吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

50年に一度?

2020年07月11日 06時09分43秒 | 日記
 今回の九州大雨災害では「50年に一度の大雨」って被害が出てから言っている。もちろん振り出す前にどのくらい降るかの正確な量は分からないにしても、降った後で結果をみてから「多かったですね」ではどうにもならない。しかも前から疑問に思っていたのだが昨年も50年に1度の大雨が多発した。そして今年も50年に1度の大雨が各地で猛威を振るっている。50年に1度の大雨の翌年の大雨であれば25年に1度の大雨くらいの表現に減らないのかと思う。だって毎年同じ規模の大雨が降ったならば基本的には「1~2年に1度の大雨です」っていうのが正しいのじゃないか? 
 とにかくあの表現は何の意味があるのかと思ってしまう。50年に1度の大雨が去年あったのであれば、「じゃああと50年はこのような大雨はこないよね」と安心してしまう。
 あの表現だけはやめてほしい。

蒲島知事「『ダムなし治水』できず悔やまれる」 熊本豪雨・球磨川氾濫 その3

2020年07月10日 05時56分16秒 | 日記
 結局、ダムを作っていればこんなに災害がひどくはなかったかもしれないという話にはならなかったようだ。ダムを造らなかったのは周辺流域の住民の意向であり、そしてその後の県民の意識調査でもダム中止に85%の支持を集めているということで自分は正しかったと言わんばかりである。
 しかしどうにも「住民の意向」=「私の責任じゃない」に聞こえる。そしてダムの代わりの治水対策は「金がかかるので進んでいない」とし、「ソフト面を充実させる」つまり早め早めに非難すること・・・って、結局ダム建設中止させて12年間ほとんどハード面は何もなかったということですよね。その挙句、「早めに非難しなさい」ということが治水対策ってなんか変? まあそれでも周辺被災住民の方が「ダムがないほうがいい」と判断するならそれでもいいでしょう。
 今はコンピューター解析ができるので、ダムがあった時の浸水状況のシミュレーションしてみたらどうなりますやら。たしか昨年の大雨の時、八ッ場ダムのおかげで流域氾濫が起こらなかったって聞いたけどあのダムも無用の長物なんでしょうか?

蒲島知事「『ダムなし治水』できず悔やまれる」 熊本豪雨・球磨川氾濫 その2

2020年07月09日 06時16分45秒 | 日記
 知事曰く、「2008年9月11日に全ての状況を把握できていたわけではない。熊本県の方々、流域市町村の方々は「今はダムによらない治水を目指すべきだ」という決断だったと思う。私の決断は県民の方々の意向だった。私の決断の後に出た世論調査の結果は、85%の県民が私の決断を支持すると。その時の世論、その時の県民の方々の意見を反映したものだと思っている。ダムによらない治水をどのようにまとめていくか。時間的にはたったかもしれないが、方向性としては、とにかく早く逃げることがとても大事で、そういうソフト面を大事にした。」

 つまりダム以外のハード面での対策は全く進んでいないということであり、むしろ洪水が起こった場合、どう逃げるかという政策だったということである。洪水をどう防ぐかではなく、どう逃げるかということである。住民が現在暮らしている地域をどうしたら安全な街にするかと言うことに対しては最初からギブアップしたということである。

蒲島知事「『ダムなし治水』できず悔やまれる」 熊本豪雨・球磨川氾濫 その1

2020年07月08日 05時37分03秒 | 日記
 7/6(月) 8:38配信 毎日新聞
 熊本県南部の記録的豪雨で1級河川・球磨川が氾濫し、甚大な被害が出ている状況について蒲島郁夫知事は5日、報道陣に「ダムによらない治水を12年間でできなかったことが非常に悔やまれる」と語った。
 球磨川水系では1966年から治水など多目的の国営川辺川ダム計画が進められたが、反対する流域市町村の意向をくんだ蒲島知事は2008年9月に計画反対を表明。国も中止を表明し、09年から国と県、流域市町村でダムに代わる治水策を協議してきたが抜本策を打ち出せずにいた。
 2008年にダムを白紙撤回し民主党政権によって正式に決まった。その後、国、県、流域市町村でダムによらない治水を検討する場を設けてきたが、多額の資金が必要ということもあって12年間でできなかったことが非常に悔やまれると。

