虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

誰から学ぶ? どこで学ぶ? 2

2011-03-11 14:20:21 | 日々思うこと 雑感
虹色教室をする前、中学生や高校生の知人のお子さんの勉強を見ていたことがあります。
教えるというより勉強の見張り役程度の仕事なのですが、
休憩時間に思春期まっただ中の子どもたちと、ああだこうだと話をするのは面白かったです。
それぞれが自分なりの考えや社会への不満や将来への希望や悩みを持っていて、
「へぇ~」とか「そうなの?」とか「どうして?」と相づちを打って聞いていると、いくらでもしゃべっていたものです。

その子たちがわが家の即席教室を卒業して、
アルバイトや正規の仕事に就くようになっても、
たまにフラッと立ち寄って、
「おばちゃん、大変なのよ、聞いてよ。今、ふたつもバイトを掛け持ちすることになって……」とか、
「バイトするうち資格を取るよう勧められたから、自分のお金で専門学校に行くことになって……」
などと報告に来てくれるのがうれしかったです。


自分が高校生だった頃のことを振り返ると、
当時の高校はのんびりしたもので、空部屋があると、
暇そうにしている先生の周りを数名の同じく暇な生徒が囲んでおしゃべりを楽しんでいたものでした。
阪大を目指している子がけっこういる関西圏の進学校だったのですが、
勉強は自分でがんばるものという意識があったのでしょう。
学校は、のんびりと人と人が交流するための空間でした。

そうした場で、人と話すことで学ぶこともたくさんあったのですが、
今はどうしてそういう機会が、こうも減ってしまったのでしょう?
社会が『目に見えないものの価値』に対する感性を
急速に失っているのかもしれませんね。

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外食中、子育てや教育の話からスタートした息子と私の会話は、
途中からいつも通り『ものづくり』の話になっていきました。

息子 「ゲーム制作の現場では、より美しい画像にして キャラクターをよりスームーズに動かすために、多くの人とよりたくさんの予算を使う方向に進んでいるよ。
ゲームじゃなくて、まるで映画制作のようなんだ。
そうやって何億もの制作費用をかけたら、必ず良いものができて ヒットしているかというとそんなことはないよ。

案外、個人で何もかもやって作ったようなこじんまりとした作品がヒットして、海外まで行くってこともあるんだ。

もっともっとと……すばらしい技術を追いかけても、
何だか物足りない仕上がりになるのって、
絵とか映画とか他のいろんな ものづくりの世界でも起こるよね。」


私 「そうよね。最近の壮大なスケールの映画は、感動が すぐに心からすり抜けてしまうわ」


息子 「どんなに絵の技量を上げて、どんなに質のいい画材を使って、現在の絵に関する知識を総動員して描いても、
『モナリザ』の絵と同じ魅力は、なかなか生まれないよね。

多くの人がどうして『モナリザ』の絵に魅了されるのかといえば、
『モナリザ』の絵には、絵の技量の他に、
そこに哲学や数学のようなものが含まれていて、独自の深さを持っているからだと思うんだよ。

プログラミングのようなものでも、すごいものになると、
そうした技術を超えたものとのつながりが感じられるんだ。

そうした価値は、より予算を高くしていく方向では生まれないよ。」


私  「★(息子)が一番したいのは、IT関連の仕事なんでしょ?」


息子  「そうだよ。
ぼくがこれから進みたいのはIT関連の世界で、
将来は ずっとプログラミングに明け暮れるんだろうけど、
希望とすれば、同じプログラミングでも作業として易しいソースコードを黙々と打ち込むような仕事ではなく、
難しい頭脳を使う創造的な仕事をしていきたいな。

音楽とか芸術的な面で……いや芸術的な分野にこだわるわけじゃないけど、
プログラミングの世界でも職人的な技に通じるようなもので、5~10年かけて、何かひとつ卓越した力を身につけたくてさ。

ITの世界は、今アイデア勝負でどんどん新しいものが作られているよね。
でも、ぼくはそれに乗っかるのは嫌だな。
アイデアだけでヒットを狙うんじゃ、自分が成長しないよ。それにそれはいずれすぐに真似られて終わってしまう。
表面的な良さばかり追求した売れるものではなくて、
内部に職人技のようなものがきちんとある……
本当の意味で質のいいものが作れるようになりたいからね。

まずひとつの分野で、特にまだそれほど開発されていないところで、
他の人が到達できないくらい卓越することが必要だよ。
そのためには、何を学び、どこで働くのか
選び方も重要なんだろうな。」

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