趣味としてですがメディアアートに興味がある息子。論文が一段落したら、
メディアアートの作品を作ってコンテストに応募しようと考えているそうです。
大学院でもメディアアートの授業も取っていました。
夕食時に、「メディアアートの授業の課題で、こういう作品が作りたいと思っていて~」と
息子が話していたのが面白かったものの、
「コンテストに応募しようと思っているアイデアを
ブログで先に公開するわけにいかないし、もう大人の世界に足を踏み込みつつある
息子との会話を記事にするのも難しくなってきたな」と感じました。
授業での発表が終わったと聞いた時、「発表では、最初に考えていたものより
もう少しパッと見てわかりやすいものにしたら、伝わりやすかったよ。
といっても、今回の課題は、作品を作るとこまで必要はなくて、
アイデアと構想だけなんだけどさ。」と言った後で、
「前にお母さんに話したのとは別のアイデアで発表したんだけど~」と付け足しました。
私は思わず、「その新しいアイデア、確かに、誰でも目で見るだけで、
伝えたいものを体感できるって点で
いいかもね。でも、お母さんは前のがすごく面白いって思ってたんだけど、
あれはボツにしたの?おしいな」と残念がりました。
そしてダメもとで、「お母さんのブログで、高校生の頃にSとした会話を載せた記事が
いくつかあるのよ。
この間、東京で会った人達が、そうした対話の記事が好きって言ってくれたんだけど、
このごろは、S(息子)との会話も、修士論文のことやら、本格的な研究の話やらが
ほとんどだから、メモは取っても記事にすることができなくなったのよ。
もし、前のアイデア、ボツにしちゃっていいなら、その話書いてもいい?」とたずねました。
息子の顔にクエッションマークが浮かんでいましたが、あれこれ細かいことを気にするタイプ
ではないので、(娘なら即ダメ出しされていた申し出でしょうが)
「えっ? 記事? 何? まぁ、いいよ。
発表した分も、もう終わってるからいいよ。」と言っていました。
アイデアはいくらでも思いつくとのこと。
お許しをいただいたので、先日の会話を♪
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息子 「メディアアートの授業で、アート作品のアイデアと構想を発表するんだけど、
こういうの考えるの面白いな」
私 「もう思いついたの?」
息子 「あぁ。こんなのどうかなって、考えているのはある」
私 「どんなの?メディアアートって、ビデオとかコンピューター技術を
使った芸術ってことでしょ?」
息子 「そうだよ。考えているのは……。
アイトラッキングっていうパソコン上の人の視線の方向を
推測する方法があるんだけどさ、それを使うと、
アート作品としてのパソコンの前にいる人が、
パソコン画面の時計に注目している間は、その時計が正しい時を刻むようにして、
時計ではない画面上の別の情報に注目している時は、時計が何倍速かで進むようプログラミング
しておくことができると思って。
ネットに依存して生活しがちな現在、
今が昼なのか夜なのか、どんな天気なのか、ネット上の情報から仕入れることも大いにあるから、
そうした情報も、そのパソコンの特殊な時計の進みに連携させておくと、
自分自身の実生活や体内を通して感じる時間感覚と
コンピューターを通してインプットされる時間感覚のずれが生じるよね。
そうしたコンピューターを通した自分と
コンピューターを通さない自分の違和感のようなもの、
アイデンティティーのゆらぎのようなものを
体験型のアート作品として作れないかと思っているんだよ。」
次回に続きます。