雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

家は近衛の御門

2015-02-07 11:00:40 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第十九段  家は近衛の御門

家は、
近衛の御門、二条宮居、一条もよし。

染殿の宮、清和院、菅原の院。

冷泉院、閑院、朱雀院。

小野宮、紅梅、縣の井戸。

竹三条、小八条、小一条。



現代文訳は不要の章段です。
家とは、ふつう上流貴族などの大邸宅のことですから、冒頭の「近衛の御門」とは陽明門のことを指しますので不自然として「九重の御門」すなわち内裏だとする説もあります。
一方で、一部は物語や和歌を意識したと考えられるものもあり、邸宅に拘る必要はないという考え方もあります。

いずれにしましても、この章段は、少納言さま自らご案内の、平安の京都ツァーと考える方が自然ではないでしょうか。
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清涼殿の丑寅の隅の

2015-02-06 11:00:57 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二十段  清涼殿の丑寅の隅の

清涼殿の丑寅の隅の、北のへだてなる御障子は、荒海のかた、生きたるものどものおそろしげなる、手長足長などをぞかきたる。上の御局の戸をおしあけたれば、つねに目に見ゆるを、憎みなどして、笑ふ。
   (以下割愛)


清涼殿の東北の隅(鬼門にあたる)の、北の仕切りにしている障子は、荒海の絵で、恐ろしい生き物、そう、手長足長(古代中国の想像上の怪物)などが描かれています。
弘徽殿の中宮様の居間の戸を開けていますと、その気味の悪い絵がいつも目に入りますので、女房たちは憎らしがったりして、笑っています。

高欄の所に青磁の大きな瓶が置かれていて、桜のとても美しく咲いた五尺ばかりの枝をたくさん差していますので、高欄の外まで咲き乱れています。
その昼頃、大納言(中宮の兄、藤原伊周)殿が桜重ね(表白、裏紫)の直衣の少し着ならしているのに、濃い紫の固文(カタモン・織り方の種類)の指貫(袴)をはき、幾枚かの白い下着を着て、上には濃い紫の綾織物の大変鮮やかなものを粋に着て参内して来られましたところ、天皇がこちらに参られていたものですから、戸口にある板敷にお座りになって中宮様とお話などされています。

お部屋の御簾の内では、女房たちが桜重ねの唐衣を一同がゆったりとすべらして着て、藤重ねや山吹重ねなど、さまざまな色合いは実に快く、小半蔀の御簾の下から袖口など押しだしています。
そしてその頃、昼の御座(ヒノオマシ・天皇の昼間の御座所)の方では、天皇のお膳をお運びする蔵人たちの足音が聞こえてきます。

「おーし」という先を払う声が聞こえてきますのも、うらうらとのどかな春の景色に溶け込むようにまことに結構で、食事の準備が整った旨申し上げると、天皇は中仕切りの戸よりお出でになられました。
大納言殿は、廂を通ってその御供に着き、昼の御座まで御供のあと、先程の花のもとに戻り控えておられます。

中宮様が、御几帳を動かされて、親しく私たちが控えている辺りまでおいでになられましたので、その様子が実に好ましく、お付きの女房たちはうちとけた何の憂いもない気持ちでお仕えしていますと、
「月も日も かはりゆけども ひさにふる 三室の山の」と、大納言殿が実にゆったりと歌いだされたのがたいそう趣があり、ああ、いつまでもこのように穏やかでありたいと思う雰囲気でした。

お食事にお仕えしていた上臈女房たちが、後片付けの蔵人たちをお呼びになるかならないうちに、天皇はこちらにお出でになってしまいました。
中宮様が「御硯の墨をすりなさい」と命じられましたが、私はもう上の空で、ただ天皇がお出でになるご様子に見とれていましたので、あやうく墨継ぎ(短くなった墨を挟んで使う道具)を落としてしまいそうになりました。

中宮様は白い色紙を押し畳んで、「これに、たった今、思い浮かぶ古歌を一つずつ書きなさい」と仰せられました。
私は外に座っておられる大納言殿に「いかがでしょうか」と申しあげますと、「あなた方が早くお書きなさい。男子が口出しすることではございませんよ」と、色紙を御簾の中へ戻されました。

