虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「子どもがやりたがらない遊びに誘うべきかどうか?」という質問 4

2015-07-01 07:15:19 | 教育論 読者の方からのQ&A

「子どもがやりたがらない遊びに誘うべきかどうか?」という質問 1

「子どもがやりたがらない遊びに誘うべきかどうか?」という質問 2

「子どもがやりたがらない遊びに誘うべきかどうか?」という質問 3

の続きです。

 

前回までにうまく伝えられなかったのですが、

このタイトルで記事を書きはじめた理由は、

ネット上で、この質問に対する自分の意見を述べることと、

実際に質問の相手や質問の対象(子ども)を前にして、質問に答えることの

間にあるずれや違いやギャップを伝えたかったからです。

 

ネット上での意見の交換には、その子ども個人の正確な情報が抜けています。

子どもについて説明して質問していたとしても、それは「質問主さんからすると

そのように見える」のにすぎません。

 

「誘っても乗ってこない子をその遊びに誘うべきかどうか」という疑問の背後に

子どもの側に他者の行動を模倣する力の弱さや

ひとつのことに注意を向けていることの困難さや親のすることや声かけへの無関心、

感覚の過敏さや鈍感さによって行動が限られていることや

遊びの成り立ちにくさ、目と手の協応作業の苦手さ、極端な不器用、

イメージすることの難しさや愛着の希薄さなどの気になる面が隠れていた場合、

答えはひとりひとり異なるとてもデリケートなものになります。

 

また親と子の関わり方に自然なやり取りや遊びの生じにくさや

奇妙な緊張感がある場合も、

親の側のあり方に自己肯定感の低さや結果を求めて子どもと関わる習慣や

親自身の困り感などがある場合もそうです。

 

何で遊ぶかはさておき、子どもには他者とのやり取りを持続していく力が

育まれていくような環境が必要ですし、

何らかの困り感のある子へは、具体的でまとまりのある行動にゆったりと向き合う力が

つくようなていねいな関わりが必要です。

 

話が少し逸れるのですが、

親しくさせていただいている『遊びのアトリエ』のジェリーさんが

赤ちゃん学会学術集会に参加した感想を書いておられました。

その中に教育哲学を専門とする久保先生の

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

教育・学習とは、身体を土台とした意味をめぐる活動であり、

動機、欲求や技術も持たないで知識を持つのを「教育」とするのをやめたい

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

という言葉が紹介されていました。

この言葉、わたしが工作や遊びを子どもといっしょにする時の

基盤となっている考えにとても近いのですが、

わたし自身はまだうまくそれを言葉にできずにいます。

教室で工作やブロックや科学実験をしているというより、

そうした媒体を利用して、子どもの中に今ある……また生じようとしている

……動機や欲求を

見ようとしているのですし、

それを通じて、子どもがまとまりのある行動に親しんでいくのを補助しているのです。

ピタゴラ装置DVDブックの中で佐藤雅彦さんが、

『言語化されていない面白さを素直に感じる能力』と

呼んだものを子どもといっしょに味わうための創作や実験ですし、

子ども自身が日々の体験を消化するのを助けるものでもあります。

 

もし「子どもが工作やブロック遊びをしたがらない場合、誘うべきかどうか?」

という質問の工作やブロック遊びが、

わたしが子どもとしようとしているものとかけ離れていたら、答えるのが難しいな……と

感じています。

 

言葉で説明することに限界を感じるので、

10月か11月にでも、工作の親子講座を開こうかと思っています。

募集は、8月末か9月の頭に予定しています。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。