King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

些細な予定外にブルッ

2013年07月25日 19時00分47秒 | 珈琲
定期的に訪れてくれる友人が帰りました。

いつも来てくれるのはいいが一回の滞在が長いので
今日のように暇な天候の悪い時に来るのは丁度いい
のです。

それでも都合よく秩父の情報やこちらの知っていることを
さらっていきます。

事情通とか地獄耳とかやたら裏事情なり商売につなげる
つもりか店事情を集めたがりますが、実際の商売には
現在のような閉鎖市場にさらなる発展はあるのか、
疑問もあります。

来月に毎年の恒例で在庫を大幅に動かす必要があり、
事前のチェックをしたところまだ5Kはあるだろうと思った
ハワイコナも昨日焼いた分がすべてであり、在庫を放出
してしまったことを知りました。

現在、新しいものは入ってこないといわれるハワイコナも
当店はいくつかのつてがあり、もう入らないわけではありません。

それでもなんでいっぺんに気前良く焼いてしまったのか
手持ちがなくなり背筋が寒くなるような気分でした。

とはいえもうすでにやってしまったことで、残り600gは早いもの
勝ちということで売り出し中てす。200g2800円です。
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コロンビアサンアグスティンを焼いてみた

2013年07月25日 11時46分26秒 | 珈琲
この季節に焼くといえば真逆の感じのスノートップ。

この深煎りの珈琲で出す味はとろっとした甘みです。

なぜこのくそ暑い中で、ぎりぎりと分刻みの火加減と
排気に気を配りがんがんと強火を当てて豆を焼くのか。

それは酸味への挑戦であり、豆の持つ甘味の演出です。

これはあまり珈琲を知らない人から見れば、観光地の
土産物屋に木刀が売っているのと同じぐらいよく見る光景で
ありながらなぜという気分にさせられる事象に違いないのです。

酸味といえばコロンビアです。

コロンビアのグルメコーヒーとして昔から名高いサンアグスティン
で取れる豆は昔ながらのティビィカ種です。

このコロンビアのティビィカこそある味があり、語られない
忘れられない味があるのです。

そして、もうひとつティビカとして忘れられないのがハワイコナです。

これは焼くとつぶやいたところかなり反響がありびっくりです。

味についてはすでに渡してしまったものに付きあれこれ言う権利は
お客さんの側にあります。

お勧めなどというのはお店の都合です。

しかし、書いてみてその世の欲求が高いというのを知るのも
不思議な感じです。

ストレートを売るのにどんな感じかもはや書く必要はないと
感じます。

ブレンドはその意図は説明責任があるとして、それに込められた
ものや狙った味は何か命名のセンスとか聞いてみたいものは
あるのです。

ストレートとなると逆にあれこれ言うのは定番の豆であれば
却って不要であり、逆に煩わしい限りです。

消費者の側から知りたい情報は案外知らされていないもの
です。

くわしくは試飲に訪れた際に説明していますが、納得して
しまえば簡単なことも実はなかなか味わえないこともあります。

そんなものがサンアグスティンには詰まっています。
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『精神分析を受けにきた神の話』読了

2013年07月25日 09時18分58秒 | 読書


『精神分析を受けにきた神の話』を読みました。

日本人には精神分析医というのはあまりなじみがなく、人生の折に触れて
相談される西洋の人達とは違う環境なので物語もあまりピンこないかも
しれません。

しかし、日本でも鬱病やら離婚が増える現代ではこういう心のケアを
受け持つ人たちが必要なのかもしれません。もちろん日本にも精神科医は
いて、ストレス症候群とか鬱に悩む人の相談は受けていますが、やたらと
薬漬けにされたりと治療というのが物理的な処置につながる日本には
心のケアという部分はまだまだ御座なりなんだと思います。

物語は、その精神分析医のところに私は神だと信じる人が患者として
訪れるというものです。

その患者は神らしく超自然的能力を見せて医者を驚かせますが、
医者は心霊能力を持つ精神病者と断定します。

この状況に読者は本当に神か訪れたのかという疑問と神の悩みとその
ケアはどのようになされるのかという興味がわく構造になっています。

私は神だといえば精神病者と断定するのはいいにしても、その超自然
能力については霊能力として認めてしまうところは科学を身上とする
精神医学の面でもOKなのかという疑問も湧きます。

つまり、神は精神異常でも私は霊能力を持つという場合は正常な
現実で霊能力は社会的認知のものなのかという疑問が日本人には
あると思います。

似たようなものに国の成立とか国の根源を記した公的文書というものが
しばしば宗教以前の神由来の昔話や伝承やらということがあります。

日本で言えば古事記であったり日本書紀ですが、その内容は昔我々が
よく聞いた神話なのです。

それが対外的に我々には自分たちの神がいて王がいて統治機構があるから
勝手にさせてくれということだったのです。

現代から見れば何とも幼稚な発想だとか非科学的と鼻じらんでみる
ことも見る向きも多いと思います。

しかし、これは普通に今でも信じられていることであり、普通に今でも
同じように神をまつり、各地でお祭りを行っています。

靖国神社に政治家がお詣りしただけで抗議する韓国や中国もその多くの
神仏や神由来の天皇とか精神性には触れてきません。

鎌倉時代元寇で傷ついた多くの御霊を弔うために円覚寺が建てられた
ことなど知らないことでしょう。つまり日本人には敵も味方もなく死者に対する
礼節の心と安らぐための儀礼があったのです。

科学万能時代とはいえ人の心の部分には科学では説明できない部分が
かかわっていると皆信じているわけです。

それはそもそも人間の力ではどうにもならないことについて救いを求めたり、
農業という生命線を握る天候や災害の安寧を願う心から発明されたシステム
なのだと思っていましたが、6万年前にアフリカを旅立った祖先が集団で
都市を築いた時から神というシステムを必要にしたのではと考えます。

この本では、目の前に現れた患者が神なのかという興味もありますが、
神の進化とか神でもどうにもならないという神の悩みなどを考えたときに
初めてこの本の真価が現れるのだと思います。

一つ引っかかるのが心霊能力は科学者から見ても正常に起きる現象なのか
ということですが、それらのこともすべてどう集結して集約し解決される
ような物語となっていますが、それはどう読むか読者の問題でもある
のです。

ここでこの本の構造体と本質をすべて明かしてしまうわけにはいきませんが、
ベトナムで500万人近くを殺し、日本に二発の原爆を落とし、イランやイラクで
宗教が政治にかかわることへの介入などなど世界の命数を握る国の神への
思いを知るのもいい機会かもしれません。
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