丹下の功績として、国土計画への貢献、建設業への先行事例提供、公共建築への特化、構想と社会牽引の建築家像としている。要は、政治に関与、ゼネコン支配、目立つ建築、メディア連携だ。国土計画への貢献というより広島での都市軸の設定は認めるがその他の実績はメガ・ストラクチャーの提案だけではないか。
結論は丹下シューレ(学派)を都市計画と建築の関わりから「全体から部分へ」の浅田、下河辺、「部分から全体へ」の大谷、槙に分け、メディア利用で「父殺しの建築」の磯崎、黒川と「言語一致の建築」の神谷、谷口と区分している。
知見は多い:
・藤森照信によると今和次郎は風俗を扱うのが早すぎた
・丹下は伝統建築の比例関係をコンクリートに活用、桂離宮もむくり屋根をトリミングすると近代的均衡がある→そのとおり
・下河辺は産業クラスターに着目、インフラ投資と他の地域への負の影響にも言及、東京一極集中の投機、地震、機能集約における課題を懸念、「展都」へ→沙汰止みに、これは惜しい。今に続く東京一極集中へのカウンターだった
・槙文彦の「奥」と都市景観への配慮
・アーバニスト磯崎は政治・経済にコミット、イベント・プランニング→意味性を持つ建築表現
・黒川紀章は利休ねずみで利休を目指したが天下人秀吉に変化、政治家に
・谷口吉生は社会性がなく、建築的でメッセージがない→建築家として真っ当と思うが
高度成長時代の大胆な構造と和風による建築家を思っていたら弟子がすごい。アメリカではエーロ・サーリネンが早稲田の穂積信夫(習いました)、ケヴィン・ローチやシーザー・ペリーと同じようなスクールがある。