六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

観桜@雨の奥美濃・郡上八幡

2019-04-17 01:48:41 | 花便り&花をめぐって
 4月14日、地域の人達と一緒に奥美濃の花を求める小紀行に同行した。
 目指すのは旧白鳥町(「しろとり」と読みます)の入り口の牛道谷沿いに登ったところにある岐阜県指定の天然記念物、樹齢数百年の善勝寺桜。

          
 国道156号線から右折し、どんどん登る。標高が高く成すのが車の角度で分る。
 到着。しかし不安がよぎる。駐車場の傍らに何やら白いものが列をなして・・・・。残雪だ。これで桜(ここはエドヒガン)が咲くのだろうか。

          
 坂を登って境内へ。本堂の前にも、そのひさしから落ちた雪が。
 何やら大木があるが花の気配はまったくない。しかし、これが善勝寺桜、蕾はまだ固く、桜である印もない。聞けば、開花は20日以降で、見頃は月末とのこと。

          
 道中、ソメイヨシノの満開を見てきたのが嘘のようだ。ただし、善勝寺桜にすれば、日が浅くひとに馴致されたソメイヨシノと俺とを一緒にするなといったところだろう。

       
 でも、ここで自然物以外に、郡上の歴史を語る上での重要極まりない史跡を見つけ、いささか興奮したのだが、これはまたあとで別途まとめてみたい。

          
 境内の池で、純白の鯉など撮して、郡上八幡へと。どんより垂れ込めていた雲からはついに本格的な降雨が。
 郡上八幡のいろいろな桜はいまを盛んと咲き乱れ、ソメイヨシノなどは、樹によってはもう散り始めているものもある。

          
          

 雨にもめげず、それらをカメラに収める。やはり外国人観光客が多い。出会った中で、最大のグループは英語を話す人たちで、雨中でもけっこう陽気で賑やかだ。

          
          
 郡上八幡は水の街だ。長良川、吉田川、小駄良川などの清流のほか、無数の小さなせせらぎが街を走っている。
 雨の散策もまた風情がある。しかし、この時期の雨はまだシンシンと冷える。

          
          
 やがて始まる遅い春まつりの幟が、風雨にはためいていた。


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一寸の光陰 軽んずべからず 老いの春

2019-03-08 00:08:41 | 花便り&花をめぐって
 春が来ました。
 
 紅梅は満開を過ぎて散り始めました。
 水面に花びらが散った方は、手前に紅梅の樹も映っています。

 
           
 桜のつぼみが膨らみ開花し始めたのがお雛様の頃でした。

 
             
 若葉も燃え始めました。

          
 雪柳の花も遠慮がちに花を。
 やがてびっしり付くことを期待していいます。

         
 桜の方は咲き始めてから三日目、もう満開に近づきました。
 薄暮のなかで白く浮き出ています。

             
 そして四日目の今日、もう満開と言っていいのではないでしょうか。

 
                
          
 紅葉した南天とのコントラストが面白く思えます。

     
 春眠暁を覚えずで、目覚ましを止めてから、また寝てしまいました。
 図書館への返却日が迫っているのに、まだ読めていない本があります。

 春に浮かれている暇はありません。
 光陰矢の如しで、「老年」学成り難しなのです。
 「一寸光陰不可輕」で、もうあとがないのです。

 
 
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「ハルツゲコムラサキ」という「私的言語」と春

2019-02-24 17:07:45 | 花便り&花をめぐって
 春夏秋冬を明らかにするため、暦の上に立冬だとか立春などと区切りを入れる。もちろんこれは目安にしか過ぎず、実際の季節の移行はグラデーションの期間を経て次の季節へと至る。
 だから、実際の季節の変化についての実感は、私たち一人ひとり経験、ないしは自分のもつメルクマール(指標)によるところに従う。
 ようするに、どこそこのどの花が開いたから春、どこそこへどの鳥が来たから春、どこそこのどの山の雪が溶けたから春、といった具合だ。だから私たちは、それぞれ、自分の春を、そして自分の四季をもっている。


