六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

期待と不安・・・今日のキジバト

2010-05-03 16:56:54 | ラブレター
 目の前に巣をかけているキジバトが抱卵し始めてからもう二週間近くになります。
 どんな具合なのでしょうか。
 今日は朝からなにやら親鳩がもぞもぞ動いています。
 ひょっとして雛が孵ったのではないでしょうか。
 あるいは卵を裏返しているだけでしょうか。
 親鳥はまんべんなく暖めるために卵をひっくり返したり、向きを変えたりすると言われています。

    

 確かめたくてしょうがないのですが、孵ったとしたらいっそう親鳥は神経質になっているはず、容易に近づくことも出来ずウズウズしています。
 写真も前ほど鮮明でないのは遠くから写してトリミングで引っ張っているからです。

 特にこれまで2回が悲劇に終わっているだけに、今度こそはという期待と不安とでいっぱいなのです。
 すべきことが手につきません。
 弱ったものです。

 おまけの写真は今を盛りのツツジです。 

    

    
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それはいたし、いまもいる。

2010-02-01 03:28:30 | ラブレター
 
 
 最初の雪降りのときはこんなところにいた。

    
 
 次の雪のときはこんなところにいた。

    
 
 そしてそのまま居座っている。

 
 
 このまま暖かい春が来るのを待つつもりだろうか。

 去年から今年、足かけ2年、それはこうしている。

 
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬見井久君 ご苦労様! 君は偉いっ!

2009-10-20 17:31:22 | ラブレター
 瀬見井久君が12年間つとめた犬山市の教育長を辞任するそうです。
 瀬見井君などと君付けで呼ぶのは、彼が私の学生時代の同級生だからです。
 特別に親しかったわけではありませんが、会えばもちろん挨拶のみならずいろいろ言葉を交わす仲でした。まだ犬山市の教育長になる前、愛知県職員のころには私のやっていた居酒屋にもしばしば来てくれて、私もその席に招かれ歓談したものでした。

 瀬見井君が辞任などというと、しばらく前でしたら、回りの頭の固いどうしようもない連中に責め立てられて、刀折れ、矢尽きたかといったところだったでしょうが、この時点での辞任は、彼の教育への情熱と理念が堂々と認められた結果の凱旋ともいえるものです。

             

 彼を一躍有名にしたのは、文科省が現場の意見(組合だけではないですよ、校長など管理者にも反対が多かったのです)などを無視して一方的に進めた全国学力調査への参加を、唯一見合わせてきた自治体の教育長だったことです。
 今では明らかですが、この「調査」と名付けられたテストは、自治体別、学校別の学力を競わせる一種のレースで、学校や地方によっては、点数を底上げしたり、成績の悪い子を当日無理矢理休ませるなど、ただただ、教育現場を荒廃させるものにすぎませんでした。

 はたせるかな、調査の結果は、成績とその都道府県や自治体の一戸当たりの所得とがほぼ比例することを示し、ようするに、教育投資というゼニ・カネの問題に還元されるというものでした。そして敢えていうならば、そんなことは毎年百億近い金をかけて全国一斉にテストをしなくとも、ちょっと想像力を働かすならば誰にでも分かることなのです。
 そこで現れた結果が現場を締め付け、「学力調査に向けた教育」という本末転倒の結果すら生み出し、教育現場をいっそう混乱させるものでした。

 

 瀬見井君もちろんそれらを予見して参加しなかったのですが、彼の功績はそうしたマスコミが取り上げやすいセンセーショナルな事柄にあったばかりではなく、もっと地味な、本当に子供に向き合った教育の場を築き上げたことにあったのです。
 そのひとつは、少人数学級の実現でした。一クラス30人ほどをめどにそれらは進められ、学童と教師の触れ合いの機会を多くしました。
 また、国の学習指導要綱では不十分な点を副教本の作成で補うなどの試みが実施されました。
 さらには、一方的な暗記授業から脱却するために、「自ら学ぶ力」を付ける学習や、子供たちが教え合う「学び合い」の授業を押し進めてきました。

 そうした、マスコミではほとんど取り上げられなかった地味な努力があったればこそ、教育現場に不正や荒廃をもたらす「学力調査」という名のドッグ・レースへの参加を拒否したのでした。
 しかしそれは、子供たちの方ではなく県教委や文科省の顔色ばかり窺う連中には忌避され、彼も苦戦を強いられてきました。
 ネットなどでも内実を知らない連中の、無責任な悪口雑言が飛び交ったりもしました。
 しかし、それも過去のことです。

 

 冒頭に、その辞任を「彼の教育への情熱と理念が堂々と認められた結果の凱旋」と書きました。
 そうなのです。
 彼の真摯な主張がついに認められて、文科省も全国一斉のそれを「無駄な事業投資」と認定し、来年度からの学力調査を、その本来の目的に即して「抽出調査」にすることを内定しました。
 これにより、上に述べた過当競争や、それが引き起こす不正やインチキが防げ、その上毎年、数十億円の無駄な出費が削減されるのです。

