七夕です。
写真は、名古屋の中心街で撮した飾り付けです。
綺麗で整然としているのですが、どこか趣がありません。

幼少の頃、疎開先で迎えた七夕を思い出します。
今生きていれば140歳ぐらいになる母方の祖父が、いつもは気むずかしくておっかないのですが、七夕の前日になると、竹藪から若竹を切ってきて、庭の隅に立ててくれました。
もともとその家にいた私のいとこたちや、私同様の疎開者で、10
人近い子どもがいたのですが、思い思いに短冊(といってもそんなしゃれたものはなく、折り紙を半分に切ったものでした)に願いごとを書きました。
「算数が分かるようになりたい」とか、「汽車の運転手になりたい」とか、「東京に行きたい」とかいったたわいもないものばかりでした。
それでも七夕当日は、お婆さんが用意してくれた果物や野菜を縁側で囓りながら、いろんな話をしました。それがまた、とても楽しいものでした。

今年の七夕で、やや感動的だったのは、私のネットでの友人、「すだちさん」が知らせてくれた、その地方のスーパーの短冊です。
それには、中国からの出稼ぎの女工さんたちの幾分長い願いが記されているようです。
私は即座に、昭和20年代から30年代にかけての集団就職の若者たちの望郷の念と将来にかけた希望を思い起こしました。
すだちさんによれば、その短冊には
>>“希望”という漢字の後に、(中略)“家族”“健”“幸”が読めました(^^)
と書かれていたそうです。
遠く離れた家族の健康と幸せを祈る気持ちがこれだけでも伝わります。

なぜ、この当たり前のことにこだわるかというと、私は実は、近くのスーパーにおかれた短冊で、日本の子どもたちが書いた、「お金が欲しい」、「人より偉くなりたい」、「お金持ちになりたい」を読んでしまったからです。
「加油」は中国語で頑張れという意味だそうです。
私は、すだちさんが紹介してくれた短冊の書き手にいいたいと思います。
加油!
写真は、名古屋の中心街で撮した飾り付けです。
綺麗で整然としているのですが、どこか趣がありません。

幼少の頃、疎開先で迎えた七夕を思い出します。
今生きていれば140歳ぐらいになる母方の祖父が、いつもは気むずかしくておっかないのですが、七夕の前日になると、竹藪から若竹を切ってきて、庭の隅に立ててくれました。
もともとその家にいた私のいとこたちや、私同様の疎開者で、10
人近い子どもがいたのですが、思い思いに短冊(といってもそんなしゃれたものはなく、折り紙を半分に切ったものでした)に願いごとを書きました。
「算数が分かるようになりたい」とか、「汽車の運転手になりたい」とか、「東京に行きたい」とかいったたわいもないものばかりでした。
それでも七夕当日は、お婆さんが用意してくれた果物や野菜を縁側で囓りながら、いろんな話をしました。それがまた、とても楽しいものでした。

今年の七夕で、やや感動的だったのは、私のネットでの友人、「すだちさん」が知らせてくれた、その地方のスーパーの短冊です。
それには、中国からの出稼ぎの女工さんたちの幾分長い願いが記されているようです。
私は即座に、昭和20年代から30年代にかけての集団就職の若者たちの望郷の念と将来にかけた希望を思い起こしました。
すだちさんによれば、その短冊には
>>“希望”という漢字の後に、(中略)“家族”“健”“幸”が読めました(^^)
と書かれていたそうです。
遠く離れた家族の健康と幸せを祈る気持ちがこれだけでも伝わります。

なぜ、この当たり前のことにこだわるかというと、私は実は、近くのスーパーにおかれた短冊で、日本の子どもたちが書いた、「お金が欲しい」、「人より偉くなりたい」、「お金持ちになりたい」を読んでしまったからです。
「加油」は中国語で頑張れという意味だそうです。
私は、すだちさんが紹介してくれた短冊の書き手にいいたいと思います。
加油!