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小学生の学習を見ていると、
『デジタル表示』の世界で育ってきた子どもたちの
苦手に驚くことがよくあります。
ものさしの絵が描いてあって、
その上に、「何cmでしょう?」という
線が描いてある問題があるとします。
0のところに
棒が合わせてあれば、即答できる子が、
2cm3mm~5cm4mmの間にある棒を見て、
「5cm4mm!」と答えるのです。
「でも、見て。0のところから、ここまでの長さの棒も
5cm4mmよね。
2cm3mm~5cm4mmの間に置いてる棒は、それより短いよ。」
そう指摘されても、5cm4mmと言い張るか、「じゃあ、2cm3mm?」
となるのです。
う~ん
もちろんそれだけじゃありません。
四角の周りの長さを求めるときに、(指で周囲の辺を触らせて、目で確認しているにもかかわらず)
たて4cm、よこ5cmなら、「答え9cm!」と断言。
「でもさ、四角の周りは、よこ+たて+よこ+たて……だよね。よく見てみて」
と言うと、
「だって、4cmと5cmって言ったじゃん!」と、
あくまでも、問題には、それらが1つずつしか出てきてないでしょう?
という考えです。
(目で見ている事実よりも、うろ覚えの親に教わった内容を優先させる子は多いです)
段ボール工作をしていると、そうしたわからなさの原因が、
どこまでが「1」か、境界がないことにも
よるのがわかります。
段ボールをふたつ
つないだ状態で、折ると、四角くなるのは、どこからどこまでか……
「たてよこたてよこ」の4つの辺までで、ひとつの四角ができる
と直感的にわからない小学生がけっこういるのです。
数値の部分や計算には、こだわって、よくわかってるのかと思うと、
ええっ?とびっくりするような
発言も多くて、気になるのです。
算数の学習からは少し離れますが、
幼児や低学年の子が、マトに向かってボールを投げるのを見ていると、
フォームにはこだわって、いろいろポーズを取っているわりに、
マト当ての最中は
「マトを見る」という暗黙の了解を知らない子がけっこういるのです。
「ひとつの動作の流れ」の目的というものがないまま、
瞬間瞬間のフォームの記憶には忠実であろうとする姿に
首をかしげてしまうのですが……
そうした姿の原因をたどっていくと、
幼児期に、
どういった対象を相手にしているのか、
どんな目的でしているのかを理解をせず、
(全体を見渡すことをしないまま、)
「これをしなさい」「こうしなさい」という大人の指示に素直に従う生活をしてきたから?
と思われるのですよ。
習い事でも園でも、聞き分けの良い子で来た子に多いですから。大人の言葉に疑問を差し挟むようなことはありません。
気になるのは、
何をしているのか、どういう流れの一部なのかに
恐ろしく無関心なこと。
そして、大人が褒めてくれるか、大人が自分をどう評価しているかには
敏感なところです。
まちがいを指摘すると、「考えるモード」ではなく、
「指示通りちゃんとしようモード」に切り替わり、
最後までヒントで誘導し続けないと、自分では考えようとしない態度も気になります。
幼稚園年長や小学校低学年までに
「間違えたら、大人に教えてもらってその通りする」という態度が
しっかり刷り込まれているのです。
一見、気持ちの良い態度ですが、
困るのは、
「ボールをマトに当てようとするときには、目でマトを見なくちゃいけないよ」
ということも、教わらないと気づけないという
ところなんですよ。
自分の目で見て自分の頭で考えて、自分で判断をくだすのではないから、
『デジタル表示』の世界にすっかり染まって、
いつも部分的に反射的に反応しながら暮らしているようです。
前回の記事に次のようなコメントをいただいています。
幼児期のくらしについて考えさせられますね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「デジタル表示」の世界、
一見便利そうに見えますが、子供にとっては大変わかりにくいと思います。
体重計も「デジタル表示」では数字を読むだけで、自分の体重は20kgより多いのか少ないのか、後何キロで20kgになるのか、妹の何キロぐらい違うのか、ということがわかりずらい。
車のナビにしても、住所を入れれば後は安心。
動物的な感覚場鈍くなり、自分で道を覚えようとしなくなるんですよね。うちはナビをつけず、地図でなんとかやっています。方向音痴の私は知らない土地に行くときはよく迷うのですが、そういう時は土地の人にきいてます。
便利になりすぎるのも困りものですね。
ケニアの子供たちは、動物園などに行くと必死に、動物についての説明を書き写すそうです。
家にそういった本がないので、自分の書き写したものが図鑑になるようです。海外青年協力隊でケニアに行かれた人に聞きました。
日本は豊かになりすぎたのかもしれませんね。
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『デジタル表示』の世界で育ってきた子どもたちの
苦手に驚くことがよくあります。
ものさしの絵が描いてあって、
その上に、「何cmでしょう?」という
線が描いてある問題があるとします。
0のところに
棒が合わせてあれば、即答できる子が、
2cm3mm~5cm4mmの間にある棒を見て、
「5cm4mm!」と答えるのです。
「でも、見て。0のところから、ここまでの長さの棒も
5cm4mmよね。
2cm3mm~5cm4mmの間に置いてる棒は、それより短いよ。」
そう指摘されても、5cm4mmと言い張るか、「じゃあ、2cm3mm?」
となるのです。
う~ん
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もちろんそれだけじゃありません。
四角の周りの長さを求めるときに、(指で周囲の辺を触らせて、目で確認しているにもかかわらず)
たて4cm、よこ5cmなら、「答え9cm!」と断言。
「でもさ、四角の周りは、よこ+たて+よこ+たて……だよね。よく見てみて」
と言うと、
「だって、4cmと5cmって言ったじゃん!」と、
あくまでも、問題には、それらが1つずつしか出てきてないでしょう?