中宮様は、御硯をこちらへお渡しになり、
「さあ、早く早く、あれこれと思案しないで『難波津』でも何でも、ふっと浮かんでくる歌を」
と急かされますと、どうしてこれほど気後れしてしまったのでしょうか、まったく、顔まで赤くなって、途方に暮れてしまったのです。
(『難波津』は、手習いの最初に学ぶ和歌で、当時だれでもが知っていた。『難波津に 咲くや木の花 冬籠り 今は春べと 咲くや木の花』)

中宮様のお言葉に、春の歌や花の心などを上席の女房たちが二つ三つお書きになって、
「さあ、次はあなたがここに書きなさい」と言われましたので、
「年経れば 齢は老いぬ しかはあれど 花をし見れば もの思ひもなし」という古歌を、「君をし見れば」と書きかえたのですが、中宮様はお比べになって、「そう、このようなそなたたちの即興の才を知りたかったのですよ」と仰せられ、さらにお言葉を続けられました。

「円融院の御時のことですが、帝が『この草紙に歌を一つ書け』と殿上人たちに仰せられになりましたが、たいそう書きにくく、辞退申し上げる人たちがいたそうです。そこで、『それでは、字の上手下手や、歌が季節に合っているかどうかなども構わないことにしよう』と仰せられるので、仕方なく、皆が書きました中に、ただいまの関白殿(中宮の父道隆)が、三位の中将と申しあげた頃で、
『汐の満つ いつもの浦の いつもいつも 君をば深く 思ふはやわが』という歌の末の句を、『頼むはやわが(信頼しています、私は)』とお書きになったのを、帝はとてもお誉めになったそうです」
と仰せられますので、私はますます恥ずかしく汗が吹き出る思いでした。

「歳の若い人では、とてもそうは書けないような言葉の綾だったのでしょうが、私の年齢だから書けたのでしょうね」などと思っています。
いつもは上手に書ける人でも、あいにく皆さん気後れしてしまって、書き損じる人もありました。

中宮様が古今集の綴本を御前にお置きになって、いろいろな歌の上の句を仰せになって、『これの下の句は、いかに』とお尋ねになりますのに、どなたも夜も昼も心にかけていて暗誦している歌もありますのに、すらすらご返事できないのは、どうしたことなのでしょう。

宰相の君(才女として名高い女房)が十首ばかりを、やっとの思いで答えられました。まして、五首か六首しか分からない場合は、思い浮かびませんとお答えすればいいのでしょうが、
「まさか、そんなにそっけなく答えてしまって、せっかくの仰せごとをつまらないものにすることなどできません」と思案し、しょげたり残念がったりするのですが、その様子もおもしろいのです。

知っていると申し上げる人のいない歌は、やがては全部をおよみになり、しおりを挟まれるので、
「これは知っている歌なのに」
「どうして、こんなに駄目なのでしょう」
と女房たちは口々に嘆いています。その中にあっても、古今集をたくさん書き写しなどしている人は、全ての歌を覚えていてもいいものですのに、とも思うのですが。

そこで中宮様は、
「村上天皇の御時、宣耀殿の女御(センヨウデンノニョウゴ)と申しあげるお方は、小一条の左大臣(藤原師尹)の御娘であることはどなたも御存じでしょう。
その御方がまだ姫君であられた時、父君がお教えになられたことは『第一には御習字のけいこをしなさい。次には御琴が格別上手に弾けるよう心掛けなさい。そのうえで、古今集の歌二十巻を全部暗誦するのを学問としなさい』と指導されていたことを、帝はかねてお聞きになっておられました。

そこで、帝は御物忌(外出接客を控えて災厄を避ける陰陽道の習慣)の日に、古今集をお持ちになり几帳で女御との間を仕切られましたので、『いつもとは様子が違う』と思っていますと、帝は草子を広げられて、『其の月、何のをり、其の人のよみたる歌は、いかに』と問いかけられましたので、女御は『ああ、こういうことだったのだ』と合点がいきおかしく思われましたが、同時に『間違えて覚えていたり、忘れているところがあったりすれば、大変なことになる』と、とても心配されたことでしょうね。

