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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【ズンドコ節考・1】「キヨシッ!」

2008-01-23 16:47:21 | よしなしごと
<序>
 長年生きてきたおかげで、沢山のズンドコ節を知っている。
 それらを新しいものから遡行しながら、順にみて行こう。
 幾分大げさな言い方をすれば、それら複数のズンドコ節の背景に、その時代がみるように思うのだ。
 以下、私が知る限りでの幾つかのズンドコ節、また、それから派生することどもにつき、思いつくままに記してみたい。

 なお、一挙掲載は長文になるので連載とした。
 
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 昨今のそれは、
   「ズンッ ズンズン ズンドコ!」
 という囃子言葉に、「きよしっ!」という黄色い(中には焦げ茶色もあるが)かけ声がかかる「きよしのズンドコ節」(詞:松井由利夫 曲:水森英夫)ということになろうか。
 
          

 その歌詞は以下のようである(囃子言葉の部分は除く)。    

一 風に吹かれて 花が散る
  雨に濡れても 花が散る
  咲いた花なら いつか散る
  おなじさだめの 恋の花
  向こう横丁の ラーメン屋
  赤いあの娘の チャイナ服
  そっと目くばせ チャーシューを
  いつもおまけに 2・3枚


二 明日 明後日 明々後日
  変わる心の 風車
  胸に涙が あふれても
  顔にゃ出せない 男なら
  角のガソリン スタンドの
  オイルまみれの お下げ髪
  なぜかまぶしい 糸切り歯
  こぼれエクボが 気にかかる
 

 この一番には、もててしまった男の告白がある。
 そして一番、二番に共通して、ヒロインとして目立つ女性より、あまり目立たない女性に対しての関心がある。
 そしてそれらは、その純情さへの男の願望を色濃く持っている。
 
 この二つの要素は、実は幾つかのズンドコ節においての共通のパターンなのであり、それがゆえにこの歌が様々な歴史の変遷の中でその形を変えながら生き延びてきたポイントとなっているのかも知れない。
 だからいうなれば、ズンドコ節は徹頭徹尾、男の歌なのであり、男の願望なのである。
 そして、それぞれのズンドコ節は、それぞれの時代の中で、それを唱い上げてきたのだといえる。

 その意味では、この「きよし」のズンドコ節は、時代そのものに対しては淡泊でニュートラルであるように思う。この時代に特有の今日性を宿してはいない。
 それはまた、氷川きよしという比較的アクを持たないそれ自身ニュートラルな歌手に適した歌であるのかも知れない。
 幾分皮肉な言い方をすれば、ズンドコ節のポストモダン編ともいえそうだ。

  <予告> 次回はドリフのズンドコ節

コメント
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