という考えです。
(目で見ている事実よりも、うろ覚えの親に教わった内容を優先させる子は多いです)
段ボール工作をしていると、そうしたわからなさの原因が、
どこまでが「1」か、境界がないことにも
よるのがわかります。
段ボールをふたつ
つないだ状態で、折ると、四角くなるのは、どこからどこまでか……
「たてよこたてよこ」の4つの辺までで、ひとつの四角ができる
と直感的にわからない小学生がけっこういるのです。
数値の部分や計算には、こだわって、よくわかってるのかと思うと、
ええっ?とびっくりするような
発言も多くて、気になるのです。
算数の学習からは少し離れますが、
幼児や低学年の子が、マトに向かってボールを投げるのを見ていると、
フォームにはこだわって、いろいろポーズを取っているわりに、
マト当ての最中は
「マトを見る」という暗黙の了解を知らない子がけっこういるのです。
「ひとつの動作の流れ」の目的というものがないまま、
瞬間瞬間のフォームの記憶には忠実であろうとする姿に
首をかしげてしまうのですが……
そうした姿の原因をたどっていくと、
幼児期に、
どういった対象を相手にしているのか、
どんな目的でしているのかを理解をせず、
(全体を見渡すことをしないまま、)
「これをしなさい」「こうしなさい」という大人の指示に素直に従う生活をしてきたから?
と思われるのですよ。
習い事でも園でも、聞き分けの良い子で来た子に多いですから。大人の言葉に疑問を差し挟むようなことはありません。
気になるのは、
何をしているのか、どういう流れの一部なのかに
恐ろしく無関心なこと。
そして、大人が褒めてくれるか、大人が自分をどう評価しているかには
敏感なところです。
まちがいを指摘すると、「考えるモード」ではなく、
「指示通りちゃんとしようモード」に切り替わり、
最後までヒントで誘導し続けないと、自分では考えようとしない態度も気になります。
幼稚園年長や小学校低学年までに
「間違えたら、大人に教えてもらってその通りする」という態度が
しっかり刷り込まれているのです。
一見、気持ちの良い態度ですが、
困るのは、
「ボールをマトに当てようとするときには、目でマトを見なくちゃいけないよ」
ということも、教わらないと気づけないという
ところなんですよ。
自分の目で見て自分の頭で考えて、自分で判断をくだすのではないから、
『デジタル表示』の世界にすっかり染まって、
いつも部分的に反射的に反応しながら暮らしているようです。
前回の記事に次のようなコメントをいただいています。
幼児期のくらしについて考えさせられますね。
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「デジタル表示」の世界、
一見便利そうに見えますが、子供にとっては大変わかりにくいと思います。
体重計も「デジタル表示」では数字を読むだけで、自分の体重は20kgより多いのか少ないのか、後何キロで20kgになるのか、妹の何キロぐらい違うのか、ということがわかりずらい。
車のナビにしても、住所を入れれば後は安心。
動物的な感覚場鈍くなり、自分で道を覚えようとしなくなるんですよね。うちはナビをつけず、地図でなんとかやっています。方向音痴の私は知らない土地に行くときはよく迷うのですが、そういう時は土地の人にきいてます。
便利になりすぎるのも困りものですね。
ケニアの子供たちは、動物園などに行くと必死に、動物についての説明を書き写すそうです。
家にそういった本がないので、自分の書き写したものが図鑑になるようです。海外青年協力隊でケニアに行かれた人に聞きました。
日本は豊かになりすぎたのかもしれませんね。

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