吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています

公園での犬の散歩 その1

2018年07月12日 05時36分21秒 | 日記
 この前散歩の途中にある公園に寄った。するとある高齢のご婦人が小型犬2匹を散歩させていた。
 いや散歩ではない。2匹ともリード(手綱)がついていない。つまり公園の中を放し飼いさせていたのである。
 何気なくこの光景をみていたら。別の男性が寄ってきてこの婦人に注意した。
 「リードしてなきゃだめだよ」と・・・。するとこの婦人は少し切れかかり
 「こんな小さな犬にリードつけなくても人に迷惑かけてないでしょう? いいじゃないの? しかもうちの子にそんなリードなんて可哀そうじゃない?」と・・・。
 少しこの2人は言い合いになっている。傍で聴いていると、この婦人の論理は「人に迷惑かけていない」と「うちの子が可哀想」の2点である。実に独りよがりだと感じた。
 「人に迷惑を掛けていない」かどうかは貴女の判断ではない。他人の判断である。
 例えば近年、セクハラ問題がクローズアップされている。「キミ、彼氏いるの?」という文言も立派なセクハラなんだそうだ。つまり人が嫌がるかどうかは自分の判断ではなく受け手の判断なのである。
 いい、悪いは別として、今の世の中、自分の基準はなく人が嫌がればみんな〇〇ハラスメントになってしまうのである。

若者言葉 その2

2018年07月11日 06時17分07秒 | 日記
 「若者言葉」と書いた。しかしよく考えれば別に最近の言葉でもない。実は自分が若者であった大昔、自分も使っていた記憶がある。いつから使わなくなったのであろうか? なんだか自分から無意識のうちにgeneration gapを作っているのかもしれぬ。
 「ヤバい」という言葉は昔からあった。ただ意味としては「不都合な場合」につかった。今では「ものすごく驚嘆する出来事に遭遇した場合」にも用いる。美味しいものを食べた時「ヤバい(くらい美味しい)」という意味で用いる。昔は遅刻しそうなとき「ヤバい(遅れそう)」という意味で使った。ニュアンスは異なっているようだ。
 「マジ」という言葉も自分が若い時に使っていた。そして「キモイ」ということばは20年くらい前のギャル言葉から始まっている。20年ものこっているのだからこれはすごいのである。
 大昔、1970年代「ナウいちょっとスカしたヤング男性」などという言葉遣いがあった。この言い回しは数年ももたなかった。こんな言い回し恥ずかしくって今、言う人などいない。
 ということは「ヤバい」「マジ」「キモイ」などの言葉はしぶとく生き残っているので、今の若者は由緒正しい言葉を使っていると言えるのかもしれない。

若者言葉 その1

2018年07月10日 05時41分54秒 | 日記
 先日、所用で横浜にでかけた。結局京浜東北線に1時間乗車していたわけであるが、途中いろいろな人の会話が聴けた。
 ある駅から乗った若い男性二人組である。片方がやたら喋りまくって、もう一人は比較的話を聴くような、漫才で言うボケとツッ込みのような感じである。話の内容などはほとんど聞こえなかったが、その突っ込みのほうの会話内容が陳腐なのである。喋る単語が数語しかないのである。まあツッコミ担当といえばそうなのであろうが、友人同士の会話で片方が会話を構築しないのも奇妙な関係に思えた。たぶんそのツッコミ担当の声がやたらと大きすぎて、それのみが聞え奇異に感じたのかもしれない。
 それで喋る言葉は「はぁ?」「マジ?」「ヤバー!」「キモー!」「引くー」・・・。
 大体これくらいの単語の使いまわしを延々と続けたのである。彼らが降車するまでの10分くらいはこの単語のシャワーであり、自分は聴くとはなく耳に入ってくるのだが気になってしょうがなかった。ボキャブラリーが貧弱なのか、完全に漫才のツッコミなのか? なんかな~。