 瀬見井君の努力の結果は、今、上のような形で全国規模で結実しようとしています。
 しかし、本当の彼の成果は、目隠しをされた上でむち打たれて駆け出すような無機的な教育ではなく、自分たちで学ぶ力を付けるという犬山方式の教育で育った子供たちの中にこそ実を結ぶのではないかと思います。

 瀬見井君、本当に御苦労さんでした。
 しばらくはゆっくりお休み下さい。
 


コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アクアージュと白いワニと「ちょっとだけよ」

2009-09-06 04:04:40 | ラブレター
     

 写真は、岐阜の繁華街、柳ヶ瀬の一角にある「アクアージュ柳ヶ瀬」という通路です。アクアージュというのはアクア(=水)とパサージュ(=通路)を合成してできた言葉で、要するに「水の道」なのです。
 私はこの路地が好きで、用がなくともここを通ったりします。夏などは特にひんやり感を体験することができます。

 一見したところ普通の路地なのですが、この下にはちゃんと水が流れていて、長良川からとられたその水流は、かつては灌漑用水だったようです。
 前にちょっと調べたことがあるのですが、岐阜の街には縦横に水が走っていて、しかもそれらはほとんど清流なのです。にもかかわらず、今日それを見ることはほとんどできません。

 私が子供の頃や若い頃には、随所でそうした水流を目撃できたのですが、今ではその至近距離に住んでいる人すら、その足下に清流が流れていることを知りません。
 なぜなら、それらの水流は、今ではそのほとんどが暗渠になっていて人の目に水が触れることはないのです。要するに、人間様の都合により、それらのほとんどに蓋をし、通路や駐車のスペースにしてしまったからです。

 陽が当たらない川は死にます。あたら清流が流れているのに、それらが闇の中を黙々として流れるのはもったいないことです。
 むかし、SF小説で、大都市の暗渠に逃げ込んだワニが、代々その暗闇に適応しながら、ついには目は退化するものの音と匂いですべてを判読できる真っ白なワニになる話を読んだことがあります。
 岐阜の暗渠には、ワニはいないでしょうが、真っ白なオオサンショウウオぐらいならいるかも知れません。

     

 もし、私が岐阜の地で革命を起こしたら、まず第一に、暗渠の蓋を取っ払い清流を陽のもとにさらします。その時、白いオオサンショウウオがどうなるのかがちょっぴり不安なのですが・・。

 アクアージュに戻りましょう。
 ここに水があるのはごく自然なことです。柳ヶ瀬という地名そのものが瀬のほとりに柳が生い茂っていたことによるに違いないからです。ですからここは、柳ヶ瀬のシンボルのようなところなのです。

 ここの通りが好きなのは、わずかではありますがこの下を流れる清流が顔を出しているからです。上の写真でいうと、前方の鉄柵のあたりです。そしてそこには魚たちがいます。緋鯉やフナ、そして、ウグイや白ハエのような連中です。
 「お前たち、よくこの暗渠で暮らしているな」と声をかけるのですが、どっかの無粋なオッサンが来たとばかりにいったんは暗渠に逃げ込みます。
 しかし、しばらくじっとしていると、またポワ~ンと現れるのです。この瞬間、私の中には、この魚たちへの愛おしさのようなものが溢れるのです。

 それは例えば、今様の開けっぴろげのストリップショウに対して、大昔の「ちょっとだけよ」というストリップのもっていた矜持のようなものに似ているかも知れません。しかし、その矜持を愛しながらも、私の中の革命家は、この閉ざされた川を開けっぴろげにせよと叫び続けるのです。

 私は夢想します。私の革命が成就しなくとも、いつの日かこのアクアージュの解放された空間から、真っ白なワニやオオサンショウウオがたくさん現れて行進をし始める光景をです。その時私は、その先頭に立って、ブラボーと叫びたいのです。

 え?お前なんか真っ先にワニに喰われる? いいですとも、真っ白なワニに喰われるという貴重な経験が私の革命なのですから・・。

 アクアージュという言葉の後半はパサージュだといいました。
 パサージュは常に、それを辿るものを意外な地点へと導くのです。
 他なる地点、他なる時間、他なる次元。
 革命とはそこへと至ることではないでしょうか。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

延べ100,000の方々に感謝を!

2009-08-22 02:51:00 | ラブレター
 
       ハチスの蜂巣 それぞれの孔に実があるのが分かりますか

 私のブログを覗いてくれた人の延べ人数を示すカウンターが10万を越えました。
 22日の午前0時現在で100,050人の方が来ていただいたとのことです。
 むろん中にはパッと開けて、「何だ、つまらん」とすぐ立ち去った人もいらっしゃると思います。
 でもそれをも含めて、10万の人が来てくれたという事実は残ります。
 もう数年以上前でしょうか、結構専門的な記事を書いていらっしゃるの音楽関係の方のHPを覗いたら、そのカウンターが10万を示していて「わぁ、凄いなぁ」と思ったものです。まさか自分のブログがその域に達するなんて・・・。
 もっとも、世の中には「※っ※のブログ」のように、8,600万以上をカウントしているものもありますからそれに比べたらちゃちなものですね。

