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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

中華料理店と憲兵隊員(戦後秘話)

2006-12-14 16:30:38 | よしなしごと
 ここんとこ少し堅い話が続いたので、オチでも付いた話を書こう。
 といっても根が真面目(?)だから、その中には戦後の街の状況なども含むのだが・・

 これは2,3年前、取材に行った中華料理のお店で聞いた実話である。

 このお店、1945年の終戦すぐあとで開店したというから、ゆうに半世紀の歴史を数える。
 開店当時は、現在の白川公園(名古屋市中区)の近くにあった。
 ところで、この白川公園、名古屋の中心地に近く、近年、機動隊の大がかりな出動でホームレスを排除し、公園内や近隣に諸文化施設を配する文化ゾーンを誇っているのだが、戦後、1945年から58年までの間、鉄条網で厳重に包囲されたアメリカ村(キャッスル・ハイツ)であったことを知る人はもう少ないであろう。  

    
 

 要するに、占領下においてのアメリカ軍の幹部たちの居住地域だったのだ。
 まだ、戦禍の爪痕が色濃く残る街並みに対し、そこだけは別世界であった。
 緑の芝生に囲まれ、濃いグリーンの柱に白板造りという、いかにもアメリカ風の家々が整然と並んでいた。

 私たちは、その鉄条網の外から、まるで未来社会をのぞき込むように彼らの住居やその周辺、スクリーン以外ではじめて見る「外人さん」たちの暮らしの様子を眺めるのだった。
 そんな私たちを、巡邏の兵士たちが威嚇するように銃を振って立ち去るように促したりした。

 さて、先の中華料理屋さんに話を戻そう。
 この店、今でこそ老舗であるが、当時は屋台に毛が生えたような店で、夕方ともなれば、一日の労働を終えた常連たちが居座り、賑やかに一杯やったりしていた。店内も店外もないような有様で、その喧噪は相当なものであったらしい。

 そんなある日の夕方のことである。いつものように賑わっている店先に米軍の憲兵(MP)隊員が二人立った。
 そして、渦巻く喧噪に負けないくらいの大声で怒鳴ったのだ。
 
 「ヤカマシ~!!!!」

          

 座は水を打ったように静まり、一同はその場に完全に固まった。
 相手は泣く子も黙る米軍で、しかも、もっとも強面(こわもて)する憲兵である。

 当時、言語や習慣の違いによる誤解から、街頭で射殺される日本人も結構いた。
 米軍による犯罪、とりわけ女性などへの暴行事件も後を絶たなかった。
 しかし、占領下の検閲制のもとで、新聞はそれらを決して正確には伝えなかった。それらは、「大男たちに襲われた」と表現されるのみだったが(大江健三郎の小説の中にも確かそうした表現があった)、読者はそれだけで全てを了解した。
 当時の日本人男性の平均身長が160センチに満たなかったということもあって、この表現は「適切な」ものであったのかも知れない。

 さてさて、また例の中華料理店に戻らずばなるない。
 その場の全員が凍りつく中、憲兵二人はズカズカと店内に進み、調理場近くで中華鍋を抱えて震えている店主に再び言ったのだ。
 「ヤカマシ、ツー!」

 お分かりになったろうか。彼らは、外にまで漂う匂い誘われ、「焼きめし」、つまり、チャーハンを注文したという次第なのだ。

 同店は今、御園座の西に移ったが、あまり油っこくないサラッとした中華料理を提供して好評を得ている。
コメント
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