前回のような話をした数日後、結局、息子は別の作品を発表した
そうです。
私 「どんな作品になったの?」
息子 「カメラとスクリーンを使った
インスタレーション作品だよ。
アートの鑑賞者がスクリーンの画面の前に座ると、鑑賞者を囲むようにたくさん
設置してあるカメラが、さまざまな方向から鑑賞者の動きをとらえるように
しておくんだ。
鑑賞者には、大型店舗などで監視カメラを管理している人と同じような
碁盤の目状に分割されたカメラの映し出す自分の姿をスクリーン上に見ることになる。
映像の中には、多方向からの自分の動きをとらえるカメラの映像にまじって、
自分の姿、服装とか持ち物とか、ポーズとか、動きとか、そうしたものから
AIが類似のイメージとして想起した映像をまぎれこませておくんだ。」
私 「フェイスブックが、この人は知り合いですか?と聞いてくるのも
似た感じ?」
息子 「そうだよ。今、コンピューターが、自分の購入履歴から判断して、
自分が購入しそうなものを勧めてくる
ということや、AIが履歴書を読み取って雇用を判断するといった
コンピューターによって自分がどのように見られているか、
どのようにカテゴライズされているかが気になるようになった
という社会的な背景があるよね。
自分自身をコンピューターが即座に、自分に似ている別の人を想起し、
自分をあるカテゴリーの中の一員として評価していくことへの違和感のようなものを
作品を体感する中で感じ取ってもらえるようにしたいんだ。」
私 「違和感を伝えるための工夫というのはあるの?」
息子 「何台かあるカメラは、それぞれ別のアルゴリズムで、鑑賞者を
カテゴライズするようにするんだ。
特徴の異なる古いアルゴリズムを使ったものや、
最近よく使われているものなど、別の分類の仕方で、鑑賞者からイメージされる
映像が本人の姿とともに映し出されていくことで、
自覚している自分との違いやコンピューター内の記号という
言葉によって操られてしまう自分の幻影を味わうという作品にしたいんだ。」
私 「言葉によって操られてしまうって、どういう意味?」
息子 「人工知能は、人間をどれだけ記号化できるか、ということを
突き詰めていくことで、進歩しているといえるんだ。
コンピューター内は、データーでできた世界だから、
昔の人々が使った言霊という言葉が、実際に機能するような世界でも
あるんだ。ひとつの言葉、ひとつの記号が、
魔法のような力を持つように見えることもある。
コンピューターが一昔前のように通信手段や単なる
コミュニケーションツールではなくなって、
ネット内で自分自身を表現するツール、
自分という像を作り上げた上で、コンピューター内の自分像で
他者とコミュニケーションする時代になったからこそ、
自覚している自分とコンピューターが作り上げていく幻影としての自分との
間にある違和感のようなものを鑑賞する面白さやざわざわした感触が
あるんじゃないかと思ってさ。」