            
 ただし、地球上のいろんな土地は、私たちと同じように四季をもたないところもあるし、年間を通じて変化の乏しい地域もある。にもかかわらず、そこに住む人たちは、私たち以上に微細な変化を感知するアンテナで、年々の周期を感得している。

 なんか大上段に振りかぶったが、人それぞれに季節の移り行きに、今なら春の到来に、自分なりの指標をもっているということである。


                   
 私の話に限定しよう。先ごろ、亡父譲りの紅梅の鉢の開花をみた。しかし、私の場合、これをもって春の到来と断言しかねるのだ。というのはこれまで、せっかく咲いた紅梅の上に雪が降り積もった光景を2、3度経験しているからだ。

            
 私にとっての春の指標は、うちにあるサクランボのなる桜の開花である。この開花は、ソメイヨシノに比べると2週間から20日ほど早い。毎年、3月10日頃にはかなりの花をつけている。
 その蕾が、今年はもう、ご覧のように膨らんでいる。このまま2月が暖かければ、今月中に開花がみられると思われる。これは例年よりかなり早い。

        

 もう一つは、私がいつも通りかかる田んぼののり面にあるイヌフグリの開花だ。この可憐な花にフグリとはなんぞと同情は禁じえないが、まあ、それはそれでいいのではと思い始めている。まあしかし、できれば「ハルツゲコムラサキ」などの優雅な名のほうがいいだろう。あ、これはイヌフグリの別名ではなく、勝手に私がそう呼んでみただけである。

 まあ、彼ら自身は人間の名付けなどとはお構いなしに、まさに春を告げる紫の小さな花をつけるのだが、私の住まいするこの近辺では、ちょっとした危機に見舞われているともいえる。
 かつてはいたるところにみられた彼らが、最近は希少になりつつあるのだ。

            
 ひとつは、彼らの棲息地である田んぼののり面がなくなったことによる。
 道路から田へと斜面があり、その斜面にわがイヌフグリやタンポポ、スミレ、山菜のノビルなどがのびのびと生育するというのがこれまでだった。それが整備され、それらののり面は、道路から田へと垂直に切り立つコンクリートの壁にとって変られた。こうして上に述べた植物群に加え、ハルシオンや野アザミ、すかんぽを見ることもめっきり減ってしまったのだ。

 さらには、それら田んぼの埋め立てによる市街地化の進行もある。もちろん、それによって埋め立てられた土地にあった彼らは姿を消すのだが、それだけではない。埋立地には住宅やアパートなどの建造物が建つ。そうすれば当然日影が生まれる。
 そうした日影に、わがイヌフグリはめっぽう弱いのだそうだ。ある随想によれば、マンションの日陰になったイヌフグリの群落が全滅したとのことである。

            
 ようするにイヌフグリは、とりわけ陽あたりを好むといえる。それだけに、私が命名したように、まさに、「ハルツゲコムラサキ」なのである。
 先日、私が毎年ウオッチングをしている場所で、イヌフグリが健気に花をつけているのを確認した。

 私の春が、やってきた。
 
    真先に笑ひかけしは犬ふぐり  小山徳夫
    日の当る処に座り犬ふぐり    大東二三枝

 上の二句は、いずれも私が上に書いたことを裏付けているようだ。

 沖縄の県民投票を気にしながら・・・・。




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植物の営み(2) 菊の花粉がこぼれる

2018-11-15 17:12:22 | 花便り&花をめぐって
        

 わが家の菊がいまをを盛りと咲いている。
 買った覚えもないし、自分で植えた覚えもない。
 気がつくとぽつんと咲いていて、それからン十年、今やわがもの顔に庭の一角を占領している。

        

 黄色一色で何の変哲もない直径3~4センチの小菊だが、毎年、律儀に花をつけるさまはやはりかわいい。

     

 いろいろ写真に収めてみたが、やや望遠気味にして花芯に焦点を合わせて撮ったら、何やら橙色の欠片が花芯の周りに。菊の花の構造を調べたら、この欠片は花粉らしい。
 花粉までこんなふうに撮ったことはないので、いくぶん感動している。

     
 