 2006年の5月に開設したのですが、最初の3ヶ月は月2、3回の更新でしたから当然カウンターもわずかな数字を示すのみでした。本格的に(といっても隔日がいいところですが)書き始めたのはその年の8月からで、それ以来徐々に固定した読者の方も増え、丸3年での達成ということになります。

 ただし、カウンターが伸びればいいというものでもありませんので、今後は内容を質的に充実させて行くことができればと思います。
 同時に、記事のジャンルがあまり固定しないように目配りを広く保ちたいと考えています。ということは、ようするに今まで同様、チャランポランであり続けるということです(笑)。
 寄る年波に流されそうですが、このブログを救命具代わりに頑張ります。
 
 立ち寄っていただいたすべての方々に感謝いたします。
 そして、今後ともお越しいただきますよう改めてお願いいたします。
 あ、そうそう、コメントなどもいただければ嬉しく思います。
 ほんとうにありがとうございました。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【討論】相対と絶対  なんたる刺激!

2009-05-28 02:33:12 | ラブレター
 前回の私の記事、【相対主義と絶対主義】を別のSNSへも掲載いたしました。
 変な独り言のような記事ですから、コメントはほとんど付かないだろうと思っていましたが、けっこう興味を示していただき、それぞれ中身の濃いコメントをいただくこととなり、思わず襟を正すこととなりました。
 以下はいただいたコメント、並びにそれへの私の応答です。

Aさん より
 勉強不足で分からない部分たくさんありましたが、興味深い日記でした!
 相対主義と全体主義に対してのさらなる考察の日記を期待しますわーい。

Aさんへの私の返事
 私もあまり分かってはいません。この問題は、どうしてもある種のアポリアを免れがたく、そうしたアポリアにうちにあるのが人間なのだといってしまえそうなのですが、それで済ませては実も蓋もないので、そのあたりをなんとか言語化する努力をすべきでしょうね。
 また、新しい進展がありましたら報告いたします。

     
 
Bさん より
 この問題はいつも苦しんでいる問題ですが、問い続けるしかないですね、それにしても写真が素晴らしい。相対主義と絶対主義の対立を超えています。

Bさんへの私の返事
 Bさんがお進めになっている「疎外論の復権」とも関連するようです。
 疎外論は、「本来性」からの逸脱、そこへの環帰といった意味合いを含むのでしょうが、その場合の「本来性」の設定を誤ると、民族や大地に足をすくわれたハイデガーのように、あるいはまた、プロレタリア的人間のありようの歪曲を強要したスターリニズムのように、ある種の絶対主義(あるいは形而上学)に至る可能性をも秘めているように思います。
 その意味でお進めになっているお試みにつき、その動機を諒としつつも、どのように具体化するかをかたずをのんでROMさせていただいております。

 写真についてお褒めいただきありがとうございます。
 私のはとてもその域に達してはいませんが、一般的に優れた芸術は、上記のアポリアをイメージの提示として越えているようです。
 その点、哲学や思想は、それらを概念を用いた論理として言語化しなければならないので大変ですね。

     

Cさん より
 僕は相対主義+関係主義+生物学で全て考えてます。
 絶対主義が役に立つのかなと。

Cさんの補足
 現代の精神疾患的犯罪などは、道徳や倫理を問いますが、絶対主義ではヒステリックでアホな議論しか出来ません。
 倫理は物理的条件、生物学的条件を出発点として流動的に組み上げられた関係から発生し、異なる状況では異なる倫理が形成されます。一種の相対主義です。
 役に立つ、という意味では関係主義だと思います。

Cさんへの私の返事
 最初いただいたコメントではよく分からなかったのですが、二度目にいただいたコメントでご主旨は幾分分かりました。
 生物学的というところが面白そうで、これはひとつ間違って、優生学的に固定したファクターとすると、抑圧や排除の道具立てになるわけですが、Cさんの場合には、倫理を人間に内在する固定した要素として捉えるのではなく、生物としての外界への反応のありようのバラエティとして捉えようとなさっているわけですね。
 相対主義は同時に何ものかとの関係を前提するという意味では関係主義でもあると思います。

Cさんのさらなる補足
 わかりにくくてすいませんでした。
関係の生成と変化を前提として、システムの均衡または定常変化の傾向の規則性が重要であると。動的な構造主義ですか。
 これはどんなものにでもあるかと思いますが、社会や人間の場合は倫理と呼ぶというのではと。
 その関係の生成変化を分析してゆくと、これ以上分解出来ないレベルが生物学的条件、物理的条件では、という主旨です。

 ある犯罪の傾向を、犯罪者Aと社会の関係として考えると、犯罪者Aがどのように世界(社会)と関係を結んでいるか、その状態はどのように学習されたか、学習を強いる環境とはどのようなものか、という推測が可能であり、環境から学習した結果、犯罪者Aにとって生きる上で一番効率的な指針を僕は倫理と呼びます。
その土台となるのが、生物学的条件、例えば自己保存の性質や快楽の原則などである、という認識です。

