早期教育には確かにメリットがあると思います。超未熟児で生まれたり
病院で障害があるという診断を受けたりした子であっても
幼いうちから適切な働きかけを続けていけば、劇的に問題が改善されていくのを
実感していますから。
それでも、世間一般で、
早期教育という名のもとでおこなわれている親の取り組みや幼児教室のプログラムには
「うーん、それではメリットよりもデメリットの方が大きいんじゃないか」
と危惧することも多々あります。
何にどう問題を感じるのか、というと、
子どもにあれさせよう、これさせよう、という周囲の大人の人が
子どもにやらせることにばかりかまけちゃうと、
自分が生活の場面で想像力を使ったり、思考力を使ったり、問題解決力を使ったり、推理したり、議論したり、内省したり、
創造的に何かを作りだしたりすることは、手薄になってしまっているのを見かけるのです。
すると子どもにしたら、
頭を使って大人が何かしているところを目にする機会が減るし、
どういう場面で思考力を使えばいいのか、どんなタイミングで問題解決に取り組めばいいのか、
どんな時、推理力を使うと役立つのか
などがわからなくなってしまいますよね。
わたしが教室で工作をよくするのは、頭の使い方や予想の立て方、判断の仕方、推理力の働かせ方、
試行錯誤の仕方、興味の広げ方、諦め方、問題解決の仕方などを
子どもの目で見てわかりやすい形で見せてあげる機会がたくさんあるからでもあります。
「いろいろな方向から物を見る」ということひとつでも、
大人が実際にそうやって作業をしている姿を見れば、
なぜそうするのか、どうやってするのか、どのように見えるのかといったこと全てを
わざわざ教えなくても子どもは学びます。
教具やプリントで学べることは知れています。身体でわかって、あふれるほど体験した後で、
学んだことを整理するとしたら教具もプリントもしっかり活きてくるのではないでしょうか。
わたしが「早期教育色が強いな」と感じる方には
大人の向けている方向性のようなものに、
子どもが自分の世界で自己完結しちゃうような
ものを感じることがよくあります。
大人のまなざしが子どもにだけ注がれていると、
子どもの行動は受け身で依存的なものになっていくように見えます。
大人が自分が興味を持っているものとか、
自分がやりたいことにまなざしを向けて、
そこで思考力を使ったり、想像力を使ったりしていると、
子どもにしたらどのようにしてそうした力を使うのかわかってくるものです。
また子どものまなざしは大人の視線の先にあるものの方向へ、
つまり社会や世界の不思議に向かって広がって行くはずですよね。
もちろん、親御さんにすれば「自分には興味を持っているものもないし、
やりたいこともない。だからこそ、子どもにはそういうものを見つけてあげたい。
あらゆる可能性をプレゼントしてあげたい」という方がおられるかもしれません。
でも、もし、自分に空虚さがあるから子どもに早期教育をしようと思うなら、
子どもはきっと大人のそうした面を見抜くだろうし、そうした空虚さだけを
取りこんでしまうかもしれません。
子どもの知能を高めるには外遊びがいいとか、ブロックがいいとか、パズルがいい、
お手伝いがいい、工作がいい、ピアノがいい、そろばんがいい、水泳がいいなど
さまざまな情報が飛び交っています。
子どもたちといっしょに関わっていてしみじみ思うのは、
何もしないでゴロゴロして部屋で過ごすんだって、テレビ見るんだって、近所に買い物に行くんだって、
いっしょにいる大人がその場面で工夫するところ、考えるところ、問題を解決するところ、議論するところ、
想像力を使うところを見せていけば、
子どもの知力はとても高まるということです。
子どもは人と相互に関わり、感動し、さまざまなことを体験してみるなかで
地頭力といったものに磨きをかけていくからです。
その一方で、絵本を毎日読み聞かせても、パズルをさせても、運動させても、
ただやっただけ、やらせただけ、では、
一部の能力は伸びたように見えても、
何かに疑問を抱き、試行錯誤し、探究していくような自発的に考えていく力とか、
自分がやりたいことを見つけ出し、全力で取り組みながら問題を解決する力なんかは
伸びないんじゃないかな、と思われるのです。