虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

とてもスバラシイ作品の数々~♪ ちょっと反省も…… 6

2010-09-21 07:09:25 | はじめに
ふうせんファミリー♪
かわいい作品ですね。家族の仲が良さそうですね。


大阪で工作イベントをした後、伝える難しさについて
いろいろと考えました。
そして何が問題なんだろう……?と考えていて、

「人を評価する」という形があまりに日本の社会に浸透していて、

どんなささいなトラブルも、アドバイスも、
自分の悪い点を指摘された、攻撃されたとなってしまって、

反発して他罰的になるか、
反省しすぎて自罰的になるか

どちらかに激しく反応してしまうことによるように
感じました。

たとえば、私が、

「子どもが自由に知らない子とも交流できるような雰囲気を
大人たちが作リ出していく大切さを感じたのです。
また、あまり口出しせずに、
評価や作品の出来にこだわらず、子どもの長所を見つけることや、
子どもが何を楽しんでいるのか、どんな興味を抱いているのかに
フォーカスできにくい空気があったのが少し残念でした。」

と書くと、

人のいる場所で緊張してしまう方や人見知りのある方まで、

「そうした場で、交流しなきゃいけない、人とコミュニケーションを取らなくちゃ」というプレッシャーを自分にかけちゃうように
思えるのです。

私自身は、それぞれ個人個人が「正しい何か」である必要はないし、
「正しい」態度というのも
存在しないと思っています。

言葉にするのが難しいのですが……

「子どもが自由に知らない子とも交流できるような雰囲気を
大人たちが作リ出していく大切さを感じたのです。」と書くと、

私が、「社交的にすぐうちとけることができない人を、
評価したり判断をくだしたりしている目でながめている」という
伝わり方をして、
私がよしとする態度や性質を演じなきゃ、そうならなきゃ
会ったときに、批判的な目で見られるのではないか……
という伝わってしまいがちなのです。

どうして、そうなるのか?

それは、日本や社会があまりに検品作業をするように人も子どもも眺める
癖が定着しているからではないでしょうか?

私自身は、微妙なところで、複雑な立場にあって、
人としては親御さんに何の評価する気持ちもないけれど、

親の子どもへのかかわり方が子どもの問題行動を誘発していたり、

発達上に問題がなさそうな子なのに、
親が子に、このままの接し方を続けていると、
目でものを集中して見れない、人の話が聞けない、コミュニケーションを避けるなどの問題がおきそうな場合は、

そうした障害を避けるために、
少しポイントをアドバイスすることがあります。

でも、だからといって、心の中で、
そのお母さんの子育てが「まちがっている」とか、
その方が「ダメだ」と思っているわけではありません。
最初から何もかも知っていてうまくできる人がいるわけないですよね。

子どもが2歳なら、ママも2歳。
子どもが3歳なら、ママも3歳。

子どもが、あいさつの仕方や食事のマナーを
大人から少しずつ習っていくのと同じように、
大人だって子育ての偏った部分を、少し修正して、リラックスして
楽しみながら子育てしていけるように先輩ママから学んでいく
場面もあって普通なのです。

でも、今、子どもをしつけるときも、子どもの嫌な部分を見たくないというように全てに目をつむるか、しつけるとなると、
なぜか、子どもの存在を全否定することになってしまうという方がいます。

また親も、今の自分に「ひとつでも直す部分がある」ということは、自分が
ダメな母親だと評価をつきつけられたことだ~
ととらえてしまいがちなのです。

幼稚園や小学校に行かせるまでに
あれこれ就園、就学準備をするのも、
まるで完成品の出荷のような雰囲気があって、

人の前に子どもを出す=検品作業を受ける

と感じているふしがあるのです。
ですから、そこには、他の影響を受けながら学んでいく、成長していく
というゆるやかな空気はありません。

いつも、親にとって子どもは先生に提出する「小テスト」か「テスト」か学期末「テスト」なのです。
先生たちも、「点数」を返すことに忙しくて、
子どもを育む、育てる、成長を見守るという発想が
ないかのように見えることがあります。

もちろん、上の話はたとえ話です。

子どもが「テスト」だ

ということは、他人の目にわが子がどう映るか……
そうした評価の積み重ねが子育てのようになっているということです。

本当は子どもはいつも成長の経過点にいるのですから、
まだ「パンだねこねている最中に
焼き上がりのテスト」してもしょうがない~

といったものですよね。
必要なのは、こねが甘かったら、「いっしょに手伝いましょうか?」と
声を掛け合える間柄です。

たけのこのサイズ見て、どれほど高い竹に成長するかだれも
わかりませんよね。
ただ、土壌や日光などの問題に
慣れている人が気づいたら、より良い環境になるよう手助けする~
それだけです。

そうした助け合いの輪にいて、環境を整えてもらったから、
たけのこが悪いわけでも、そのたけのこの世話役が悪いわけでもありません。

お互いにじゅんぐりに成長しているだけです。

大阪での工作イベントで主催の方に、「3ヶ月に1度くらい工作に来ていただけませんか?」という相談を受けたのですが、
「工作は、まだキツイんじゃないかな……」とお答えしました。

子どもたちの月齢や親子の学習の様子から、
工作遊びより先に、
「見立て遊び、空想遊び、じゃれる遊び、絵本大好きクラブのような遊び」
が適しているように感じたからです。
でも、それって、このお母さんたち子どもたちはダメだ~と思ったから……
そう判断したから……ではないのです。

