れた所の土をつかめ』というではないか」と言うと、年配の目代(モクダイ・国司の代官。守や介より下位。)が、心の内では「あきれたものだ」と思いながら、「確かにその通りでございます。手近にある物を取るのに遠慮はいりません。誰であっても、取らずにはおられないでしょう。もともと賢いお方であればこそ、このように死の危険が迫った時でも、あわてふためくことなく、万事についてふだんの時のように処理なさることでしょうから、このように騒ぐことなく平茸をお取りになられたのです。されば、国の政においても、平穏に治め租税もきちんと収納なさって、十分に責任を果たされて上京なさるのですから、国の人は守殿を父母のように恋い慕って惜しまれているのでございます。されば、行く末も万歳千秋疑いございません」などと言って、蔭で仲間同士で笑い合った。
これを思うに、これほど危険な目に遭って、心を惑わすことなく、まず平茸を取って上がってきたことは、何とも強欲なことである。まして、在任中は、取れるものはどれほど奪い取ったことか、思いやられる。
この話を聞いた人は、どれほど憎み嘲笑ったことであろう、
となむ語り伝へたるとや。
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