 ひとつひとつの花を、シニアグラスをかけて丹念に観たが、こんなふうに花粉がこぼれているのは、開ききって花が終わりに近づいているもので、当たり前だが、若い花ではまだしっかりと雄しべの先っぽに付いている。

    

 花の構造や受精の仕組みを観ていたら、やはり生物、その仕組みは動物のそれとさほど変わらないことに気づいた。
 この歳になって、中学生ぐらいの知識をやっと飲み込んでいるのだからなんとも致し方ない。
 まあ、でも知らないより知ってたほうがいいだろう。

 
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ナンテンたってアイドル! 南天の唄

2018-06-08 23:50:20 | 花便り&花をめぐって
              

 ナンテンはとても強い植物で、知らない間にあちこちからでてくる。
 さして広くないうちの庭(玄関先と居間の南側に少々)にも、ふと気づくとこんなところにという場所から生えてくる。
 「難を転じる」という縁起担ぎもあり、また、生薬の原料でありそれ自身解毒作用があるということでそれなりに尊重してきたが、そのあまりにも旺盛な繁殖力に業を煮やして、ここ何年かは専守防衛の精神を発揮して、新たなものは排除やむなしという方針に転じた。

 それでもいまなお、数箇所にそれなりのスペースを占めて陣取っている。それすらもわが庭のキャパシティからいったら過剰気味なのだが、それらを許容しているのにはある事情がある。

          

 ご存知かもしれないが、一口にナンテンといってもその種類はいくつかに及ぶ。いま、うちにあるナンテンは4種類である。
 そのうち2つは、ほとんど見分けがつかないが、秋に実を結ぶ頃になるとその違いが判然とする。一方は赤い実がなるのに対し、一方は白い実を結ぶ。いわゆる白ナンテンなのである。

 もう一つは葉の形状が違う。写真でご覧になるように、歯が細くよじれている。いわゆる柳葉ナンテンというのだそうだ。
 これが捨てがたいのは、もう25年ほど前他界した父が実家の坪庭で育てていたものを、そこを潰すと言うので貰い受けてきたものだからだ。他に亡父からは紅梅の鉢も引き継いだ。

          

 もう一つは折鶴ナンテンという。あまり大きくはならないが、秋には真っ赤に紅葉する。
 このナンテンは、今から30年ほど前、飲食店をやっていた折、常連だったヤクザのあんちゃんが正月前に2万円だと売りにきたのを断った寄せ植えの鉢の中にあったものである。
 断ったのに何故うちにあるかというと、こんな事情による。正月明けの頃、そのあんちゃんがやってきて、「結局去年はノルマが果たせず、売れ残ったものを自己責任で引き取らされた。5千円にするから買ってくれないか」という。
 
 見たところ、何種類かのものが楕円形の盆栽風の鉢に寄せ植えにされているもので、5千円ならそれ相当と思われるし、常連のあんちゃんが困っているのなら買ってやっても組の資金源にはなるまいと思ってそれを引き取ってやったのだ。
 
 喜んでそれからもよくきてくれた。多少、それらしい雰囲気はあったものの、根は明るくて良い青年であった。ある時、妹を呼び寄せてクラブかなんかで働かせようと思うがどうだろうかという相談を受けた。私は、「無理して呼び寄せないで、田舎にそっとしておいてやれ。第一、あんたの商売ではいざというとき妹を守りきれんだろう」というと、「そうだなぁ」と素直に頷いていた。

 やがて、全国区のヤクザが進出してきて、彼の所属する地元の組もしばらく抵抗していたが、圧倒的な資金力と軍事力の格差のもと、蹴散らされるようにして解散したようだ。
 その間の抗争で、何人かの死傷者もでたようだが、彼の消息はよくわからない。

          

 さて、その彼から買った真っ赤に紅葉するナンテンだが、その花は他のものに比べてやや遅咲きで、しかも薄紅色をしてとてもナンテンの花とは思えないほどたおやかで美しい。
 この最後の写真だけ見せたら、それをナンテンと言い当てる人は少ないのではないだろうか。


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どっこい、生きている がしかし、手抜きの花便り

2018-05-13 11:24:27 | 花便り&花をめぐって
          

 私ぐらいの歳になると、一週間も日記を更新しないと、「とうとうあいつもくたばったか」といわれそうです。

          
 
