『 兼家の天下へ ・ 望月の宴 ( 26 ) 』
大殿(藤原兼家)は、院の女御(冷泉院の女御超子。兼家の娘、四年前に急死。)のお生みになった皇子たち三人を、みな御懐に入れて養育なさっていたが、二の宮(居貞親王)は東宮にお立ちになられたので、今は三の宮(為尊親王)、四の宮(敦道親王)を大切に思われていたが、中でも東宮と四の宮を格別に可愛がられていて、来年には御元服をと思っておいでである。
かくて十月になったので、御禊(ゴケイ・大嘗会の直前に天皇が鴨川に行幸して行う祓え。)や大嘗会(ダイジョウエ・天皇即位後初めて行われる新嘗祭。)が行われるということで、世間は大騒ぎになっている。
帝(一条天皇)は七歳でいらっしゃるので、御輿には后宮(一条天皇の母宮、詮子)も同乗なさるはずなので、后宮付きの女房など、あれこれと世間ではたいそうな騒ぎである。女御代(ニョウゴダイ・御禊の時、通常は女御が供奉するが、何らかの事情で出せない場合には公卿の娘が務めた。この時は、兼家の娘の綏子が務めた。)の御事など、すべて世を挙げての関心事である。
かくて御禊の当日になると、東三条邸(兼家の邸)の北側の築地(土塀)を崩して、そこに御桟敷を設けて、宮たち(為尊親王と敦道親王)もご覧になられる。
その間の儀式の有様は、えもいわれぬほどすばらしく、一つの御輿に帝と后宮が同乗なさり、それに続いて、后宮付きの女房方の車が二十輛、それに帝の女房の車が十輛、女御代の御車など、すべていいようもなくすばらしい有様は、とても書き尽くすことなど出来ない。恒例通りのすばらしさなので推察されたい。
行列が切れる頃に、摂政殿(兼家)が姿を見せられた。御随身たちの交代もいわれず(官職により朝廷より賜る随身や私的な随身などがいる。)、いかにもふさわしい有様で姿を見せ、前駆の人たちは格別に美麗な者たちを選んでおられる。
何と見事なものだと目を奪われていると、東三条邸の御桟敷の御簾の片端を押し上げさせて、四の宮(敦道親王)が、様々な色を重ねた御衣に紫の上着を重ね、その上に織物の御直衣をお召しになって、御簾の片端から御身を乗り出されて、「これは、大臣(オトド)」とお声をかけられると、摂政殿は、「まあ、いけませんなぁ」と申されて、本当に可愛がっておいでのようで、優しい笑顔になられるご様子は、これを拝見している人たちも、ついつい微笑ましくなるのも当然のことである。
さて、その日も暮れましので、次は大嘗会のお支度を急がれるということでございましょう。
東宮(居貞親王)の御元服は十月のご予定でしたが、このように儀式やその準備が重なりましたので、延期ということで、十二月ということになったようでございます。
そして、いつしか十一月となり、大嘗会のご準備に世間はわきたって、天皇出御の帳上げ(トバリアゲ)の儀式など、作法のご準備も仰々しくなさっています。五節舞も今年は当世風の華やかなものなるとのことでございます。
この間は、摂政となられた兼家殿の権力が目に見えて大きくなっていった時期でもありました。
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