 個々人は学習から無矛盾のやりかたを探します。無矛盾に至るためには何かを排除するかジンテーゼを生み出すか、保留する必要がある。
そのような者同士の間にも無矛盾を求める動きがあり排除やジンテーゼや保留がある。
そのような動きが全体のダイナミズムを生み出すと同時に均衡を生み出す、と。

 絶対主義の要素を入れ込むことは可能ですが、あくまでこのシステムのひとつとしてでしかなく、こうした関係主義思考と対等に扱うことが出来ないことがお分かりかと思います。対比にさえならないというわけです。

 なぜ絶対主義などというものを人は形成してしまうのかを問うのが関係主義的思考だからです。
 多分にニーチェ系統の思考です(笑)

 *追記
 「無矛盾」と言うと誤解を招くおそれがありました
 「最適化」と読み替えて下さい。

 


Dさん より
 どちらの方が人(自分とともに他者、動植物、無生物)を活かし、知性を働かし、より善く、できるだけ「罪」なく生きていけるか、を考えますが。はっきりしているのは、絶対主義は選ばない。相対主義は選べる。選ぶ際には当然、その都度の、絶対ではないにしても「絶対的な決断」をしなければならない。相対主義には絶対主義的なものが含まれている。その逆はあるのかはしりません。絶対主義には相対的な選択はないのでは?それなら、「絶対的な決断」を多くの選択の中からやっていく相対主義の方が、まだまし、になりませんかね。「より善く、できるだけ「罪」なく生きていけるか」の問いがその都度忘却されない分、再審性を持っている分、いいかなと私は思います。

Dさんへの私の返事
 相対主義はもちろん絶対的な基盤を欠いていますから、現実的にはおっしゃるようにある種の決断を迫られるわけです。
 それについて思い起こすのは、あらゆる基礎付けを否定していたプラグマティストのリチャード・ローティが唯一認めていた「人間の悲惨、苦痛の減少」という一見単純な基盤です。
 加えていうならば、ハンナ・アーレントがいっていた、オイコス(エコノミー)から自由になった人間がポリスのアゴラ(広場)という公共の場で「活動」というパフォーマンスを展開するというイメージです。
 とくに後者は、深い人間の肯定に根ざした思考であると思っています。

 ただし、二人とも、それが成功裏に終始するとはいっていません。そうした試みこそ、相対主義を生ききる実存のありようだといっているように思います。

     

Eさん より
 我々のいる大地は物凄い速度で移動していますが、地球軌道の中心にある太陽は更に猛スピードで銀河系を移動しています。
 その銀河系も近くの銀河系と一緒に「島宇宙」を形成し、その島宇宙がまた移動しています。
 座標としての絶対的なものは無いことが分かっています。

 論理学は難しいですね。数学では記号論理学なのですが、前世紀の初めにゲーデルという人が(記号論理学での)論理体系について「不完全性定理」というものが成り立つことを証明しました。

 記号論理での論理体系では有限個の「定義」と「公理」から出発して記号列を構成します。得られた記号列が「定理」となり「真」であり、得られないことが分かったり、それまでに得られた記号列と矛盾する記号列は「偽」となります。
ゲーデルが示したのはある記号列及びその否定の意味がある記号列の両方共に得られないものが必ず存在することです。

 数学は哲学の多くの困難から離脱するために形式化をしましたが、それでもなお新たな困難があることが分かりました。
形式化の一例として数学の基本的概念である「自然数」を例に申し上げます。
「自然数」という概念は歴史的には個数の概念と順序の概念の両方を包含した数ですが、現代数学においては次のようなものとします。

 まずある集合Zで次の「ペアノの公理」を満たすものとします。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%81%AE%E5%85%AC%E7%90%86

 このペアノの公理を満たす集合Zを「自然数全体」とします。
 この「自然数全体」に含まれる要素を「自然数」と言います。
 通常の考え方とは逆ですね(笑)
 この手法はよく使います。

 ウィキペディアには「0」も自然数になってしまいますが、通常は「0」の代わりに「1」から始めます。
 この定義では実は「自然数全体」というのは一つではありません。
 「ペアノの公理」を満たす集合なら何でも「自然数全体」にして構わないのです。
 ただ一つの集合を固定したら、別の『自然数全体』があっても同じものと見做します。

 ある意味、「相対的」な概念とも言えます。

 話はかなり逸れたとは思いますが、私は相対的なものしかないと思っていますm(__)m

Eさんへの私の返事
 私のような文系人間には不得手な分野ですが、お触れになっているゲーデルの不確定性定理や、トーマス・クーンのパラダイム論など、記号論理学や科学史論などの分野でも論議は盛んなようですね。
 最近読んだ本に空集合の話が載っていて、それによれば以下のような展開がなされていました。
 ? ={  }=0  考えていることが何もない。
{? }={{ }}=1  考えていることが何もないことを考えている。
 そしてこの過程は無限に続き、2、3、4、5 ・・・と続きます。

