雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

上に立つ者は ・ ちょっぴり『老子』 ( 73 )

2015-06-19 08:19:12 | ちょっぴり『老子』
          ちょっぴり『老子』 ( 73 )

               上に立つ者は

大川も海も低い位置に在る

「 江海所以能爲百谷王者、以其善下之。故能爲百谷王。是以聖人欲上民、必以言下之。欲先民、必以身後之。是以聖人處上而民不重。處前而民不害。是以天下樂推而不厭。以其不争故天下莫能與之争。 」
『老子』第六十六章の全文です。
読みは、「 江海(コウカイ・大きな川や海)の能(ヨ)く百谷(ヒャクコク)の王たる所以(ユエン)の者は、其の善く之に下るを以ってなり。故に能く百谷の王となる。是を以って聖人が民に上たらんと欲すれば、必ず言を以って之に下る。民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以って之に後れる。是を以って聖人は上におるも民重しとせず。前におるも民害とせず。是を以って天下楽しみ推して厭わず。其の争わざるを以っての故に天下能く之と争う莫(ナ)
し。 」
文意は、「江海が百谷の王であるわけは、それが百谷に下って低い位置におるからである。それ故に百谷の王になれるのである。従って聖人は、人民の上に立とうと思えば、必ず言葉で自分を「孤」などとへりくだって呼ぶ。人民の先に立とうと思えば、必ず自分の身を後ろに退く。だから、聖人が上に居ても、人民はその存在を重いと思わず、前に居ても、人民はその存在を障害だと感じない。そこで天下の人々は、楽しんでこの聖人を推し、少しも厭わない。聖人が争わないから、天下の人々で聖人と争おうとする者もいないのである。 」

この章も、為政者のあり方について述べています。
ここでの聖人は、為政者すなわち王侯を指すのでしょう。
大きな川や海が百の谷の王者であるゆえんは、一番低い位置に身を置いているからである、という文章から展開していますが、『老子』の一貫した考え方が述べられていると思われます。

へりくだることも難しい

「上に立とうと思えば、下に身を置け」「前に立ちたければ、身を後ろに退け」といった考えは、『老子』のあちらこちらに登場してくる教えです。
そして、これは、何も王侯・貴族が学ぶべきことに限らず、私たちの日常にも十分通じる教えともいえます。

しかし、現実問題として、「へりくだる」と簡単に言うことは出来ても、実際に行うことはなかなか難しいものです。
見え見えの謙遜は、時には限りない嫌味に見えることは、時々経験するところです。
やはり、「へりくだる」ということを、嫌みなく真実として相手に伝えるためには、それなりの訓練と、何よりもそれなりの人柄が必須条件のようです。

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