雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

御身体を食わせる ・ 今昔物語 ( 16 - 4 )

2023-08-15 16:06:00 | 今昔物語拾い読み ・ その4

      『 御身体を食わせる ・ 今昔物語 ( 16 - 4 ) 』


今は昔、
丹後国に成合寺(成相寺のこと。京都府宮津市に現存。)という山寺がある。観音の霊験あらたかな寺である。
その寺を成合といういわれを尋ねると、昔、仏道を修行する貧しい僧がいて、その寺に籠もって修行をしていた。その寺は、高い山の上にあり、その国の中でも雪が高く降り積もり、風が激しく吹く所である。
ところで、ある冬のこと、雪が髙くまで降り積もって、誰もやってこなくなった。そのため、この僧の食糧が絶えて数日が過ぎ、何一つ食べることが出来ず餓死するほどになった。雪が髙く積もっているため、里に出て托鉢することも出来ない。また、食べられそうな草木さえない。
しばらくの間は、じっと我慢して堪えていたが、それも十日ばかりにもなると、力が弱り起き上がる気力もなくなった。そこで、堂の東南の隅に蓑の破れた物を敷いて寝ていた。力も尽きて木を拾ってきて火を焚くこともしない。寺の建物も破損していて風を防ぎ切れていない。風雪が激しくてとても怖ろしい。
気力も無くなっていて、経も読まず、仏を祈る事もしない。

「もう少し辛抱すれば、やがて食べ物も手に入るだろう」とも思えないので、心細いことこの上なかった。こうなれば、もう死ぬだろうと覚悟して、この寺の観音に「助け給え」と念じて申し上げた。「只一度、観音様の御名を唱えるだけでも、諸々の願いを叶えて下さいます。私は長年にわたり観音様に帰依しておりながら、仏前において飢え死にしてしまうのがとても悲しい。私が、高い官位を求めていたり、多くの財宝を望んでいるのであれば難しいでしょうが、ただ、今日の命をつなぐだけの食べ物をお恵み下さい」と念じながら、寺の西北の隅の破れ目から外を覗くと、狼に喰われた猪が見えた。

「あれは、観音様が与えて下さった物だろう。あれを食べよう」と思ったが、「長年仏様を頼みとし ておりながら、今更どうしてあれを食べることが出来ようか。聞くところによれば、『生ある者は皆、前世のの父母』だとか。私は飢えて死なんと[ 欠字。「しているが、どうして父母の」といった文章らしい。]肉を裂いて食べることが出来ようか。いわんや、生き物の肉を食べる者は成仏への道が断たれ、悪道(地獄・餓鬼・畜生の三悪道のこと。)に堕ちることになるのだ。だから、どの獣でも人を見れば逃げていくのだ。これを食べる者を、仏も菩薩もお見捨てになるのだ」と 何度も何度も思ったが、人間の心は情けないもので、後世で苦しむことを思わず、今日の飢えの苦しみに堪えられず、刀を抜いて、猪の左右の股の肉を切り取って、鍋に入れて煮て食べた。その味のうまいことはこの上なかった。飢えの苦しみはすっかり消え、満足感に包まれた。

しかしながら、重い罪を犯したことを悔い、泣き悲しんでいるうちに、雪もようやく消えたので、里の人が大勢やってくる声が聞こえた。
その人たちが、「この寺に籠もっている僧は、どうしているだろう。雪が髙く積もって、人がやって来た様子がない。何日も経っているので、今頃は食べ物もなくなっているだろう。人の気配もしないから、死んでしまったのだろうか」などと言い合っているのを、僧は聞いて、「とりあえず、この猪の煮散らした物を、何とか隠さねば」と思ったが、すでに里人たちが近くまで来ているので、どうすることも出来ない。まだ食べ残した肉も鍋に残っている。それを思うと、とても恥ずかしくて、悲しい。
そのうち、里の人々が皆入ってきた。
人々は、「どのようにして、過ごしておられたのか」などと言いながら、寺の中を見て回ると、鍋に檜を切って入れて、煮て食い散らかしている。
人々はこれを見て、「お坊様、いかに飢えたとはいえ、いったい誰が木を煮て食べますか」と言って哀れがっていたが、その人たちが仏像を見てみると、仏像の左右の股の辺りが新しく切り取られていた。

「これは、僧が切り取って食べたに違いない」と、驚きあきれて、「お坊様、どうせ木を食べるのなら、寺の柱でも切って食べなさい。どうして、仏の御身を切り取ったのですか」と言うので、僧は驚いて仏像を見奉ると、里人たちが言うように、左右の御股が切り取られている。
その時はじめて、「さては、あの煮て食べた猪は、観音様が私を助けるために、猪に姿をお変えになったに違いない」と思うと、尊さに感激して、人々に向かって事の次第を語ると、これを聞いた者は皆、涙を流して感激し尊ぶこと限りなかった。

そこで僧は、仏前に座り、観音に向かって申し上げた。「もしこの事が、観音様がお示しに成られたことであるならば、本のようなお姿にお戻り下さいますように」と。
すると、そう申し上げると同時に、人々の目の前で、その左右の股は本のように完全な姿になった。見ていた人々は皆、涙を流して感激しない者はいなかった。
それで、この寺のことを成合寺(ナリアイデラ・成合は、接合してもと通りになることをいう。)と言うのである。 (このあたり、欠字・欠文が多いが、一部推定しました。)

その観音像は、今も安置されている。心ある人は必ず詣でて拝み奉るべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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