 ここで面白かったのは、最初の? (考えていることが何もない)が始源に見えながら、実は{? }(考えていることが何もないと考えている)に論理的には先立たれている、{? }なくしては?自身が成立不能だという転倒です。

 その先は私には分かりません。
 ただし、始源があって後続があるのではなく、始源そのものが常に後続に巻き込まれてのみ可能であるというパラドックスは、相対主義の論理と深く関わっていると思います。

     

Fさん より
 難しいことは解りませんが、相対論もいつしか絶対論として崇められてしまう傾向はありませんか?
 マルクスの理論がいつしかドグマとなってしまったように。
 フロイトが精神科医を逆縛りするように。

 逆に今ある宗教も当初は相対的に説かれて様な気もします。

 人には絶対を求める弱さがあるのかも。

Fさんへの私の返事
 マルクスの絶対主義的受容がスターリニズムに他なりません。マルクス自身は、形而上学的固定化を忌避していたようですが(「私はマルクス主義者ではない」というマルクスの言明)、ただし、それが十分であったかどうかは問題があるところです。
 フロイトに関しては、「無意識」を実体化(無意識というものがある)してしまったこと、その教義を守る集団を固定化したことなどによって絶対化の非難は免れがたいのですが、19世紀末から20世紀初頭にかけて展開された形而上学批判やそれに伴う「人間」という概念の批判については今なお有効だと思っています。
 ようするに、「人間とは、自分とはかくかくしかじかのものであると思っているような者ではない」ということです。

 

Gさん より
 会話の生産性重視という点一つを取り上げても、ロ?テイは、面白い哲学者ですね。
 私が知ったのは割合最近で、『偶然性・アイロニ?・連帯』から『哲学と自然の鏡』へと遡り、デュ?イ、鶴見俊輔さんまで行き着きました!
 連想ゲ?ム的に、何事も関連して行くので、なかなかキリがつきませんが、楽しくもあります…。

Gさんへの私の返事
 ローティ関連では、ご存じかも知れませんが、『脱構築とプラグマティズム?来たるべき民主主義 』(叢書ウニベルシタス・法大出版)も面白いですよ。
 これは文字通り論争の書で、ローティVSデリダをはじめとする脱構築派の主張が交互に交わされていて、けっこう刺激的でした。
 話が噛み合わなくて幾分いらつくところもあるのですが、全体を読み終わってみると、実践的には両者は思ったほど距離がないのではと思えるから不思議です。
 なお、何かひとつを知ると、その周辺に知らないことがいっぱいあることに気づかされるという面白さはありますね。

     

とりあえずのまとめ
 最初に申し上げたように、こんな記事にこんなに中身の濃いコメントがつくとは思ってもいませんでした。とても驚き、そして刺激されました。
 
 それにしても皆さんよく勉強されていて鋭いですね。
 皆さんへのご返事のコメント、古いノートなどひっくり返して懸命に書きました。おかげで、私が勉強してきたことや考えてきたことの復習が出来ました。
 たぶんこれは、ボケの崖っぷちまでいっていた私を幾分引き戻してくれたのではないかと思います。

 おのれの浅薄さは隠しおおせようもないのですが、これらは私にとっては客観的な論理ゲームではなく、おのれの前半生の総括に関わる問題なのです。
 また、時折、一般的、抽象的、かつ無内容と思われる事柄を書くかも知れません。その折りには、またお付き合い下さい。
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【弔辞】 ああ、斃れしものよ!

2007-12-15 14:00:56 | ラブレター
 もとはといえばお前がいけないんだ
 最盛期のような羽音を立てて飛ぶなんて

 その時は「ア、いるな」ぐらいで済んだ
 でも、お前はもう一度やってきて
 あろう事かカーディガンの腕のところに
 フウワリと軟着陸するようにとまったろう


 だからこっちは本能的に叩いてしまって
 お前は斃れた
 哀れ、冬の蚊よ!

 

 いま、お前の亡骸を前に後悔している
 この時期からして、あの飛び方からして

 もう人を刺す力などなかったはずだ
 だったら、あんな風に叩かず
 自然死を待ってやればよかったのだ


 お前たちの全盛期の
 といっても、もう3ヶ月も前だが

 刺されたときのあの痒みの記憶
 おもわず手が動かしてしまったのだろう

 でも、叩く瞬間幾分力を抜いたはずだ
 だからしばらくはお前も羽を震わせてた
 哀れ、冬の蚊よ!


