King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

折々の歌

2013年07月17日 10時20分30秒 | 珈琲
商店街に出店の依頼があった店舗も契約が決まったと
聞いていましたが、意外にも焼き型を備えたカフェのような
店で、ちょっと予想を裏切られるかのような感じでした。

以前は割烹日本料理店や寿司屋が多かった商店街の
路地も生き残っているのはホルモン焼きの店ばかりです。

新たに出店する店がみんなイタリアンの店だったり、へんな
偏りを感じます。

そんな感じで見ていくとイスラム圏の料理屋がないのではと
思ったりします。

今朝見たテレビでタイのカレーの話をしたからでしょうか。

私の知り合いのイラン人の人とかUAEなどの人が一時日本に
増えたことがありました。

商売関係でもたびたび話をする機会があり、ついなんで日本に
来て外国人差別の強く、言葉の障害のあるところで生活するのか
聞いたことがあります。

イスラム系外国人に限らず、日本の美と人々の優しさを褒め称え
ますが、本当に日本人の心が解っているのかとふと思うことも
あります。

日本人でも自然観や美術史観的に言われている認識が正しいか
というと私は全てがそう簡単ではないと言ってしまいます。

よく、日本絵画には遠近法的な感覚がないかのような言い方を
する人がいますが、源平合戦絵巻などの表し方は現在の漫画と
同じカット割りと時系列の語りそのままであり、建物の描き方は
投影的な遠近画法が使われています。

そんな悠久の時の流れを感じつつ今朝はケニア、カラティナを
飲みました。

昨日は、エチオピアのボールドグレインを飲みミスマッチに唖然
としたが、一方いつでもOKの珈琲を飲んでみてそれでいいのかと
ふと思うこともありました。

何がうまいのかと何を飲みたいのかという欲求とそれが満たされた
時の満足感と逆に見事に裏切られた時の意外な味のコントラスト
などなど尽きない珈琲の世界の面白さを知る豆の豊かさを今朝は
思いをはせました。

それも太古人類が生活してきた中から飲み継がれた歴史とずっと
その地で生き抜いた豆の歴史が交錯するからでしょう。

コメント
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