さて翌日のことである。その患者さんはいらっしゃらなかった。心の中では「きのうはどうしたかなー。たぶん大丈夫だとおもうのだがなー」と引っかかっていた。そして数週間くらい後になってやっとその方が外来にお見えになった。「先生、今日は風邪をひいたようなのできました」と。「あの後のお加減は如何だったでしょうか?」と数週前に往診したことを聞いたら「あぁ、あの時は先生が往診から帰った後で、娘が心配になり救急車をよんでくれて救急病院にいってCTとりました。なんにもなかったのですが点滴1本打って帰ってきました」とのこと。そうなのである、まったく気がつかなかった。たしかにその時の患者さんのニーズは私の往診でも、診察でも、自宅での療養指導でもなく、「点滴1本」だったのである。点滴治療自体は特に必要ではなかったが希望されていたのである。このときも患者さん(この場合はご家族だが)のニーズを汲み取ることができなかった。医師会の委員会を休んで往診し診療をして療養指導したにもかかわらず、信頼されず自分の帰宅後には救急車が呼ばれたのである。このようなケースでは気分を害する医師もいると思うが、自分は検査なし、診察だけで診断をつけることの難しさを実感している。だからもしも自分の判断が誤っていた時の事を考えると、自分の判断が否定されて救急車をよばれてようが別に何とも思わない。それはいいのであるが、むしろ「あ じゃあ点滴1本打っときましょう」という思いに至らなかったのが無念である。いやはや患者さん(家族も含めて)のニーズを察するのは難しい。