裏口入学なのか? その2

2018年07月09日 05時34分16秒 | 日記
 入試において便宜を図ったというがどの程度のものか? 今どき医学部の裏口入学というものがまだ行われていたことに驚いている。新設医大増設された昭和45~50年ごろの時代にはちらほら聞いた話であるが現在もあるとは思わなかった。
 あと少しの所で足りない点数の上乗せだったのか、まったくはるかに低い学力にもかかわらず無条件入学させたのか、どちらなのかは知らない。
 しかしながら、こうなってしまった以上、この学生は学内では身の置き所がなくなってしまうだろう。自主退学を迫られるのかあるいは、現在までの成績が優秀であればこのまま頑張らせるのか、今後の大学側のこの学生への扱いに注目したい。
 この逮捕された役人は馬鹿である。でも息子をぜひ・・・という気持ちも痛いほどわかる。自分が何とかしてあげられるのなら・・という気持ちも良く分かるが、でもこの方法はダメである。
 もし学力が伴わなければ入学させても医学部を卒業するのは無理だろう。もしバレたら(実際はバレたのであるが)息子であるこの学生の身の置き所がなくなる。これはこの息子にとっての最大の不幸である。
 この事件はたぶん内部告発であろう。この役人はいくつもの悪事を重ねた。一つは受託収賄、そして2つ目はそれを国民の税金から流用したこと。そして最大の悪事は自分の息子の一生を台無しにしたことである。
 あ 因みに大昔自分もこの大学を受験して・・・落ちた。

裏口入学なのか? その1

2018年07月07日 06時09分15秒 | 日記
 朝日新聞デジタルより
 息子の医大合格の見返りに、国の事業で有利な取り計らいをしたとして、文部科学省科学技術・学術政策前局長の佐野太容疑者(58)らが4日、受託収賄容疑で逮捕された。

 逮捕の発表を受け、東京都新宿区の住宅街にある東京医科大には大勢の報道関係者が詰めかけた。
 キャンパスの入り口では大学職員2人が「東京地検による捜査を受けていることは事実であり、厳粛に受け止めております」「近々、記者会見を行う予定です」などというコメントを配った。
 同大は1916年に設立された医学系大学で、医学科と看護学科がある。大学によると、2018年度の医学科の一般入試は3535人が受験し、214人が合格。倍率は16・5倍だった。文科省によると、医学科を持つ私立大学は全国に31あり、予備校関係者は「東京医科大の難易度は上位に次ぐレベル。国立の難関大の工学部に合格する以上の学力が必要で、『狭き門』だ」と話す。(以上 ニュースより)

 いやはや、この時代になんともベタな事件である。今どきまだこんなことをしているのかと呆れる。

何でだろー? その2

2018年07月06日 06時16分47秒 | 日記
 しかし、今度ご家族の都合で別のショートステイの施設に入ることになったが、そこの看護師さんに言われたそうである。「そのような性的な接触はセクハラです。受け持ちの先生に行ってお薬をもらってcontrolしてください。そうでないとうちでは受けられません」と・・・・。
 ま、セクハラ・・・といえば言えなくもない。でも今、巷で問題になっているのとはわけが違うと思うのだが。前の施設では、高齢認知症患者さんの症状の一環として処理してくれた(というか受け流してくれた)。
 でも今度の施設ではセクハラ(に近い)行為として、これを「医者にいけば薬が出るから、それでcontrolしろ」とうちのスタッフでもないのに「行けば薬がもらえる」といい加減なことを言われたのには驚いた。

 昨日記したようにこの患者さんは少し薬の量を増減するだけでいろいろ状態が変化するさじ加減の難しい方なのである。それを「医者に行けば、薬もらえますから・・・」とさも知ったように簡単に、かつ「勝手に」確約されたら、うちの立つ瀬がない。なんなんだ、なんなんだ~とこちらもため息・・・。
 まあこのままこの勢いだとショートステイに行けないことになり、その理由は「吉田が薬だしてくれないから」と家族に説明されてしまう。向こうの施設での都合をこちらに転嫁されそうな雰囲気なので、しょうがない綱渡りだが新規に薬だすことにした。でも、なんかちょっとなぁ~・・・いいかげんにしろよぉなぁ~(溜息)(怒)。

何でだろー? その1

2018年07月05日 05時59分57秒 | 日記
 最近、個人情報のこともありなかなか突っ込んだ患者さんの話題を書きにくい。でも直接患者さんの話ではないので最近の話題を一つ。
 実はAさんという93歳の認知症の方。この方は高齢でもあり、すぐ誤嚥性肺炎を起こしては栄養不良になったり、抗菌薬出すと3日目にはすごい下痢になったりする。あわてて止痢剤服用させると今度は便が出なくなりで、本当に治療の「さじ加減」が難しい方である。そして彼は短期記憶障害は高度ではあるが受診時はいつもニコニコして好々爺と言った感じ。
 さてこの方がある通所リハ施設に週2回行っているが、時々職員女性に「タッチ」するそうである。高齢の認知症男性は大脳皮質からの制御機構が衰えるのか自分の男性の機能が前面に出てしまうことはよくあることである。でもその施設の女性職員の方は「あら。だめですよ~そんなことしちゃ~」と軽くいなすそうである。
全身状態が悪いとほとんど動けなくなるので、そのような行動の発現は「元気な証拠」のバロメーターであるとその女性職員の方は理解されているのである。プロである。

