ワールドカップで日本チームが見事決勝進出しましたが、この快挙を奇跡的と表現している人を見ました。テレビでですが、それもその道の専門家といわれている人がです。自称か他称か知りませんが、あの快挙を奇跡的と表現するのは、勝利を称えているのでしょうか、単に奇跡が起きただけだと言っているのでしょうか。
いずれにしても、私たちは「奇跡」とか「奇跡的」とかといった言葉を、安易に使い過ぎると思いませんか。
あらゆるスポーツにおいて、競技者同士の間で優劣があることは確かですし、それも歴然とした差があることも確かです。しかし、いやしくもサッカーほどに成熟した団体競技で、ワールドカップの本大会に進出してくるほどのチームであれば、可能性は低いとしてもすべてのチームに上位進出程度の可能性はあるのではないでしょうか。日本チームの決勝進出は、奇跡でも奇跡的でもなく、すばらしい快挙だと思うのです。
いえ、決して言葉尻をとらえようとしてこの話を持ち出したのではないのですが、どうも奇跡が安売りされているような気がしてならないのです。「奇跡の連続です・・・」などと表現する人もいますが、連続して起こるようなことは、果たして奇跡なのでしょうか。
実は、たまたま天文学に関する本を見る機会がありました。もちろん専門的な書物ではなく、それも読むというより見ると表現する方が正しいようなレベルでです。
その中に、「元素の誕生」に関する部分があり大変興味をひかれました。
私たちの地球には、自然界に安定的に存在する元素の数はおよそ九十だそうです。一番軽いのが水素で、一番重いのがウランですが、重い元素ほど作り出されるためには大きなエネルギーを必要とするそうです。
私たちの生存の源というべき太陽の膨大なエネルギーは、水素の核融合によるものですが、その膨大なエネルギーを以てしても、水素からヘリウム(二番目に軽い元素)を生み出すことしか出来ないのです。
つまり、地球上に存在している元素は、水素とヘリウムを除けば太陽程度のエネルギーでは生み出すことが出来ないのです。そして、その太陽にも多くの元素が存在していますが、それらはいずれも超新星爆発などにより放出された物質が集められたものだそうです。
太陽は、およそ一億個の超新星爆発が作り出した元素が集まっており、おそらく地球も同じようなことが言えるのではないでしょうか。
つまり、私たちは、この膨大な宇宙の営みの中で、奇跡的な集散を繰り返した結果、奇跡的な位置で奇跡的な時間の経過を経て、さらに、奇跡的な出来事を奇跡的なほどの回数を繰り返して誕生した地球に生きているのです。
現在私たちがこの星に生きていることこそが奇跡的なのですから、この世で起こることのすべてが奇跡的なのかもしれません。先に書きました、奇跡とか奇跡的とかという言葉を安易に使い過ぎるという意見は取消いたします。
( 2010.06.28 )
いずれにしても、私たちは「奇跡」とか「奇跡的」とかといった言葉を、安易に使い過ぎると思いませんか。
あらゆるスポーツにおいて、競技者同士の間で優劣があることは確かですし、それも歴然とした差があることも確かです。しかし、いやしくもサッカーほどに成熟した団体競技で、ワールドカップの本大会に進出してくるほどのチームであれば、可能性は低いとしてもすべてのチームに上位進出程度の可能性はあるのではないでしょうか。日本チームの決勝進出は、奇跡でも奇跡的でもなく、すばらしい快挙だと思うのです。
いえ、決して言葉尻をとらえようとしてこの話を持ち出したのではないのですが、どうも奇跡が安売りされているような気がしてならないのです。「奇跡の連続です・・・」などと表現する人もいますが、連続して起こるようなことは、果たして奇跡なのでしょうか。
実は、たまたま天文学に関する本を見る機会がありました。もちろん専門的な書物ではなく、それも読むというより見ると表現する方が正しいようなレベルでです。
その中に、「元素の誕生」に関する部分があり大変興味をひかれました。
私たちの地球には、自然界に安定的に存在する元素の数はおよそ九十だそうです。一番軽いのが水素で、一番重いのがウランですが、重い元素ほど作り出されるためには大きなエネルギーを必要とするそうです。
私たちの生存の源というべき太陽の膨大なエネルギーは、水素の核融合によるものですが、その膨大なエネルギーを以てしても、水素からヘリウム(二番目に軽い元素)を生み出すことしか出来ないのです。
つまり、地球上に存在している元素は、水素とヘリウムを除けば太陽程度のエネルギーでは生み出すことが出来ないのです。そして、その太陽にも多くの元素が存在していますが、それらはいずれも超新星爆発などにより放出された物質が集められたものだそうです。
太陽は、およそ一億個の超新星爆発が作り出した元素が集まっており、おそらく地球も同じようなことが言えるのではないでしょうか。
つまり、私たちは、この膨大な宇宙の営みの中で、奇跡的な集散を繰り返した結果、奇跡的な位置で奇跡的な時間の経過を経て、さらに、奇跡的な出来事を奇跡的なほどの回数を繰り返して誕生した地球に生きているのです。
現在私たちがこの星に生きていることこそが奇跡的なのですから、この世で起こることのすべてが奇跡的なのかもしれません。先に書きました、奇跡とか奇跡的とかという言葉を安易に使い過ぎるという意見は取消いたします。
( 2010.06.28 )
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