 こうやって書いている段には、「どっこい、生きている」という証拠なのですが、本当は自分の身辺におこった出来事に関して少し長い話を書きたくてその準備を進めてはいるのです。

          
 
 にもかかわらずそれをちゃんと書けないのは、並行して某雑誌のためのちょっと長めの文章を執筆中で、単に書くだけではなく、その裏付けなどをいろいろ調べなければならなくて、ちょっと忙しいからなのです。

          
 
 で、今回は、手紙を出しに行ったついでに申し訳程度の散歩をし、その折に撮した写真などを載せてなんとか誤魔化そうとする次第です。
 手抜きであることはバレバレですが、まあ、一応、生きていますというご報告までに。

          

 写真は上から順に、
  ・つい一ヶ月半前まで花をつけていた桜のたくましい変貌ぶり。
  ・ハルシオンのお花畑
  ・最近あちこちに自生しているが多分外来種。名は知らない。
  ・あじさいの赤ちゃん
  ・赤いカタバミ
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居ながらにしての躑躅(つつじ)三昧

2018-04-22 15:53:06 | 花便り&花をめぐって
 この時期、わが家はツツジがこの世を謳歌している。
 玄関先には赤いツツジが燃えるように咲き誇っているし、一階の居間の南側はガラス戸越しに白いツツジがまばゆいように咲いている。
 その同じ木の高い部分はなんと私の2階の居室からも窓越しに見えるのだ。

             
          これは一階の居間からのもの 緑と白のカーテンになる

 この白い方は樹高は4mを越える。樹齢は40年以上である。
 玄関先の赤い方も、樹齢は同様であるが、こちらの樹高は2m強である。玄関先はバス通りに面しているため、あまり伸び放題にすると自転車などの妨げになるため、適度に刈り込んできたせいでその差ができたのだろう。

          
          

 白い方は、まったくの放任で、植えっぱなし、刈り込みもしなかったので、いまや下方で5m強の幅、高さは4mを越えることは既に述べた。
 ところで、一階では爛漫の咲きっぷりを見ているのだが、2階からはまだそれを見ることはできない。

           
             
            双方とも、下は満開なのに上方はまだつぼみ
 
 というのは、ツツジの開花は下方から始まって上に至るため、下方ではもう爛熟期も過ぎて茶色に変色する花もあるというのに、上方ではまだ蕾のままなのだ。写真で見ていただくとおわかりになると思うが、赤い方もその習性に従っていることからして、それがツツジの開花の順序であることがわかる。
 その事実は、その開花をしばらくの期間にわたって楽しめることを示している。


              

 もうひとつ面白いのは、白い方は基本的なは純白なのだが、毎年そのどこかに赤い花が何輪か咲くことである。
 花桃の木はそうした花をつけることで知られているが、ツツジはそれほど顕著ではない。毎年、赤い花が付く場所が違うのも面白い。なかには一輪の中にハイブリットな様相を表すものもある。


            
 
 もっと不思議なのは、既に述べたようにうちには紅白の2本の木があるのだが、この現象は白にのみ現れ、赤の方は全て赤いままなのである。たぶん、遺伝子の優性・劣性と関係があるのだろう。


             

 これだけの花をつけると、虫たちがやってくる。
 どういうわけか今年は蝶の仲間が少ない。やってくるのは蜂の仲間だ。アシナガバチ、小蜂、クマンバチなどがやってくる(ん?今年はミツバチも来ないな)。
 彼らは、その漏斗形の花の奥にまで頭を突っ込んで、懸命に蜜を吸う。それでは絵になりにくいので、そこから離れた瞬間がシャッターチャンスだ。


            

 もうひとつの不思議は、ここ数十年ツツジと付き合っているが、その種が拡散して新しい代をみることがまったくないことだ。ナンテンや他の木は、あちこちに知らない間に顔を出して、可哀想だがそれを伐ることが多い。しかし、ツツジではそんな例はまったくない。
 