 

 後悔しているのにはまだわけがある
 俺もまた季節外れの蚊なのだ
 羽音ばかりうるさく飛び回るくせに
 もう人を刺す力なんてありゃしない

 
 お前の亡骸を見ていると
 まるで自分さきゆきのようだ

 
 せめてもの罪滅ぼしだ
 戒名を付けてやろう

 越季院残蚊居士(えっきいんざんぶんこじ)
 こんなのでどうだ


 戒名を持った蚊なんてめったにいやしないぞ
 だからこれで迷わず成仏してくれ

 哀れ、冬の蚊よ!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ちょっと真面目な手紙・最終回】

2007-11-07 03:04:13 | ラブレター
  K

 もう三回目になってしまったね。
 「明瞭に思考するものは明瞭に語る」という言葉がある。
 どうも、僕はそれに値しないようだ。僕の回りくどい言説に、君がイライラしているのが目に見えるようだ。

 前回は、「ひと」と「もの」が極端に抽象化され、その実質性を喪失しているのではないかということをのべたのだった。
 ここでの問題は、そうした状況をあたかも人間にとっての自然条件のようにしてそこへと安住できるならばともかく、そうでないとしたらどうなのだろうかということだ。

 君はずっと以前、「もう突き詰めたことを考えることはやめて優しく(易しく)生きる」と宣言してそれを実践していたかのような時期があった。僕はそんな明確な決意すらなく、ただデスペレイトな生活を送っていた。
 気がついたら君は、「やはり優しくは生きられない」と猛然と勉強をはじめた。

 
 以下の連続写真は私の部屋からの朝焼け。電線が煩いが何とも仕様がない。

 僕はといえば、何を学んだらいいのかさえ見当がつかず、悶々としていたのだが、ひとつの切り口として、前々回に述べた広義のスターリニズム、あるいは全体主義を可能にした思想的背景、近代を可能にしたもの全体の再検討をしてみようとやっと思いついたのだった。
 そこで出会ったのが、ソシュールであったり、フロイトであったり、ニーチェであったり、あるいはマルクスの再検討であったり、さらにはハイデガーとの出会いであったりするのだが、その内容は書くまい。それらについては、君の方がうんと詳しいはずだからだ。

 それらや、それに連なるフランスの現代思想などから僕が学んだものは、荒っぽくまとめてしまうと、あらゆるものをひとつの全体へと同一化して行く形而上学的なものに対し、そうした全体からつねにはみ出して行く他者、無限なものの対置であり、そちらの側に自分の身を置くことであった

 

 こんな風に書くと、凄く抽象的で一般的になってしまうが、しかし、ここにはまちがいなく、僕らの主体というものの倫理的なありようをも含む問題があるのだと思う。
 
 それは例えば、未来に対する構え方の内にもある。
 例えば、ひとつの全体化された物語の次の一コマとしてそれを捉えたり、あるいはもっと極端に言えば、フランシス・フクヤマのように「すでにして歴史は終わった」とするような立場がある。
 この場合、僕らにはもはや「決められた」未来や「決まってしまった」今しかないのだ

 それに対するアレントの「複数性」に依拠した「公共空間」や、ナンシーの「無為の共同体」や、そして、デリダの「来るべき民主主義」などは、全体化されない他者、無限へと開かれた未来像を見据えている。
 それらはいずれも、あるひとつの「体制」のようなものを提示はしていないが、それこそ、ディスコントラクティヴな営為の連続として、僕らをなにかへと縛ろうとするものへの絶えざる抵抗となるはずだ。

 

 この素描は、同時に、左翼や右翼という篩い分けがいかに無効になっているかも示している。旧態然とした世界へと私たちを縛り付けようとするいわゆる「右翼」が問題であるとしても、「左翼」を自称する言説の中にも、完全に閉ざされた、同一性への思考が往々にしてあるのだ。
 とりわけ、スターリニズムを狭義にしか捉えていない言説にはそれが目立つ。

 あ、それからこうした開かれたものへの志向は、二回目の手紙で縷々述べた、「ひと」と「もの」との抽象的で疎遠な関係をも問いただすことになるだろう。なぜならそこでは、交換価値という抽象化された全体性の内へとすべてが吸いとられ、「ひと」や「もの」がもっているはずの無限な可能性が完全に閉ざされているからだ
 交換価値の中には詩や芸術は存在し得ない。あるいは詩や芸術すら、交換価値の中に吸収されてしまう。

 

 やはりなんか尻切れとんぼだが、この辺でこの手紙はお終いにしようと思う。
 「その歳になってやっとそれが分かっただけか」と君は笑うかもしれない。確かにそうだろう。だが僕は今、例え遅々としてであれ、何かへと漸進しているように思う
 この間に読んだ本のノートも、いつの間にか何十冊かたまった。それらを読み返す作業と並行して、今、悪戦苦闘しながらエマニュエル・レヴィナスと向かい合っているところだ。

 書いた僕も疲れたが、読まされた君も疲れたろう。
 今度会った時は、最初の一杯は僕がおごろう


<追伸>僕は遅れてきた青年だ。それが証拠に、十一月になってから蚊に刺された



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【お宝と比内鶏・ちょっと真面目な手紙の2】

2007-11-02 17:42:30 | ラブレター
 K

 この間は、中途半端で終わってしまって失礼した。
 正直に言うが、私自身、書くべきことがすでに分かってしまっていて、しばし、筆を休めたわけではないのだ。ここまで書いてしまって、さてどう進めるのかが僕の前に立ちはかだっているのだ。