桂歌丸師匠逝去

2018年07月04日 06時19分44秒 | 日記
 昨日、歌丸師匠がなくなった。生前の映像が流れたがCOPDを長らく患っていたとのこと。この疾患は労作時の息切れから、末期は喋るだけでも息切れがしてうまく会話ができないことも多い。
 最後は高座でも経鼻カニュレから酸素投与しながら落語をしていた。これには恐れ入った。もうすでに喋るだけでも苦しい状況である。しかし澱みなく、滑舌もよく、一語一語明瞭に言葉を聞くことができた。とてもじゃないけどあの病状では会話もままならないはずである。それが人に話をきちんと伝えられるだけの力が(残っているはずがないのに)残っているとは驚いたのである。
 落語が好き・・・だけではできるものでもない。人に何かを伝えたいという気持ちだけでもできるものでもない。あれだけのことができたというのは一体何だったんだろう? 落語という職業は人を笑わせるという柔らかいイメージのため誤魔化されているが、実はその陰に隠れた鬼気迫るほどのプロ精神としかいいようがない。

パス回して勝利 その3

2018年07月03日 06時03分05秒 | 日記
 選手らの「コメントでは「これも戦術」と、何か理由や言い訳を言っているような印象。やはり根底には「モヤモヤ」したものが見え隠れする。日本に必要なのはずる賢さだ・・とか以前外国からいわれているが、試合を意図的に遅延させ、ずる賢しく勝つのと、正々堂々勝ちをもぎ取ろうとして攻撃して自滅するのと、日本人がどちらを選ぶのかということになるのだろう。批判されようとも貪欲に勝ちにこだわるのか、潔く「日本人らしい敗者の美学」に徹するのかどちらがいいのかは好みの分かれるところ。
 それにしても選手たちの本音は今回の戦術を100%胸を張って受け入れているのだろうか? 「これも戦術」とか「結果的にはいい選択」という文言は何だか「モヤモヤ」していることになる。だとしたら今回のこの戦術はいただけない。
 そして今回は試合には勝ったけど、「日本にサムライの美学」はなかったと世界中に示したようなものだ。賛否両論であるが、自分は潔くないと感じた。親がこの試合を子供に見せて「いいんだ、いいんだ勝てば何でもいいんだ」と胸を張ってこの消極的な戦術を子供に勧められるかということも疑問である。戦術をとるか日本人の精神性をとるのか・・というところだろう。
 もちろん、この消極的なパス回しの戦術を否定しているのではない。これはこれ。ただ自分は好きではない・・ということである。もちろん国際試合だから日本には勝ってほしいが、「これが日本のサッカーだ!」と誇れるものではない。
 一方、本日の決勝トーナメントである。後半2点を先制した。攻撃的かつルカクを徹底的にマークした試合運びは手に汗握るものがあった。最後は逆転されたが相手をかなり本気にさせたという試合は「日本のサッカー」として誇れるものである。負けたら悔しいがでも爽快感はある。これがスポーツの醍醐味と感じるのである。

パス回して勝利 その2

2018年07月02日 06時02分55秒 | 日記
 国内ではこの勝ち方に賛否両論である。「これも戦術、ルール内、勝ちにこだわる」というものもある。もちろん勝てばいいのだがこの方策は、たまたま勝てたという博打だった。裏のコロンビア・セネガル戦の結果いかんでは日本は負けていたのである。
 もし負けていたなら国内からは「何故あそこで積極的に攻めなかったんだ。自力で勝ちに行くのが日本のサッカーだろ」と、賛否両論の「賛」の論者も手のひらを返したようにそういうであろう。
 「勝てば官軍」、これを正しいとしてしまうのは自分では納得できない。日本は(サッカーではないが)サムライ日本の精神でやってきたはずである。全力を尽くしてすべてを出し切って負けたとしてもそれは美しいものとして容認されるのが日本の美学だと思っていた。その日本のサムライ精神は広く外国から認められてもいるのである。
 「裏」の試合の流れとは関係なく「全力で戦う」精神のほうが、自分はそれで負けたとしても誇らしく思う。裏の試合との「フェアプレーポイント」の差で日本が勝ったというが、このパス回しの戦術のどこがフェアプレーなんだよと思う。しかもこのポイントの差での勝利である。イエローカード受けたら終わりであるということで消極的に行けとの指示だった。まるで無事故無違反で表彰された車を運転しないペーパードライバーのようだ。運転しなきゃ違反も事故もない。また選手の気持ちの中にも遺恨があるはず。
 もちろん、これは自分の意見であり、勝てば官軍の意見を否定するものではない。