帝は、歌について暗くない女房を二、三人ばかりお召しになって、碁石を誤りの数だけ置いていくようにして、女御に無理にご返事するように申されたご様子などが、どれほどすばらしくおもしろかったことでしょう。
その御前に控えておられた方々までが、うらやましく思われます。

帝が無理に答えさせますので、女御もあまり利口ぶらないように末の句までは申しませんでしたが、すべてが露ほどの間違いもなかったそうです。
『何とか少しでも間違いを見つけたうえで終わりにしよう』と、帝は悔しいほどに思われましたが、とうとう十巻にもなってしまいました。
『全く無駄なことをしてしまった』と、帝は草子にしおりを挟んで、お休みになりましたが、なかなかにすばらしいことでした。

帝は大分長い時間お休みになられましたが、お起きになると『やはり、このことの勝ち負けをつけず終わらせるのは大変よろしくない』と仰せられ、下の十巻を『明日になれば女御が別の草子で準備をする』と思われて、『今日のうちに決着させよう』と灯火をつけさせて、夜が更けるまでかかって残りをお読みになられました。
けれども、女御は最後までお負けにならなかったそうですよ。

帝がおやすみのあと女御の御座所に戻られてから、こういう事態になっていますと側近の人が御父の殿にお知らせになったので、女御の御実家は心配のあまり大変な騒ぎになってしまい、御誦経などたくさんおさせになり、内裏の方角に向って、祈り通していらっしゃったそうです。
まことに風雅で、感動的な話ですねぇ」
などと、中宮様の素晴らしいお話を、天皇もお聞きになっていて感心なさっていました。そして、「私は三巻、四巻さえ終えることができないだろう」と仰せられました。
「昔は、それほどでもない人でも優雅だったのですね」
「近頃は、このようなお話を耳にするでしょうか」
などと、中宮様の御前に仕える女房たちや、天皇に仕える女房でこちらに出入りできる人たちが参上して、口々に感想など述べあっている様子は、まことに何の憂いもなく、すばらしいひと時でした。



この章段は大変長文ですが、少納言さまが出仕してまだ日の浅い頃のもののようです。
中宮定子の実家である中関白家の絶頂期でもあり、宮中生活のひとこまがゆったりと描かれている部分でもあります。
現在の私たちにとって、平安王朝の繁栄の一端を垣間見れるような描写だといえましょう。
もしかすると、このあたりの文章は、千年後の私たちへの少納言さまのレポートなのかもしれません。
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魅力溢れる中宮定子

2015-02-05 11:00:24 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子   ちょっと一息

魅力溢れる中宮定子

「清涼殿の丑寅の角の・・・」に始まる枕草子第二十段は、中宮定子の教養溢れる姿を描いています。
少納言さまが出仕して間もないころの体験が、ゆったりと、そして誇らしげに描写されています。
この時、少納言さまが二十九歳、中宮定子は十八歳の頃のことです。

原文はごく冒頭部分だけで申し訳ありません。
現代文の部分も、何分拙い意訳ですので果たしてどの程度雰囲気を伝えることが出来ているか心配ではありますが、ぜひご一読いただき、魅力溢れる中宮定子の姿を思い浮かべていただければ幸いです。
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生いさきなく

2015-02-04 11:00:28 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二十一段  生いさきなく

生いさきなく、またやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、いぶせく、あなづらはしく思ひやられて、「なほ、さりぬべからむ人のむすめなどは、さじまじらはせ、世のありさまも見せならはさまほしう、内侍のすけなどにて、しばしもあらせばや」とこそおぼゆれ。
   (以下割愛)


将来性がなく、小さくまとまっていて、いい加減な幸せを本物の幸せだと思って満足しているような女性は、気づまりだし、ばかばかしい気がしますので、「やはり、しかるべき身分の人の娘などは、宮中に出仕させて、世間のことを見慣わせたいし、内侍などになって、しばらくでも経験させたいもの」だと思います。

