春うららという天候にも変わらず、気分はもう戒厳令。
実際のところ、生まれてこの方、一日中このニュースに囲まれ、大本営発表を待つかのように事態の展開に神経質になるのは、あの戦時中以来のような気がする。
そんななか、今年はじめてじっくり桜を見た。
場所は徒歩五分ほどのところにある「マイお花見ロード」。川沿いに桜が連なるのだが、名のあるところでもないため、花の見ごたえの割に、ビジターは少ない。せいぜい、私のようなご近所さんが散策するのみ。
加えて今年はコロナ禍、やはり人影はまばら。数百メートル歩いたが、出会ったのは三組ぐらい。
開花は早かったようだが、それ以降、天候や気温の波が大きかったせいか、今年の花は長く楽しめる。まだ、こぼれんばかりの状況だ。
それでももう、樹によっては散り始めているものもあり、それらが水面に散り、水流に運ばれて花筏をなしている。
桜を堪能したあと、そのままスーパーへ食料品を買いに。
途中、南消防署を通りかかったら、はしご車の訓練をしている。隊員たちがキビキビした動作で、「〇〇完了しました!」などと報告する。それでも指導員から、「**、立ち位置が違う!」などと叱責が飛ぶ。
早くはしご車を伸ばすところまでやらないかなとスマホを手に待つが、はしごを伸ばす前段階までで伸ばす気配はない。
諦めてその場を離れたが、ひょっとして私がいなくなった頃に上がるのでは、時折振り返ったりする。われながら未練がましい。
買い物の帰途、道路脇のすみれの群落に出会う。もともと、ここにすみれが咲いていたのは知っている。数年前に見つけたときはせいぜい数株程度だった。今年みると、道沿いに二〇メートルほど紫の帯が伸びている。たくましいものだ。
ゲーテが詩を書き、モーツァルトが曲をつけた歌曲(K476)では、すみれは恋い焦がれた羊飼いの娘に踏んづけられて、それでも喜んで死んでゆくというマゾヒスティックな展開だが、このすみれたちを見ていると、女の子に踏んづけられたぐらいでは死んだりしないだろうと思える。
もっとも、踏んづけられても「イテテッ」といって、また立ち直るということでは詩にはならないのだろうが。
https://www.youtube.com/watch?v=fk-C2PTJMl4
春愁などといって、春は悩ましいというのはとりわけ恋をしていたり、この世をはかなんでいたりする人たちにとってであろうが、今年の春は、この世界で暮らすすべての人にとって悩ましいようだ。
最後に、花筏の動画を載せるが、面倒なので編集してない。いささか冗漫にすぎるので、途中まで見て、飽きたところでやめてほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=6FSh8lUw9EE&t=35s