 ネットで調べたら、ちゃんと実をつけ、拡散するのだが、自然の条件下では他の雑草などに負けて芽吹くことはないのだという。
 自由奔放に放置してきたにも関わらずとても強靭で、年々歳々、私の目を楽しませてくれるこのツツジが、反面、そんなデリケートな繁殖の条件をもっているとはつゆ知らなかった。


            

 私はいま、ある種の敬意をもってわが家のツツジたちを眺めている。かれらは自然という奇跡のうちでもかくも美しい姿で現れ、中途半端な生物である人間の端くれのこの私を、かなりの期間にわたって慰めてくれる。
 そこには、ぱっと咲いてぱっと散る桜とはまた違った趣の華やかさがある。

 これを書いている二階の部屋の前では、やっと膨らみ始めた蕾を付けた枝が風に揺れている。今月いっぱい、いや、もっと先まで楽しめそうだ。

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私が若い頃には見たこともないハナミズキの歴史物語

2018-04-09 02:01:47 | 花便り&花をめぐって
 ソメイヨシノを追いかけるようにあちこちでハナミズキが咲いている。
 この土曜日に行った岐阜県図書館の中庭では、ちょうど見頃の紅白のハナミズキが咲いていた。

             
 
 このハナミズキは、いまや公園で、街路樹で、あるいは個人の庭園で、若い人たちには当たり前の光景になっている。しかしである、私のように古い人間にとっては、これほど多くのハナミズキを目にするようになったのは、せいぜい3、40年前からなのである。
 私の10代、20代の頃には、それを見かけたことはなかった。おそらくそれを意識したのは40代の後半だったのではと思う。

             

 この花の別名が、アメリカヤマボウシといわれるように、原産地はアメリカ大陸だからである。
 それがどのようにして渡来したのかは、教科書にも載った時期があったようだから、知る人ぞ知るである。1912年、当時の東京市長(東京は市であった)が、友好の印としてアメリカにソメイヨシノの苗木を贈った。それが今に至るワシントンはポトマック河畔の桜である。

          

 で、その返礼としてアメリカから贈られたのがこのハナミズキであった。その本数は、白40本、赤20本といわれる。麗しい花の交換物語である。
 しかしながらそれから30年を経ることなく、日米は戦火を交えることとなったのも周知の事実。花を仲立ちとした友好を、政治的、経済的、軍事的国益が無惨にも蹴散らした歴史があるのだ。

          

 この木がアメリカヤマボウシといわれる理由は、その花が日本の在来種、ヤマボウシに酷似しているからである。それもそのはず、両者ともにミズキ科の植物。
 その違いはというとヤマボウシの花は白のみで、ハナミズキより遅れて花をつける。そのせいか、ハナミズキは葉よりも先に花をつけるが、ヤマボウシは葉がけっこう出揃ってから花をつける。

          
             画面中央付近にキジバトが・・・・

 一番の違いはその実だ。ハナミズキは花の後にそれぞれ独立した実を4個つけるが、ヤマボウシはまんまるな赤い実を一個付け、その中に4個の種子を蓄える。なお、この実はマンゴウに近い味がするというが、食したことはない。今度見かけたら試してみよう。

          

 さて、話を戻そう。このハナミズキ、渡来して60年ほどしてから急速に全国に広まったようだ。そして今では、この時期を代表する花であるかのようである。
 これを、政治、経済、文化、軍事における対米従属の象徴と見ることもできるかもしれない。しかしながら、できうるならば100年以上前の、友好交換のシンボルとしての意味合いをとりもどしてほしいものだ。状況はどう変わっても、花には罪はない。花は「なぜなし」に咲く。
 「花ぞむかしの香に匂いける」だ。

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今年の鵜飼いの漁獲量は? 鵜飼い桜を観る

2018-03-27 00:48:01 | 花便り&花をめぐって
            

 同じ岐阜市に住んでいても、なにかの用件でもなければ北部へはあまり行くことはない。たまたまそちらの方へ行く機会があったので、ひょっとしたらと寄り道をしてみた。そしてその寄り道はまことに正解であった。

               