宮仕えをする女性を、軽薄で悪いことのように言ったり思ったりする男性がいますが、大変憎らしい。そうでしょう、私が憎らしく思うのも当然ですわよね。

宮仕えをすれば、畏れ多くも天皇をはじめといたしまして、貴族や殿上人など高貴な方はもちろんのこと、顔を合わせない人は少ないのです。
女官の従者や里から出てくる人とも会いますし、雑用を務めている下級の女官や役人、さらには、もっと身分の低い人とでも会うのを避けるようなことはありません。
それに比べ、男性の方といっても、これほどあらゆる階級の人と会うことなどないでしょう。ただ、殿上勤めのお方は、女房と同じようにいろいろな階層の人とお会いするのでしょうが。

宮仕えの経験のある人を奥方として迎えるには、うぶさがなく、奥ゆかしさを感じないというのも道理かもしれませんが、そのかわり、「内裏の内侍のすけ」などといって、時々参内し、賀茂祭りの使いなどで行列に加わったりするのは、夫として名誉なことではないのですか。

宮仕えの経験のあと家庭をしっかり守っているのは、特に結構なことです。地方官の夫人になって、晴れの行事などを取り仕切る時、何から何まで人に尋ねるというようなことはしなくてすみます。
そういう時にうまく仕切ることこそ、本当の奥ゆかしさなのですよ。



冒頭部分は、現代サラリーマンにとって、なかなか耳の痛い指摘です。ときどき少納言さまが、きつい性格で嫌な女だと誤解を受けることがあるのは、このあたりにも原因があるのかもしれません。
それは全くの誤解だと、特に強調しておきたいと思います。

全体としては、宮仕えするする女官たちの擁護論といえますが、宮仕えする人を軽薄だという男性がいるとクレームをつけるあたりは、少納言さまもキャリアレディとしてのストレスがお有りのようです。
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すさまじきもの

2015-02-03 11:00:00 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二十二段  すさまじきもの

すさまじきもの。
昼ほゆる犬、春の網代、三、四月の紅梅の衣。
牛死にたる牛飼、ちご亡くなりたる産屋、火おこさぬ墨櫃・地火炉。
うちつづき女児生ませたる。
   (以下割愛)


不調和で興ざめなもの。
昼間ほえる犬。春まで残っている網代。三、四月に着る紅梅の着物。
牛が死んでしまっている牛飼。乳飲み子が亡くなってしまった産屋。
まだ跡継ぎの男児がいないのに、続けて女の子を産ませている。

方違えで行ってももてなししない所。ましてそれが節分違えなどである時はとても興ざめです。 
地方から来た手紙に贈り物が付いていないもの。京からの手紙でも同じことを思うことでしょう。でもそれには、都の知りたい便りなどが伝えられているのですから、贈り物がなくても、ずっと良いものです。

特別丁寧に書いた手紙の返事を待ちかねて、「もう持ち帰る頃なのに、ひどく遅いな」と思っているところへ、先ほどの手紙を、正式の形式を備えた書状なのにひどく汚らしく取り扱い、ぶよぶよにし、上に引いてある墨なども消えてしまい、その上、不在だとか物忌とかで持ち帰ってくるのは、大変がっかりして興ざめしてしまいます。

また、必ず来るはずの人の所に車を迎えにやり待っている時に、来る音がするので、どうやら来たようだと、人々が出てみますと、牛車を車庫に引き入れてしまい、轅(ナガエ)をポンと打ちおろすのを、「どうしたのだ」と尋ねますと、「今日はよそにお出かけとかで、こちらへはお越しになりません」などと無造作に言って、牛だけ曳き出して帰って行くのは、まったく興ざめです。

また、家に迎えていた婿君が来なくなってしまったのは、たいそう興ざめなことです。
相当な身分の人で、宮仕えする女のもとに夫を取られて、取り残された妻が、恥ずかしいことだと家の中に閉じこもっているのも、全くみっともないことです。

