虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

問い方で思考力が変化する 1

2022-09-01 10:33:42 | 思考力

子ども時代というのは、自分の心のなかの声、つまり内言が発達していく時期です。

内言というのは、「音声を伴わない自分自身のための内的言語で、主として思考の道具に用いられる」と言われています。

サピア・ウォーフの仮説によると、言語はその話者の世界観の形成に関与する、とされています。

 

わたしも子どもの内言の内容や発達いかんによって、その子の思考力の幅や質や世界の認識そのものが違ってくると思っています。

なぜ子どもを大人の指示で動かして、競争させて、強迫的に何かを訓練させることがまずいのかというと、最も重大な害は、子どもの内言を失わせること、心の声を陳腐なものにさせること、内面を雑音だらけにすること……と言えると思います。

 

子どもにできあがっているものを見せて、「どうしてこれは動くんだと思う?」とたずねると、「そんなの、~にきまってるじゃん」「そんなの当たり前じゃん」と馬鹿にしたように、つまらなそうに言い捨てることがあります。

でも、大人が問い方をちょっと変えると、同じ子らが、たちまち夢中になって考え始めま

黙って、見つめる目の真剣さから、心のなかで、内なる対話が活発に行われているのがわかるときがあります。

問い方をちょっと変えるというのは、場合によりけりなのですが……わたしが上の写真で子どもたちに「動く仕組み」について考えさせているシーンを例に挙げて説明させていただきますね。

子どもたちの前で、「見ててね」と言いながら、トイレットペーパーの芯を転がして見せます。

「動け、動け」と芯を指さして命令していると、前方に転がっていきます。

「どうして転がっていくのかな?」とたずねると、「丸いとこがあるから」とか、「ころころするから」などさまざまな意見がでました。

そこで、「それなら、動け動け、ストップ!戻れ~って戻ってくるようにするにはどうしたらいいのかな?」と尋ねると、身を乗り出してトイレットペーパーの芯をにらみつけて黙っています。

芯のひとつに小さな紙を貼って、転がすときには紙を芯の側面にぴったり沿わせて転がすと、転がるうちに紙が広がって芯は止まり、戻ってきます。

その時、「動け動け、ストップ!戻れ~」と声をかけて、手で動きを表現すると、まるでわたしの声や手の動きに従うように動くトイレットペーパーの芯を手品を見るように見つめる子らは、同時にこの種を見破ろうと必死になって頭を絞ります。

次に、芯のなかにビー玉を1個貼り付けたものも転がしてみます。

これも、「動け動けストップ!戻れ~」の指示に従います。

そんなとき、子どもは、「どうしてなんだろう?~だからかな?でもちがうみたい?どうしてだろう?」とそれをすっきりとした言葉で言い当てたくて、でも簡単そうでも言葉が見つからなくて、もやもやした思いを抱えた状態で集中しています。

 

トイレットペーパーの芯で「動け、動け、とまれ、もどれ」という動きについて考えてみる前に、写真のようなひもを広げると上に登っていく仕組みを子どもたちに見せました。

すると、大人の方々は驚いて、「どうして登るのか」と気にかけていたのですが、子どもたちは、「なんだ、そんなのひもを引っ張ったから上がるんじゃん」と、鼻にも引っ掛けない様子でした。

コップの底部分の直径と飲み口の直径の違いによって、物が上下に移動するのですからなかなか面白い仕掛けなのですが、「最初からできあがっている感じ」や「大人が子どもに決まったひとつの答えを出すのを求めているような雰囲気」があったのかもしれません。

 

こんなふうに、いかにも答えを出させるための質問、子どもに知識を与えるための問いかけ、という雰囲気では、子どもの頭はフリーズしたまま動かないものです。

大人が喜ぶような人工的で完成度が高そうな学習であるほど、子どもにすれば、「すでに大人がわかっているんなら、わざわざ自分が考えなくても、大人に正しい答えを教えてもらってから答えればいい」「他の子ら答えて、間違えたら、自分は間違えなくても正しい答えが言える」と考えてしまうのかもしれません。

疑問を抱くこと、内言を育てること、自分の心のなかで考えを追う楽しみを育てるには、「教えよう」「知識を与えよう」という大人の押し付けがほんの少しでも透けて見えたら、逆効果にもなってしまいがちです。

 

それなら、どのようにすると、子どもは自分の心のなかに疑問を抱き、自分と対話し、自分自身で考えを深めていくのでしょう?

それには、子どもへの問いかけ方を工夫する必要がありますが、その前に、普段の親や先生の子どもへの接し方が、近視眼的でないことが重要だと思っています。

大人が子どものアウトプットに注目し過ぎない、子どもの今を評価し過ぎない、子どもに自分ができているかどうか、上手か下手かに注目させるような言動をつつしむことが大切です。

そういう意味で、たとえプールやソロバン教室のようなものでも、まだ小学校にもあがっていないうちから「○級」に合格したかどうかといった刺激にさらすことは、とても危険なことだと感じています。

なぜかというと、子どもはこの広い世界のなかではとても小さな存在で、心がいつもまだ知らない広い世界に向かって開かれていなくてはならないのに、年がら年じゅう、「小さな自分」にばかり注目するように癖付けてしまっては、金魚蜂のなかの金魚のように、認識している世界が狭い子になってしまうからです。

自分が今、何を上手にできようと、できまいと、魔法のような不思議さと、たくさんのやってみたいことと、できるようになりたい憧れと、人と人が関わる場で新しく生まれてくる物語に、どっぷりつかていることができるかどうかが子どもの将来の伸びしろの大きさを決めるように感じています。

自意識過剰になって「小さな自分」にばかり注目するのでなくて、自然に、今ある世界にいることができて、そこで、泣いたり、笑ったり、恥ずかしがったり、怒ったり、ぐずぐずしたり、寝ていたり、ふざけていたり、夢中になっていたり、感動したり、うまくいかなくてイライラしたりすることが、とても重要だと思っています。

そうした感情が突破口になって、広い世界に対して、将来、出入りすることができるようになる入口が作られるからです。

 

子どもが知らない価値はたくさんあります。

「なぜ」という疑問は無数にあって、それぞれに対する答えも無数にあります。

「○級」を取得するために必要なものだけが世界を形作っている価値だと誤解してしまうと、子どもの周りにどんなにすばらしい価値あるものがあっても、その子が感じとれるものはごくわずかになってしまいますよね。

 

↑ 工作イベントにぜんまい式のおもちゃを分解したものを持っていくと、手のひらに乗せて、真剣に見つめている子がいました。

「ぜんまいの動きを使って、何かできないかな?」とアイデアを募ると、トンネルをくぐらせるアイデアと、ひげそりのシェーバーを作る案が出ました。

素朴に、ただ考えること……それが、たまらなく面白い体験でもあるのです。

 

「結局、どんな問い方が子どもの思考力を育てるの?」ということについて、続きの記事です→ 問い方で思考力が変化する 2

 

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本を出させていただきました♪

子どもの考える力をぐっと引き出すお母さんの話し方



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