 お目当ては岐阜金華山の北の山麓にある通称「鵜飼い桜」であった。樹齢は百年以上といわれ、幹周り約2.5m、高さ約8mの大木で、枝張りは16mに達する。
 この桜、なぜ「鵜飼い桜」といわれるかというと、この樹に付く花の量で長良川鵜飼いの漁獲量を占ったからだという。

            

 これはエドヒガンザクラで、ソメイヨシノより開花が一週間ほど早い。
 3月26日、この日に立ち寄って大正解だったのは上に述べた通り。ここのところの暖かさで、ソメイヨシノもどんどん満開に近づいているのだが、鵜飼い桜はまさにその頂点、これ以降は爛熟期に入ろうとする段階であった。
 微風しかなかったのだが、それでもそれに連れて、幾ばくかの花びらがチラホレヒレハラと宙を舞う風情はえもいわれず仇っぽかった。

               

 もう二〇年近く前だろうか、亡母と、生まれてすぐ生き別れになった姉(その後四〇年ぶりに再会)と共にこの桜を見た折も、ちょうどこんな風情だった。
 三者三様、どのような思いでこの桜を見上げたのか、今となっては推し測るすべもない。

            
 
 岐阜県の桜といえば、「薄墨の桜」が全国区で名をとどろかせているが、私の心の桜といえばこの桜かも知れない。
 他にも、胸キュンの思い出もあるのだが、それは墓までもってゆくことにしよう。

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わが家の花物語 レンギョウ、ユキヤナギ、そして亡母のこと

2018-03-24 01:38:50 | 花便り&花をめぐって
 「はなぞむかしのかににほいける」などといい、人は変わるが花は変わらず咲き続けるなどといったりするが、私のように古びてくると、私は変わらないが花の方が変わることもある。

 今年は亡父譲りの紅梅が咲かなかった。樹そのものが枯れたか死んだかしたのかと思ったが、ちゃんと若葉は出てきた。どういうことなのだろう。結果は来年を待ちたい。

            
 
 サクランボのなる樹が枯れてしまったので、泣く泣く伐ったのも去年だった。残した若枝がどうなるか固唾を呑んでみていたが、先般、まことに頼りなげだが、2~30輪の花をつけた。この桜は毎年開花が早く、三月の第一週ぐらいに花をつけて今頃はもう散ってしまっている。
 しかし、残ったこの若枝が成長し続けたら、以前のようにたわわなサクランボが収穫できるようになる可能性があることがみえてきたので、期待は大きい。

            

 いま、ほとんど同時に花をつけ、満開になったのがレンギョウとユキヤナギである。
 レンギョウは例年とあまり変わらないが、ユキヤナギは例年より多くの花をつけた。いつもはこれほど花をつけないので、これはこの土地が山土のがらがらのモノで埋め立てられているせいだと諦めていたが、今年はいままでになく多くの花をつけ、樹そのもののボリューム感が増したように思われる。
 これは、すぐ隣のクワの大木をやはり去年伐ったので、クワが摂取していた養分がユキヤナギの方に及んだのかもしれない。

            

 冒頭に書いたように、「ひとはいざこころもしれずふるさとは」であるが、花もまた歳々に変化する。
 私はどこまでそれを見届けることができるだろうか。

            

 ここまで書いて、亡母が、「ひさかたのひかりのどけきはるのひにしずこころなくはなのちるらむ」がお気に入りで、正月の歌留多とりでも、この札だけは他の者にとらせなかったのを思い出した。母の通名は静子であったが、戸籍上は「しず」だったからだ。
 ついでながら、昔は女性の名前はひらがなもしくはカタカナで二文字が多かったが、いまと違って、「子」をつけるのがモダンであるとみなされ、通名にはこれを付けて用いた例が多かった。たとえば、「つね」は「常子」に、「せつ」は「節子」に、「マツ」は「松子」にといった具合だ

            

 それはともかく、高等小学校出の母が、どこまでこの歌を理解していたのかは分からないが、この歌意を理解していたひとにもまして、この歌を愛してやまなかったのは事実だ。
 だから正月の歌留多とりの折、その札をとることができたにもかかわらず、あえて手を伸ばさなかったのは、親不孝な息子のせめてのも償いであった。


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