乳飲み子の乳母が、「ほんの少し」といって出かけたので、その間乳飲み子を何とか機嫌を取って遊ばせて,「早く帰ってくるように」と乳母の家に車を迎えにやって言わせたのに、「今夜は帰れそうもありません」ということで、車を返してよこしたのは、、興ざめなだけでなく、とても憎らしくて我慢がなりません。
まして、愛人である女性を迎える男が、こんな目にあったら、どんな気がするでしょう。

待つ人がある女の家に、夜が少しふけてから、あたりをはばかるようにそっと門をたたくので、胸が少しどきりとして、人を出して尋ねさせると、その人ではない別のくだらない人が名乗ってやってきたのは、「返す返すも興ざめだ」というさえ馬鹿らしいほどです。

修験者が「物の怪を調伏する」ということで、いかにも自信ありげに、「よりまし」(一時的に霊などを取りつかせる人や人形)に法具や数珠などを持たせて、蝉のような声を絞り出して経を読み続けても、物の怪は少しも退散しそうな様子もなく、護法童子という鬼神さえもつかないものですから、一家全員が集まって祈念をこらして座っているのですが、そのうち男も女も「どうも変だなあ」と思っているうちに、所定の時間が過ぎるまで経文を読み続けて疲れてしまい、「いっこうに護法つかない。立ちなさい」と言って、「よりまし」から数珠を取り返して、「あーあ、ひどく効き目がないなあ」と言って額から上の方に手でしゃくるように撫で上げて、あくびを自分が先に立ってして物に寄りかかって寝てしまうのですよ。まったく何と興ざめでしょう。

ひどく眠たいと思う時に、たいして好意も感じていない人が、揺すって起こし、無理に話し掛けてくるのは、大変に興ざめなものです。

除目に官職を得られぬ人の家、これは興ざめなものです。
「今年は必ず任官できる」と聞いて、以前仕えていた者たちで、今は他家に行ってしまっている者や、近郷に引っ込んでいるような者たちが、みなこの家に集まって来て、出入りする訪問客の牛車の轅に隙間が見えないほど集まり、任官祈願の物詣でをする供に、「われもわれも」と随行参詣し、物を食べ酒を飲み、大声に騒ぎ合っているのに、任官の詮議が終わる夜明け方まで、吉報をもたらす使いが門をたたく音もしない。

「妙なことだ」などと、耳を澄まして聞いていると、先払いの声などが次々として、上達部などがみな宮中から出ておしまいになる。情報を掴むために、前夜から役所のそばで寒さにぶるぶる震えながら控えていた下男が、とても憂鬱そうに歩いてくるのを見つけた家内の者たちは、結果を尋ねることさえできない。
外から来合わせた者などが、「殿は何におなりになったか」などと尋ねると、その答えとしては「何々の前の国司ですよ」などと、きまって応じるのですよ。本心から期待していた者は、「実に情けない」と思っていることでしょう。

翌朝になると、ぎっしりと詰めかけていた者たちが一人二人と、こっそりと抜け出して、帰ってゆく。古くから仕えている者たちで、そうそうあっさり離れていくこともできない者は、来年に国司の交代がありそうな国々を、指を折って数えたりして、家の中をのっそりのっそりとうろついたりしている姿は、たいそう気の毒で、興ざめなものに見えます。

「まず良く詠めた」と思う歌を手紙に書いて人のもとに贈ったのに、返歌をしてこないのですよ。片思いの恋人であれば、返事がなくて仕方のないことでしょうが。
たとえそのような場合でも、季節の風情などを折り込んで贈った手紙に返歌をしてこないのは、幻滅してしまいます。

また、人の出入りも多く、今をときめく人の所に、世間から忘れられたような老人が、自分が退屈で暇を持て余している日頃のくせで、昔のよしみを思いだして、大しておもしろみもない歌を詠んでよこしたのは、興ざめなことです。

儀式用の立派な扇を、「格別大切なもの」と思って、その方面の心得があると思っている人に渡しておいたのに、その当日になって、思惑違いのとんでもない絵などを描いて返されたのですよ。

