雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

道長の結婚 ・ 望月の宴 ( 27 )

2024-03-13 20:34:12 | 望月の宴 ①

       『 道長の結婚 ・ 望月の宴 ( 27 ) 』


こうして日が過ぎていって、十二月の初めの頃に、東宮(居貞親王)の御元服の儀があって、その夜、尚侍(ナイシノカミ・内侍司の長官。兼家の娘綏子のこと。)が参上なさって、麗景殿(レイケイデン・後宮六殿の一つ)にお住まいになられる。
東宮はまことに年が若くていらっしゃる。尚侍殿は十五歳ほどにおなりである。大殿(兼家)の御女でいらっしゃるので、すぐに御輦車(テグルマ・宮城門より宮門までの間を車に乗ることを許されること)を許されて、やがて女御におなりだなどと、至れり尽くせりに大切にお扱いされていることに、母君の対の御方は幸いに恵まれた人と思われた。

そういえば、九条殿(兼家の父師輔)の十一郎君で宮雄君(公季)と申す方は、最近、中納言で東宮権太夫を兼ねていらっしゃる。

やがて、これということもなく年が改まった。
皇太后宮(円融帝后、詮子。一条天皇生母。)は東三条院にお住まいなので、正月二日に行幸があった。たいそうおめでたいことで、皇太后宮付きの宮司や兼家殿の家司(ケイシ・親王や三位以上の貴族の家政に携わる者。)などの位が昇進し、その御礼言上に大騒ぎである。

月末になると、司召しの除目(ツカサメシノジモク・在京の官職を任命する行事。)があり、中納言殿(兼家の長男道隆)は大納言になられた。宰相殿(二男道兼
)は中納言になられた。

今年は(987年)は年号が変わって永延(エイエン)元年という。
二月は例年通り幾つもの神事が重なって、あちらこちらの社へ使者が遣わされ、様々なことがあるうちに時が過ぎた。
三月は石清水への行幸がある予定なので、その準備に大わらわである。その行事の奉行役は、中納言殿(道兼)がなさる。その功績により、御位の昇進があるのだろうと思われる。
皇太后(詮子)がいつものように帝の御輿に同乗なさるので、たいそう美麗にして御威勢は辺りを払うばかりである。


さて、このように兼家殿ご一族の繁栄が顕著になる中で、五郎君であられる道長殿は、この時、三位の中将でございました。

その道長殿は、さる姫君に夢中でございました。
土御門の源氏の左大臣殿(源雅信)には、二人の姫君がいらっしゃいました。正室腹の姫君方で、たいそう大切に養育されていて、左大臣殿は、やがてはお后にとお考えでしたが、どういう伝手(ツテ)によったのでしょうか、道長殿は姉姫である倫子さまを何としても正室にと想い込まれて、その旨を先様に申し入れたのでございます。
ところが、左大臣殿は大変なお怒りで、
「何と馬鹿げたことを。もってのほかだ。誰があのようなくちばしがまだ黄色い者どもを、婿としてこの邸に出入りさせてなるものか」
と言って、まったく聞き入れようとされませんでした。

すると、姫君の母上であるお方は、土御門中納言朝忠殿の御娘であられますが、並の女性とは違いたいそうで賢明で才気あるお方でございましたから、
「どうして、あの公達を婿に迎えないということがありましょうか。時々、行事の折などにお姿を拝見しておりますが、あの公達は並大抵のお方ではありません。すべて、このわたくしにお任せください。このお話は、悪いはずがありません」
と申し上げられましたが、左大臣殿は、とんでもないことだと納得なさいませんでした。

この左大臣殿は、宇多天皇の御孫にあたる御方でございますが、高貴なお血筋に加え、台頭著しい藤原兼家殿が一目置く朝廷の実力者でもありました。
左大臣殿には、幾人かの妻妾がお生みになった男君や女君が大勢いらっしゃいましたが、法師になられたり、世に背を向けようとなさる方もいらっしゃるようで、それを心配なさっていたようでございます。

左大臣殿が、倫子さまを何とか入内させたいとお考えであることは、この母上も十分承知されていたことでございますが、道長殿をたいそう気に入られたようで、婿にお迎えするお支度を急がれておりました。
左大臣殿は、苦々しく感じられていたのでございましょうが、今上の帝はまったく年若く、東宮もまた同じようでございますから、帝や東宮への入内は望みをかけるわけにも行かないという現実がございました。また、しかるべき人で、是非とも姫の婿にという人も見当たらず、第一、北の方(倫子の母上)が道長殿以外はまったく相手になさらないものですから、黙認する形になったようでございます。
そして、いざ道長殿を婿取りするとなりますと、さすがにその御支度や御披露は、まことに立派で重々しくお扱いなさいましたので、道長殿の父上である兼家殿は、まだ位などの低い者がこれほどの扱いを受けるのはどうしたものかと、はらはらされたということでございます。

しかし、この後のことを考えますと、倫子さまを正室になさったことは、道長さまのご運に大きな力を与えられることになったのではないでしょうか。
そのことを道長さまもよく承知なさっていたようで、この御母上を末永く大切になさいましたのでございます。

     ☆   ☆   ☆                             

 

 


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