King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

無記

2007年11月27日 23時56分18秒 | 日々のこと
お釈迦様に弟子が、あの世はありますかと問うたら
黙られてしまったそうです。これを無記といいます。

これだけとっても現在、世にある仏教と名の付く宗教が
如何に変形され原型と違うか解ります。現仏教は、あの世のことや
輪廻転生やら修行やお布施とあらゆる仕組みを作り出しました。

先日久米宏がラジオなんです。という番組で、イタリア人はとことん楽しむ
が日本人は仏教国だから輪廻転生の概念があり、慎み深いようなことを
いっていました。この輪廻転生という概念も日本の文学のテーマになったり
仏教の真髄のような事を言う人が居ますが、先のお釈迦さまが答えなかった
その意味を考えるなら、その後出てきた御本尊様を拝んだり、お題目を
唱えるなんてのは仏教でない事が理解できるはずです。

最近自殺する人が増えていますが、若い人が簡単に死んでしまうのは、
実際には生きる死ぬというギリギリの体験や飢えとか死に接したことが
ないために起こることだと思います。明治の文学などでは、死に対する
素直な恐怖がテーマになっていたりします。死を考えればまず恐怖が
先にあったので、一応それを回避するべく日常の食やそれを得る職業が
重要視され、働くためのテーマが生まれそれをさらに昇華していくと生きがい
と生命への賛歌にという普通の流が、生まれてから飢えや人の死にそれほど
考えることもなく、経験もなく自分の生にも興味がない人が多くなってしまう
現代にかつては生きる事が苦しく、現世で救われるために来世を夢見させ
という宗教の役割もすがることも知らない人には何の役にもたちません。

国と宗教とのかかわりも非常に興味深いものがあります。
日本のように政教分離を主義としている国が主流で先進国だとされます。
憲法や基本法で国が宗教にかかわってはならないといいつつ、実はその
内容がどこの国でもあいまいな事が多いのです。それは国の権力が神の
意志のような威を借る行為をしてきた歴史があることと、もともとは法=宗教
だった名残もあるのです。それが近代になり、民主国家だと皆が決めたことが
神の言うことより優先するというルールにしたもんだから、人々のこころは
さらに複雑にすさんだといえます。

近代哲学は、神は死んだというところから、神を否定して神により来世が
あり、神との契約を主義としている宗教も否定されました。しかし、先進国でも
宗教が無くなったわけではなく、現世上は人々が定めた法が優先し、法廷では
神に誓って嘘はいいませんと宣誓します。現世上は物理法則にしたがって
計算された事が起きて、数学上の統計にしたがって経済は運営されています。
しかし、人々の興味はサイコロ賭博のように人の意思に寄らないものに
集まります。

あの世はありますか?

答えない黙ってしまったお釈迦様に真実を見る思いです。
コメント
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