昔のクラッシック音楽というのは楽団員が大勢で
いかにも大がかり、ドラマチックで解りやすく、刺激的
なものが多いのですが、近代になるとやたらと難しく、
聞いてもなんだかわからないものが多いのです。
実際150年とか江戸時代のころのものが未だに
多く演奏され、当時はあまり顧みられなかった作曲家も
現代において東洋の日本で大々的に演奏されているのを
彼らが目の前にしたらどんな言葉を漏らすのでしょうか。
そして、昔はよくあった歌謡ショーとか歌番組のテレビ放送は
今はほとんどなくなったのですが、そうなるとはやり歌というのは
どこで作られどこでヒットを集めるのかとふと疑問に思います。
つまりは時代の共感を得にくくなって、テレビ番組もかつての
ようにみんながテレビの前に集まって家族中で見るものではなく
なり、世代を超えたコミュニケーションとか時代の躍動が感じられ
なくなっているのではないかとふと思います。
それでもいつの時代でも誰かとつながっていたいという欲求が
SNSやら携帯片手にいつも何かやり取りしている人を生んでいる
のでしょう。
しかし、このネットの世界もかつてより情報が得られなくなって
おり、誰かの都合のいいことばかりがばらまかれている感じを
受けます。
そんなことを感じたのも久しぶりに見かけた山田べにこの温泉番組
など毎日放送したかと思ったら今月に入り全くなくなってしまい、
積極的にネットのホームページで検索してやっと放送予定をゲットすると
いう感じです。
もはや新聞のテレビ欄でお気に入りの番組を探すなんてことは
ないのです。
そもそもほとんどの番組が当家では録画鑑賞で、CMはすっ飛ばして
みるし、ライブで見るのはどうしても録画できない重なった時とか
ニュースぐらいのものです。
そんな折に久しぶりに見た所ジョージの世田谷ベースという番組の
最後に彼の歌がギターで弾き語りで披露されそのフォークでも演歌
でもない独特の曲が妙に引っかかり、ネットで曲名と映像を探します
が、一向に解りません。
色々なミュージシャンがいますが、歌はその人のすべてが出てしまう
ので、いくらテレビですべて露出しているようでも本性とか一番根底の
魂の部分というのは作られた顔で覆われなかなか見えないものが、
その人の作った歌で自ら歌うとなるとそれは見事に諸々がでてしまう
ものです。
歌がその人の表現方法なんだと感じられる人は実は少なく、ただ
歌手にあこがれていい歳してもまだ歌手をやっているとか芸能人を
やっているという人が多い中、やっぱこの人は歌手なんだという人
は少ないのです。
一回それもほんのちょっと聞いた歌がいつまでも耳に残り、なにか
迫ってくるというありきたりでないものを感じさせてくれたできごと
でした。
いかにも大がかり、ドラマチックで解りやすく、刺激的
なものが多いのですが、近代になるとやたらと難しく、
聞いてもなんだかわからないものが多いのです。
実際150年とか江戸時代のころのものが未だに
多く演奏され、当時はあまり顧みられなかった作曲家も
現代において東洋の日本で大々的に演奏されているのを
彼らが目の前にしたらどんな言葉を漏らすのでしょうか。
そして、昔はよくあった歌謡ショーとか歌番組のテレビ放送は
今はほとんどなくなったのですが、そうなるとはやり歌というのは
どこで作られどこでヒットを集めるのかとふと疑問に思います。
つまりは時代の共感を得にくくなって、テレビ番組もかつての
ようにみんながテレビの前に集まって家族中で見るものではなく
なり、世代を超えたコミュニケーションとか時代の躍動が感じられ
なくなっているのではないかとふと思います。
それでもいつの時代でも誰かとつながっていたいという欲求が
SNSやら携帯片手にいつも何かやり取りしている人を生んでいる
のでしょう。
しかし、このネットの世界もかつてより情報が得られなくなって
おり、誰かの都合のいいことばかりがばらまかれている感じを
受けます。
そんなことを感じたのも久しぶりに見かけた山田べにこの温泉番組
など毎日放送したかと思ったら今月に入り全くなくなってしまい、
積極的にネットのホームページで検索してやっと放送予定をゲットすると
いう感じです。
もはや新聞のテレビ欄でお気に入りの番組を探すなんてことは
ないのです。
そもそもほとんどの番組が当家では録画鑑賞で、CMはすっ飛ばして
みるし、ライブで見るのはどうしても録画できない重なった時とか
ニュースぐらいのものです。
そんな折に久しぶりに見た所ジョージの世田谷ベースという番組の
最後に彼の歌がギターで弾き語りで披露されそのフォークでも演歌
でもない独特の曲が妙に引っかかり、ネットで曲名と映像を探します
が、一向に解りません。
色々なミュージシャンがいますが、歌はその人のすべてが出てしまう
ので、いくらテレビですべて露出しているようでも本性とか一番根底の
魂の部分というのは作られた顔で覆われなかなか見えないものが、
その人の作った歌で自ら歌うとなるとそれは見事に諸々がでてしまう
ものです。
歌がその人の表現方法なんだと感じられる人は実は少なく、ただ
歌手にあこがれていい歳してもまだ歌手をやっているとか芸能人を
やっているという人が多い中、やっぱこの人は歌手なんだという人
は少ないのです。
一回それもほんのちょっと聞いた歌がいつまでも耳に残り、なにか
迫ってくるというありきたりでないものを感じさせてくれたできごと
でした。