見事な往生 ・ 今昔物語 ( 15 - 2 )
今は昔、
元興寺(ガンゴウジ・奈良にあった大寺)に隆海律師(リユウカイリッシ・815-886。律師は僧官の一つ。僧正・僧都・律師の順。)という人がいた。俗称は清海氏(キヨウミシ)、もとは摂津国の河上(実在地不詳)の人である。幼い頃から魚釣りを仕事としていた。十七、八歳までは元服もせず童髪であった。
ところで、この摂津国の国分寺の講師に薬仁(ヤクニン・伝未詳)という人がいたが、長年の宿願があって、仏典を書写して供養しようとしていたが、ある縁があることから、元興寺の願暁(ガンギョウ・874没。多くの著作がある。)律師という人を講師に招請した。
やがて、供養の当日となり、かの隆海律師はまだ魚釣りの童であったが、その供養の場所に行き、見物しながら遊んでいたが、講師の説教を聞いて、たちまち「法師となって仏法を学びたい」と思う心が生まれて、家に帰ると父母に「私は大寺に入って、法師となって仏法を学びたいと思います」と申し出た。
父母はその申し出を許したが、すぐの事とは思っていなかったのに、この童は「私はあの講師がお帰りになるのを追いかけて、大寺に行って弟子になろう」と考えていて、次の日、願暁律師の帰り道に追いついた。
律師は童を見て、「お前はどういう者なのか」と尋ねると、童は「私はあの薬仁講師の近くに住んでいる童でございます。実は『大寺に入って、法師になりたい』という願いがありまして、参ったのでございます」と答えた。
律師はこれを聞いて、感心し、童を連れて元興寺に帰って行った。
その後、童は望み通りに出家して、律師のそばで日夜仕えて法文を学んだが、たいそう聡明で理解力に優れていた。されば、遂には立派な学僧となった。また、[ 欠字あり。他の文献から「真如法親王」が正しいらしい。]について真言密教も学んだ。
そして、貞観十六年(874)という年に維摩会(ユイマエ・維摩経を講説して本尊を供養する法会。)の講師を勤めた。元慶八年(884)という年に、律師という位となった。
ところで、この人はもともと仏道心が深く、常に念仏を唱えて、極楽に生まれたいと願っていた。それゆえ、いよいよ臨終を迎えた時に、沐浴して身を清めて、弟子に告げて、念仏を唱え、諸経のうち極楽往生に関する重要な経文を誦して、その声は絶えることなく、西に向かって端座して息が絶えた。一人の弟子が、師の頭を北にして寝かせた。
明くる朝、その姿を見ると、律師の右手は阿弥陀の定印(ジョウイン)を結んでいた。葬る時にもその印は乱れることがなかった。これを見聞きした人は、感動し尊ばない人はなかった。
その往生は、仁和二年(886)という年の十二月二十二日の事である。行年七十二。この人を元興寺の隆海律師といった、
となむ語り伝へたるとや。
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