出産のお祝いや旅立ちの餞別などの使いに、ご祝儀を与えない人には、がっかりします。ちょっとした薬玉や卯槌(クスダマ・ウヅチ、ともに厄除けなどの縁起もの)を持って歩きまわる者などにも、やはりご祝儀は、ぜひ与えるべきです。
予想もしていなかったのに、思いがけずご祝儀をもらった時は、「たいへん使いのしがいがあった」と思うことでしょう。反対に「これは必ずご祝儀をいただけるはずの使いだ」と思って、胸をときめかせて行った場合は、もし無ければ、とりわけがっかりするものですよ。

婿を迎えて、四、五年たっても子供ができず産屋の騒ぎをしない家も、とてもさびしいものです。
もう成人した子供がたくさんあり、へたすると孫でも這いまわっていそうな歳の親どうしが昼間から寝床に入っているのですよ。そばにいる子供たちの気持ちにしても、親が寝床にいる間は、よりどころがなく、それはなんとも興ざめなものでしょうね。

大晦日の夜、一度寝たあと、また起きて精進潔斎のために沐浴するのは、寒い中でもあり、興ざめどころか腹立たしくなってしまいます。
大晦日の長雨。「たった一日の精進が守れないで」という諺もありますが、こういう長雨を「一日だけの精進潔斎」とでも言うのでしょうね。



「すさまじきもの」とは、不調和からくる興ざめで不愉快なもの、その場にそぐわないもの、季節はずれなもの、などといった意味です。

この章段には、多くの事項や情景が描かれています。個別の事柄の他、加持祈祷の様子や任官を逃した人の話などはなかなか興味深く、さらには、際どいほど艶めいた部分もちりばめられています。
例えば最後の部分は、大晦日の夜は元旦に備えて沐浴潔斎が習わしでしたので、一度沐浴を済ませていたのに再び湯浴みしなくてはならなくなったという、何とも艶っぽい話なのです。

ただ、この「すさまじきもの」を現在の私たちの言葉で表現するのはなかなか難しいように思われます。私も「興ざめする」という言葉を何か所かで使っていますが、意味は伝わるとしましても、日常あまり使わない言葉のように思います。
少納言さまがそれぞれの場所で使われている「すさまじきもの」の現代語訳を考えるだけでも楽しいのではないでしょうか。
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たゆまるるもの

2015-02-02 11:00:26 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二十三段  たゆまるるもの

たゆまるるもの。 
精進の日の行ひ。
遠きいそぎ。
寺に久しく籠りたる。


つい気がゆるんでしまって怠りがちになるもの。
精進の日のお勤め。
当日までに長い期間があることの準備。
寺に長く籠っていること。
どれも、自然に気がゆるんでしまいます。



この章段は、大変わかりやすい内容です。
少納言さまも、案外私たちとあまり違わない神経の持ち主だったようで安心するのですが、分りにくい部分もあります。
最初の精進の日の行いの、「行い」をお勤め、すなわち勤行と説明されているものが多いのですが、少々納得性に乏しいようにも思われます。
精進の日の勤行が特に長いため「たゆまるる」状態になる、ということも考えられますが、この日は、なまぐさ物を遠ざけているため、乞食への施し物が乏しくなり、つい施しを怠ってしまう、という方が納得性があるように思います。当時、そのような風習があったようです。
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人にあなづらるるもの

2015-02-01 11:00:04 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二十四段  人にあなづらるるもの

人にあなづらるるもの。
築地のくずれ。
あまり心よしと、人に知られぬる人。


人に軽んじられるもの。
築地が崩れていること。
あまりにも人が良いと、世間に知られている人。



少納言さまは、人に軽んじられるものとして、たった二つだけあげています。厳しい目をお持ちの少納言さまにしては、たいへん控え目な気がします。
伝えられているものによっては、あと二つ三つ加えられているようですが、あまり具体的な事例を書き並べますと差し障りのある人が周囲に多過ぎたのかもしれませんね。

それにしても、人が良すぎるとまわりに知られている人が馬鹿にされるのは、千年前にはすでに常識だったのですね。
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