たしかその夏の夜の映写会では飲み物が配られたような記憶がある。校庭の一角に屋台があった。大きなホウロウ製の鍋に氷柱が入れられそこにカキ氷用のシロップと水が追加されて冷たい飲み物が作られていた。まあ暑い夜だったためか、この冷たく甘い飲み物は極上の美味しさであった。当時の環境や設定条件の中では最高に美味い飲み物であったのは間違いない事実である。現在であればペットボトルの飲料水が配布されるであろう。確かにこちらのほうがはるかに簡便で衛生的である。でも味に関しては当時の屋台のシロップのほうが遥かにうまいと断言できる。舌を見れば赤や緑の原色に染まった人工甘味料でも、美味いものは美味いのである。
昔、A小学校に通学していたころ、夏休みの行事で夜に映写会というものがあった。人形劇や文芸作品の映画が上映されたのである。確か屋外で開催されスクリーンは校舎の壁だったと記憶している。校庭にゴザを敷いて体育座りをして鑑賞した。テレビがあまり普及していない時代だったので結構面白かった。あのころ視たものは今でも自分の深層心理に影響を及ぼしている。やはりあの年代における「摺りこみ」は重要である。このような行事では今で言うボランティア的なサポートが商店街の人たちによってなされていた。当時はそんなこと知らずに映写会を楽しむばかりであったのだが。
最近よく昔のことを思い出すようになったがそれは齢のせいか、あるいは認知症の始まりかもしれない。つい数年前までの大学勤務医のときはまったく幼児期のことや小学校時代のことを回想しなかった。たぶん開業で実家にもどってきたため地域的な関係から小学校当時の昔の出来事を回想するようになったのであろう。A小学校での60周年記念式典の挨拶では、ある来賓の方が「皆さん方は地域の人たちに支えられて学校でいろいろなことを学んでいるのです」といっていた。けだし名言である。しかし自分がA小学校に通っていたころはそんなことぜんぜん実感していなかった。だから地域の人たちのサポートがあったことを生徒が理解できるにはこれから数十年かかるかもしれない。いや・・・というか数十年後になってようやく理解できた自分がただ単に鈍感なだけかも?(泣)
地元のA小学校の校医を務めてまだ3ヶ月しか経過していないが、ここの60周年記念式典に参加した。自分が通学していたころの校舎はすでになく、当時の面影はない。しかし廊下に過去の記念行事の写真が展示されており、当時の写真もあった。なかでも校庭に生徒全員が集合し、人文字を作って高所から撮られた航空写真では「自分もこの中にいたんだなぁ~」という感慨もあった。当時の木造校舎の廊下に塗られたオイルの香りは強烈だった。あれ?校庭はこんなに狭かったっけ?とも感じた。通学当時はまさか数十年後にまたここにいるとは夢にもおもっていなかった。まさにこの数十年、「あっ!」という間である。
いつの時点から人が「賓」になったり「偉く」なったりするのかという疑問は、ずっと解決できない命題であった。ところが随分後になって分かったのだが、防衛医大出身の先生に連れられて横須賀の自衛隊に行った時だった。すれ違う隊員がみな敬礼するのだ。その先生は「僕に敬礼しているのではありません。僕の肩章の『位』に敬礼しているのです」と教えてくれた。結局、世の中もそうなのであろう。表面上の「肩書き」に拝礼するのであって、その人の「中身」はどうでもよいのである。まあ、でも自分のようなグ~タラ医者にとっては中身を問われないほうが都合はよいのである(笑)。
ところが、そんなことを思っていた数十年後に「来賓各位」という招待状を受け取った。この8月より地元のA小学校で校医を拝命された。学校行事の招待状である。ということは校医というものは来賓になるんだなと理解ができた。しかしながら、あまり釈然としない。つまり医者になって週十年、自分は何も変わってはいない。ところがある日突然「賓」となったようであり、その境目が見出せないのだ。「学校医」という肩書きがつくと「賓」であり、それが外れると「賓」ではなくなるのであろうか? 自分の本質は何にも変わっていないのに・・・と思う。毎晩、酔っ払ってうたた寝をする姿は少なくとも「賓」ではないと思うのだが(笑)。
自分が小学校のころの運動会では、見物用として生徒の席はもちろん父兄席やら救護の席もあった。そして中央に置かれた本部テントには役員席があるが、その中には「来賓席」というのがテントの一角に設置されている。各々どのような人が座るのか想像がついたが、この「来賓」だけは子供心に一体どんな人が座るのか分からなかった。学校関係者ではあろうが校長先生の席に近いのできっと偉い人なのだろう当時思っていた。なにやら来賓挨拶ということで区の「なんとか長」とかいう人が壇上から「皆さん、今日は元気に頑張って・・・」などと言っているところから、とにかくきっと偉い人なんだろうなと思っていた。
現在、何人か在宅医療の患者さんを診療している。その中のKさんは一人暮らしで寝たきりである。意識はしっかりしていて認知症もない。以前より足腰が弱く転倒して骨盤骨折してから寝たきりになった。内蔵は比較的丈夫でありこれといって肺炎などおこすことなく2年が過ぎた。この人の最後は自分が看取るのだろうなと漠然と思っていたが、2ヶ月前ごろより福祉事務所から他県への転医の話があった。その後転院先が決まり、そして先日ついに自分が行う最後の訪問診療を終えた。まあ患者さんもそうであろうがこちらも感慨深いものがある。自分にとって「彼を看取るのは自分である」という覚悟が不必要になったのだから、幾ばくかの空虚感が残るのもやむをえない。
過日、母が根津まで用足しに行き、帰りにたい焼きを買ってきた。自分は、この店が1階に入っているマンションに住んでいたことがある。このたい焼きは外側の皮は薄くてパリパリであり中身の餡子はしっとりとしている。勤務していた大学病院のすぐそばにあるため、昔からよく医局で食べていた。久しぶりに食べたがやはりうまかった。改めて感心したのは皮は中身が透けて見えるほど薄いのであるが、餡子が外にはみ出るようなことはなく、絶妙の厚みに仕上げられていることである。う~む、プロの技である。ここはいつも行列である。私は周りの皮がパンケーキみたいな分厚いたい焼きは好まない。