命を水に変える ・ 今昔物語 ( 5 - 11 )
今は昔、
天竺に五百人(大勢を表現する常套句)の商人がいたが、商売のため他国に向かう途中一つの山を通った。五百の商人たちは一人の沙弥(シャミ・見習い僧、あるいは在家の僧。優婆塞も同義。)を連れていた。ところが、一行は山道を間違えて深い山の中に入ってしまった。
その山は、人の足跡とてなく水も無い。そのため、この商人たちは、三日の間水が飲めなくて、喉が渇いてまさに死にそうになっていた。
その時、商人たちは、この沙弥に向かって、「仏は一切衆生の願いをお聞き届けくださる。めったにないことであろうが、三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道を指す。)の苦しみさえ代わってくださるとか。そこで、あなたはすでに頭を剃り、墨染の衣を着ているのだから仏の御弟子であろう。我ら五百人は、今まさに水に渇して死のうとしている。我らをお助け下さい」と言う。
沙弥は、「誠の信心でもって、助けよと思われるのか」と尋ねた。
商人たちは、「今日のこの命の生死は、ただあなたを頼みとするだけです」と答えた。
すると沙弥は、高い峰に登って、巌の下に座って、「私は頭を剃ったといえども、未だ修行を積んでいません。人を助ける力などありません。しかしながら、商人たちは『お前は仏弟子に似ている。自分たちの命を助けよ』と言って水を乞うていますが、弟子たる私には力が及びません。願わくば、十方・三世(四方・四隅・上下の全てと、過去世・現在世・未来世をいう。)の諸仏如来よ、我が頭の脳漿を水に変えて、商人たちの命をお助け下さい」と誓って、巌の先端に頭を打ちつけた。
すると、血が流れ落ちた。その血は変じて水となった。五百の商人と多くの牛馬は、この水を飲み十分満足して、命が助かった。
その沙弥というのは、今の釈迦仏である。五百の商人というのは、今の五百の御弟子たちである、
となむ語り伝へたるとや。
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