東京、コロナ警戒の数値基準撤廃 幹部「経済持たない」 その3

2020年07月07日 06時23分24秒 | 日記
 7月より県をまたいでの外出もOKになり、また大きな商業施設も再開されてきた。すでに大きな人のうねりは動き始めているのである。今後も感染者は漸増することは間違いない。ここで押さえておかないとこれから押さえは効かなくなる。でも一度大きなうねりが動き出しているので行政も今またすぐ止めることができないのであろう。
 本当は政治的英断でロックアウト宣言してほしい所であるが、「宣言(自粛)基準を変えました」とか「医療はまだ切迫していないから」とか、もう何とも言い訳にしか聞こえない。知事の言う「全体像をみながら」という言葉こそ数値基準などありませんよと言っていることと同じである。なんだかすでにコロナに降参で両手を挙げたようにみえるのである。
 ディズニーランドの入場者が「ああ、(開場を)待ち望んでました~本当によかったぁ~」とうれし涙を流しているのをTVでみると、ああこの危機感のなさはいったんなんだ、勘違いもはなはだしいと思うのであるが。Panicになるくらいの危機感をもってほしいし、行政もメディアも煽ってほしい。


東京、コロナ警戒の数値基準撤廃 幹部「経済持たない」 その2

2020年07月06日 05時56分53秒 | 日記
 何故、1波がおさまらないのに国は非常事態宣言を解除したのか、そして何故今、新規感染者が100人を超える毎日なのに再度宣言を出さないのか、はたまた都の緊急アラートすらもでないのかとにかく不思議であった。これはもう危ない数字である。ベッド数を3000床確保したなんて言っているが、医療機関が空のベッドを空けたままで待機などしたらすぐに病院はつぶれる。しかも患者を診るのはベッドじゃなくて医療従事者である。医療従事者確保は医療機関任せとなるのが無責任とも思うが。ベッドのお願いだけして「余裕あります」のコメントは荒唐無稽である。
 でもなぜ緊急事態宣言を出さないのかはわかった。都は非常事態用の財源の290億をつかいはたしてしまったのである。もうこれ以上は財源がない。ここで自粛させても財源がないので休業補償などできないのである。つまりこれこそ非常事態なのであることを都民は理解して不要不急の行動は控えるべきなのであるが、でも宣言がなければ自粛する人はいない。
 このままだと東京は滅亡する。

東京、コロナ警戒の数値基準撤廃 幹部「経済持たない」 その1

2020年07月04日 06時16分18秒 | 日記
7/2(木) 5:00配信 朝日新聞 DIGITAL
 東京都は1日、新型コロナウイルス感染の「次の波」への警戒を呼びかけるための新たな指標の試行を始めた。この日、都内では緊急事態宣言解除後、最多の67人(注:7月4日現在124人)の感染が確認されたが、新指標には数値基準はなく、どこまで警戒すればいいのか、街の人々からは戸惑いの声も上がる。 「医療体制が逼迫(ひっぱく)しているかどうかが一番重要なことなので、そこを項目として精査した」。新たな指標について、小池百合子知事は1日、報道陣に対し、日々の感染状況よりも医療提供体制に軸足を置いたことを強調した。
 都は、全業種への休業要請を解除した6月19日までは、週平均20人以上になれば東京アラートを発し、50人以上なら「休業を再要請」とする数値基準を示していた。新指標では、こうした数値基準を撤廃した。その理由について、小池知事は「数字を見てスイッチをオン・オフにするということではなく、全体像をつかんでいかなければならない」と説明する。
 都の幹部は「これ以上休業要請をしたら経済が持たないというのが大前提だった」とした上で、「命を守る観点で、医療体制が維持できているかを客観的に判断できるようにしたのが新指標のポイント」と話す。都庁内には「漠然としすぎていてかえって混乱させるのではないか」と指摘する声も根強い