 ひとつのキーワードは「ポスト近代」だ。
 この過程がすでに1960年代に端を発することは述べたね。それを詳しく見てみよう。

 マルクスはその主著『資本論』を書く時、その端緒に「商品」をおき、それの分析からはじめたことは周知の通りだね。その時、マルクスは、商品を使用価値と交換価値とに分けた。    
 これは分かりやすいんじゃあないかな。
 要するに、商品はそれを使ってなんぼの価値があるというのが前者で、それをお金に換えたり、他のものと交換したらなんぼのものかというのが後者だという価値の二つの側面を現したのだ。

 
 
 しかし、この一見、当たり前に見える関係は、20世紀後半をもって劇的な変化を見たのではないだろうか。
 それは言ってみれば、その頃までは、使用価値という実用性と商品とがどこかで結びついていて、商品はあくまでもなにがしか使用価値に寄り添っていたように思うのだ。
 要するに、有用なものは価値のあるものであるということだ。

 しかし、いまやそれを信じることはナイーヴなことになってしまったのではないだろうか。
 なぜなら、かつては僕らの欲望に寄り添っていた(使用価値としての)商品が、いまや、僕らの欲望それ自身を駆り立て、かつてはその使用価値における有用性などまったくなかったところにまで触手を伸ばしているからだ。
 限りなき欲望そのものの生産によるすべての交換価値化、価値の貨幣換算への一元化である。

 

 君も知っているだろうが、テレビに「お宝鑑定団」という番組がある。ここでの評価を見ていていつも思うのだが、そのお宝の特異性、じいさんや先祖が大事にしてきたり、本人がとても気に入っているというそのものへの思い入れとは関係なしに、価格が付けられる。その価格は、もちろん交換価値としてのそれである。
 ここでは、そのもの性(そのものへの思い入れなど)をきっぱりと捨象した交換価値のみが提示される(この番組を否定しているのではない)。

 僕はここに、抽象性の強化=交換価値の優位性、がクッキリ示されているように思う。そしてそれは、人間と「もの」との結びつきがもはや貨幣を媒介にして(あるいはそうしてのみ)計られるといういう意味で、「もの」の貧しさと、同時に人間の貧しさをも現しているように思うのだ

 

 もっともマルクスという人も、この過程を見通してはいた。使用価値から分離された交換価値がすべてを覆い、貨幣へと還元され、それが資本へと組み込まれる、その循環は予見済みといえばそうではあろう。

 しかし、その規模やスピードが凄いとは思わないかい。
 あらゆるものが貨幣で計られるなかで、商品の使用価値などあっさりとないがしろにされる。それが今日の偽装事件にもよく現れている。
 
 秋田の比内鶏がいい例だ。あの薫製に使われていた鶏は、一羽二、三千円する比内鶏ではなく、何と一羽二、三〇円の廃鳥(もう卵を産まなくなった鶏)だったという。あの、一見木訥そうに見える経営者のおとっつぁんが、「コストダウンのためにやりました」といっていたのは印象的だったね。要するに、廃鳥という使用価値のものを用い、「比内鶏」というレッテルで交換価値を底上げしていたのだ。
 これ程極端ではないにしろ、あらゆる偽装は、そして偽装ではないまでも、コストダウンや合理化は、多かれ少なかれこうした問題を孕むのではないだろうか。

 

 こうした趨勢は何もインチキに限られることはない。
 僕は最近、TVを見ていて、何のコマーシャルか分からないものに出っくわすことが多い。これは僕が古い人間であったり、不勉強だからといえばそれまでだが、その分からないコマーシャルというのは、その背後にある商品が見えてこないのだ。要するに何が売りたいのかが分からないのだ。
 それもその筈、そうしたコマーシャルは、背後にこれと指示できる商品がなく、ある種の金融商品のようなもの(これはまだ分かる)、情報やサービス、派遣の媒介、単なるイメージ商品などなど、それとは目に見えないあらゆる分野がいまや貨幣との交換を求めているのだ。

 商品との使用価値との乖離といえば、いわゆるブランド品というものもそうだ。
 かつてのブランドは、あそこの商品は質が高いとか、しっかりしているとか、美味しいとか、そうしたある意味で身体で感じることが出来るものだったと思う。
 しかしいまは、それ以上の付加価値を持つようで、要するに、それを使用するステイタスが貨幣に換算されるのだ。
 前に、退職する共通の友人に、ベルトか財布などの小物でも贈ろうと思って見に行ったとき、最低でも数万円を要すると知って驚いたことがあったろう。三千円以上のベルトをしたことのない僕らは、自分たちがやはり貧乏人に過ぎないことをイヤというほど思い知らされて、それを肴に飲んだことがあったっけ。

 

 これまで述べてきた実質的な使用価値から著しく乖離し、頭でっかちになってしまった交換価値の洪水、これはいわばリアルな基盤を欠いた仮想現実(バーチャル・リアリティ)ではないかということであり、それがいまや世界を覆い尽くそうとしている。
 それは同時に、ポスト産業社会とかポストフォーディズムとか言われるシステムの全世界化(後で見るように空間的にも質的にも)であり、これが広い意味でのグローバリゼーションといっていいのだろう。