そんなに急がず、ひとつひとつ今、楽しい遊びをして、
今、必要な学習をする……
それがちょうど良いことだと感じているからなんですよ。

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6 コメント

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Unknown ()
2010-09-21 09:39:24
記事とはずれるのですが、
記事の「目でものを集中して見れない」という文章が目にはいりました。

最近になりようやく対象物をみる事が出来るようになってきている気がしますが
やはり、基本的に息子は目でものを集中して(じっくり)みることが苦手なようです。

息子は工作が好きなのですが、作品はいつも大雑把なできあがりです。
本人は時間を掛けずにぱぱぱっと作りたいんだろうと思って口出しはしていませんが
息子は
「自分が作ってもいつも思い通りに仕上がらない。ぼろぼろになってしまう。
自分が作りたいものはこんな(仕上がり)のものではない」と自分への駄目だしばかりいいます。

なので「それには、まず作る前によく考えることと、作りたいものをよーく見ることが大事だよ」と
伝えたのですが、元々物をじっくりみる事が苦手な息子には高い壁のようです。

折り紙とかいいかなぁと思ったのですが、側にいて一緒に折っても最後は頭が混乱して
出来ない自分が悔しくて泣いて騒いでしまいます。
6歳の子供に負担にならない形でじっくりみる練習(生活での心がけ)の
何かいいアイディアはありましたら教えていただけないでしょうか。
返信する
目からうろこでした (ひなママ(ヒュ~ママ))
2010-09-21 13:10:16
子供が二歳なら親も二歳・・・
妙に納得しました。
言われてみると、確かにそうですね・・・
肩の力を少し抜いて子育てすると自分も子供も楽かもしれないですね^^


工作遊びより先に「見立て遊び、空想遊び、じゃれる遊び、絵本大好きクラブのような遊び」
が適しているように感じたから・・・・
↑この言葉に はっ! としました
工作って形に残るし、子供と作った工作について後から色々と話が出来るし・・・という思いから娘と工作をしていましたが、見立て遊びや空想遊びetc・・・の方を娘は好んでいます。
1人で遊ぶときは空想遊びが殆ど。。。。
娘の遊び方に気をつけていたつもりでしたが・・・ 
本当に子育て日々勉強です^^;
返信する
Unknown (どらどら)
2010-09-21 20:50:31
記事を読んで、反省・・・
子供が「テスト」になっている自分がいます。
常に周りの目を気にして・・・


子供の成長を見守り、焦らずに子供と向き合っていこうと思いました。


返信する
Unknown (はちboo)
2010-09-21 22:01:54
「一緒にお手伝いしましょうか?」

この言葉、上の息子のときに声をかけてもらった嬉しかった言葉です。

でも今この言葉を誰かに声をかけるとき、
すごく躊躇している自分がいたりと矛盾しています。

やっぱりほっといてほしいかな?逆に迷惑なのかもな?なんて思ったりして。

でも、この記事を読み、少なからず自分はあの時声をかけてもらえただけで嬉しかったから、いろいろ考える前に、とにかく声をかけてみよう!!と思い直しました。

まだ私も子供が「テスト」になっている自分がいます。
子供とともに修正しながら成長していきたいです。
返信する
心に響きました (うみかぜ)
2010-09-21 23:45:37
子どもの成長を「検品作業」や「テスト」のように点数で測るものではない・・・
日々の子育ての中でこれが私にとって一番気をつけなければ・・・と思っていることです。
でも、いろんなところで他人の目が気になったり、評価をしやすい点数で測りたくなってしまうというか、そのような一見わかりやすく、時として絶対的に見えるものに頼りたくなる自分もいます。

なぜだろうと時々思うのですが、自分自身も「検品作業」にさらされ続けたからなんでしょうか?学校や職場ではもちろん、子どもの乳児健診もそのように受けとめていたと思います。

「他の影響を受けながら学んでいく、成長していくというゆるやかな空気」
「土壌や日光などの問題に慣れている人が気づいたら、より良い環境になるように手助けする」
このような環境というか、懐の深さがある社会だったら、子どもを素のままに観て、親も自分が知らなかった世界や自分の成長を楽しめるだろうと思います。

まずは、自分の曇った目や心の硬くなった部分を一呼吸おいて、磨いたり柔らかくすることかな~と思いました。


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Unknown (ここ)
2010-09-22 04:49:07
…人を評価するという形があまりに日本の社会に浸透していて…子どもたちと関わる中で、この形が子どもたちを苦しめているのを感じています。
小学生の高学年になると、大人から評価され続けてきたので、子どもたちは自分が(誰かの)評価することは、当たり前だと感じています。また、子どもは~であるべき。という答えを求められ続けてきた子どもたちは、当然、大人や友達にも、親は~であるべき。先生は~であるべき。友達は~であるべき。と、答えを求め、周りにいるすべてのものを評価してしまいます。でも、完璧な人なんて、どこにもいないんですよね。友達関係でも自分の思い描いた態度をとってもらえないと、この友達はダメだ!嫌な子なんだ!と、考えたり、また、私が悪いから、嫌われてるから…と悩んだり、この形に絡めとられ、苦しんで孤独を感じてしまう子どもたちは、私のまわりにも多くいます。
…人と人が集う場にリラックスできる空気が流れるようにみんなで努力していかなければ…まさに今、日本は変えていかなければならない時でしょうね。
…悩んだり苦しんだりしなくても「大丈夫よ。がんばっているね。」というまなざしを受け取って人の力で癒されていくような環境でなくてはならない…子育てだけでなく子どもから高齢者まで、今、日本で問題になっているすべてのことは、根っこの部分は同じなのだと感じています。
私もまずは自分から一歩踏み出していこうと思います。
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