「八ツ橋」創業年訴訟 「聖護院」に損害賠償求めた「井筒」敗訴 京都地裁判決 その3

2020年07月03日 05時43分09秒 | 日記
 確かに原告側の気持ちは分かる。しかし現実的にはこの創業年の「古い、新しい」で商品の購入動機が決まるわけではない。「この創業年の不当表示によって商品の売れ行きに不利益が出る」と争点にもってきたのはいささか無理がある。これは原告側の弁護士の戦略に問題があった。
 特にこのような、「どっちが元祖」的な争いは、売れ行きに差が出るというよりも、単にうちが元祖であるという「メンツ」の問題である。それを根拠なく「うちのほうが元祖」と言われたんじゃ相手は怒るはずである。
 もっとも今の法制度の中では年号を詐称しても、また「どっちが元祖でも本家でも」どうでもいいことなのであるという結果が出た。有名人の経歴詐称についてはなんだかかなり同義的に追及されるようであるし、そのことでなにか被害を被ったのであれば法的な罰則もある。
 しかし今回、創業年について明らかではない場合、それがたとえ意図的に詐称しても問題ないことになる。法に罰則規定がないなら原告側はあきらめるしかない。
 もっとも法で裁かれないからと言って、事実かどうかわからないことを、正しいものとして自社製品に表示することはとうてい潔いものではない。小学校ですら教えるはずである。よい子の皆さんはまねしてはダメ。


「八ツ橋」創業年訴訟 「聖護院」に損害賠償求めた「井筒」敗訴 京都地裁判決 その2

2020年07月02日 06時04分36秒 | 日記
 同業2社による骨肉の争いであろう。ただし被告は別に何とも悪いことをしているという感覚はないのであろう。しかし原告側にしてみれば、根拠もないところで勝手に「創業1689年」と、自分の店よりも古い年号を付けられたらメンツにかかわるのである。歴史のある店はどっちが元祖かは重要なのである。
 なので事の発端はこのメンツの問題である。この1689年は筝曲者 八つ橋検校が亡くなった年である。この八ツ橋検校にちなみ琴の形を模したお菓子が作られ、それが八ツ橋なのである。ところがこの年号は検校の没年ではあるが被告の店が創業した年かどうかは不確かであるそうだ。
 被告の主張する創業年には正確な資料がなく根拠がない。そこに同業他社である原告側がかみついたのである。このような歴史の町 京都で創業年の古さは店の「格」になる。そこにきて証拠もないのに自分の店よりもはるかに古い年号をつけられたので黙っちゃいないのである。


「八ツ橋」創業年訴訟 「聖護院」に損害賠償求めた「井筒」敗訴 京都地裁判決 その1

2020年07月01日 06時31分56秒 | 日記
6/10(水) 13:34配信 毎日新聞
 京都銘菓・八ツ橋の大手「聖護院八ツ橋総本店」(京都市左京区)が元禄2(1689)年創業とうたうのは虚偽だとして、ライバル店の老舗「井筒八ツ橋本舗」(同市東山区)が、創業年などの表示中止と600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、京都地裁(久留島群一裁判長)は10日、請求を棄却した。
 訴状などによると、「聖護院」は商品の説明書きやホームページで、八ツ橋の誕生は元禄2年で、江戸時代の箏曲の祖・八橋検校(けんぎょう)にちなみ、琴に似せた菓子が寺院の聖護院周辺で売られていたと記載。同社は320年以上、八ツ橋を製造し続けているとし、包装などには「創業元禄二年」「since1689」と表示している。
 これに対し、「井筒」は文献に記録がないことから「元禄年間に八ツ橋という菓子は存在していなかったと考えられる」と主張。八ツ橋がいつ誰により創作され、八ツ橋と名付けられたかは明確な定説がなく、創業年の表記は品質を誤認させる違法な表示で、同業者の信用を損なったと訴えていた。