 一般的には、そうした何でも交換価値へという趨勢が、いままでそうでなかった領域にも急速に拡大しつつあることで、これは地理的な意味での拡張でもあるが(隣の中国が典型)、同時に、いままで貨幣経済とは無縁であったような私たち自身の風俗習慣の中への浸透として質的な変動でもある。それらは、何も中国に限らず、全世界的に浸透しつつあり、かつ、質的な面では僕らの足下をもさらに堀り崩しつつある。

 

 こんなことは君にとっては常識であり、君だったら、もっと簡潔にして精密に語りうることだろう。
 しかし、白状するが、この手紙は君以外の読者をも想定しているので、回りっくどさは許して欲しい。

 ここで、何を言いたいかというと、ポスト近代というのは、一面、「もの」や(僕にとっては何と不要なものが多いことか)情報の過剰に取り囲まれていながら、一方ではそれらと僕らとはかえって切断されているのではないかということなのだ。
 したがって、これに僕はどう対面してゆくのかという問題があり、ここでやっと書き出しの個人史へと戻るのだが、やはり長くなりすぎたようだ。
 申し訳ないが、また筆を置いて次の機会に回したい。

 今日、子供の頃に可愛がって貰った夫妻の訃報が届いた。
 九六歳と九三歳だから年に不足はないのだが、彼らが元気だった頃に出会っているので、やはり感慨が残る。
  


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ちょっと真面目な手紙】

2007-10-31 17:57:13 | ラブレター
 僕をいつも、批判的な眼差しで眺めていてくれることで友人である K への手紙

 もう十月が終わってしまうというその時の流れや区切りに、いまさらのように驚いてみても始まらないのだが、しかし、そういう機会には何となくもっとスパンの長い流れ、例えば自分の個人史のようなものがヒョイと顔を覗かせることがあるものなのだ。

 むろん個人史といっても、自分がどのように育ち、誰を愛し、何を食べてきたのかのような、手を伸ばせば届くような狭い範囲でのものから、少し大げさかもしれないが、自分がこの世界、あるいは時代とどう関わってきたのかというレベルのものまであるのだと思う。

 

 前者の狭義の個人史は、君もある程度知っているように、改めて述べるようなものはほとんどないのだが、後者に於いては、一時期、きみとも一緒に行動してきたこともあって、多少は話題性を持たせることが出来るだろう。

 あの若い時期、僕らは現実の虚妄を捉え得たように思った。あまつさえ、僕らが夢見る「現実」こそが、「真理」であると思うに至ったのだ。だから、いまだ潜勢態にしか過ぎない僕らの「真理」を現実化すべく様々な行動を展開したのだったね。

 

 しかし、僕たちは敗れた
 始め、僕たちは何に敗れたのかすら分からなかった。もちろんその折りのそれぞれの「狭義の政治課題」に於いても敗れたのだが、やがて、それに留まらず、僕らが抱いていた「真理」の現実化というレベルでも、僕らは負けてしまっていたことに気付いたのだった。

 これは何も相手の力が強かったからと言うだけではなく、僕らが抱いていた「真理」、そして「現実」のイメージそのものがいつの間にか崩壊してしまっていたのだった。
 ようするに、僕らが立っていた地盤そのものが、地震の際の液化現象のように崩壊してしまっていたのだ。

 

 それはいわゆる狭義のスターリニズムやその体制の虚偽性のことではない。そんなことはもっと前からお互いに知っていた筈だ。
 だからこそ、僕らの敗北は深刻だった。
 そのひとつは、僕ら自身が、広い意味でのスターリニズム的な思考の内にあったということだ。僕らの掲げていた「反スターリニズム」は、当のスターリニズムに、もっと真面目にピュアーにやれと迫るようなものであった。

 僕らは、極端に言えば、「世の中には唯一の真理や正義があり、そのためには、人を殺しても自分が死んでもいい」という固定した真理や正義への全体化の運動の内にあったのだと思う。そう、この「全体化」こそ、「全体主義」のそれであることを君は十分知っているね。
 そして、君も気付いているように、それへの固執が、その後の連合赤軍事件に濃い影を落としているのだ。あれは、僕たちの分身でもあったといえるかも知れない。

 

 もう一つは、僕たちがそれと戦っていたと思っていた現実そのものの大きな変貌だった。それはすでにして1960年代から、いわゆる先進国に於いて始まっていて、今日のグローバリゼーションへと繋がるものなのだが、僕はそれを、狭義の資本主義の定義のうちでしか捉えることができなかった。

 なんだかだらだらと長い手紙になってしまった。
 このまま書き続けたら、本当に11月になってしまうだろう。
 途中で申し訳ないが、この続きはまた改めて書くつもりだ。

 尻切れとんぼだがひとつだけ言っておこう。
 1960年代に端を発する現実とは、いわば「ポスト近代」とも言われるものだ。
 これは、ひと頃はやった「ポストモダン」とも当然関わるが、それも含めて次回に書くつもりだ。

 

 寒くなるから、おたがい体には気を付けよう。
 またどこかで杯など交わしながら、僕の手紙に対する君の酷評に耳を傾けたいものだ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする