ご託を並べるばかりが能ではないので、たまには時系列に添った日記らしい日記を書こう。
といっても昨日のことだが、そこのところはご容赦願いたい。
締め切りをひとつクリアーし、その校正も済んだので、今年はじめて名古屋へ出る。
まずはシネマテークで初映画。
『ここに幸あり』
これを聞いて、かつての大津美(よし)子の歌を思い出すとしたら、あなたはもう年金世代(笑)。
監督はオタール・イオセリアーニ。イタリア人的な名前だが、旧ソ連、グルジアの出身。
映画の制作国は、フランス、イタリア、ロシアとある。
なぜ観に行ったかというと、この監督のものでかつて観た、『月曜日に乾杯!』、『素敵な歌と舟はゆく』が何ともいえぬすっぽ抜けたような味を出していたからだ。
まあ、少し理屈っぽく言うと、すっぽ抜けたらこの競争社会の中ではアウトということなのだが、この監督は執拗にすっぽ抜けることを追求している。この映画もそうだ。
この映画についてはあまり語るまい。賢しら気に語ることから身を引くことこそがこの映画の真意なのだから。
主人公の母親役、ミシェル・ピッコリがいい味を出していた。
映画のあとはやはり初コンサートだ。
河合優子のモーツアルト・ピアノソナタ全曲演奏会(全4回)の最終回。
この人、地元愛知の出身。菊里高校から愛知県立芸大、そして今は、ポーランドに住むショパン弾き。
しかし、モーツアルトも良い。メリハリが効いていて表情が豊かである。特に、最後のソナタ第17番ニ長調(K576)の終章、対位法が全面的に展開される箇所の演奏は鮮やかであった。
このコンサート、設営から手伝ったこともあり、彼女のリハーサル風景から、最後の打ち上げまで付き合うこととなった。
彼女の写真はそのHPからのパクリだが、風景を撮したものは、映画とコンサートの間の街中の夕まぐれである。
昨日の夕方は、一月にしては暖かかった。厳しい寒さの宵よりも、少しけだるい冬の夕べの方がなんとなくメランコリーである。
打ち上げで飲んだワインの火照りが残っている中でこれを書いている。
考えてみれば、贅沢な一日だった。
といっても昨日のことだが、そこのところはご容赦願いたい。
締め切りをひとつクリアーし、その校正も済んだので、今年はじめて名古屋へ出る。
まずはシネマテークで初映画。
『ここに幸あり』
これを聞いて、かつての大津美(よし)子の歌を思い出すとしたら、あなたはもう年金世代(笑)。
監督はオタール・イオセリアーニ。イタリア人的な名前だが、旧ソ連、グルジアの出身。
映画の制作国は、フランス、イタリア、ロシアとある。
なぜ観に行ったかというと、この監督のものでかつて観た、『月曜日に乾杯!』、『素敵な歌と舟はゆく』が何ともいえぬすっぽ抜けたような味を出していたからだ。
まあ、少し理屈っぽく言うと、すっぽ抜けたらこの競争社会の中ではアウトということなのだが、この監督は執拗にすっぽ抜けることを追求している。この映画もそうだ。
この映画についてはあまり語るまい。賢しら気に語ることから身を引くことこそがこの映画の真意なのだから。
主人公の母親役、ミシェル・ピッコリがいい味を出していた。
映画のあとはやはり初コンサートだ。
河合優子のモーツアルト・ピアノソナタ全曲演奏会(全4回)の最終回。
この人、地元愛知の出身。菊里高校から愛知県立芸大、そして今は、ポーランドに住むショパン弾き。
しかし、モーツアルトも良い。メリハリが効いていて表情が豊かである。特に、最後のソナタ第17番ニ長調(K576)の終章、対位法が全面的に展開される箇所の演奏は鮮やかであった。
このコンサート、設営から手伝ったこともあり、彼女のリハーサル風景から、最後の打ち上げまで付き合うこととなった。
彼女の写真はそのHPからのパクリだが、風景を撮したものは、映画とコンサートの間の街中の夕まぐれである。
昨日の夕方は、一月にしては暖かかった。厳しい寒さの宵よりも、少しけだるい冬の夕べの方がなんとなくメランコリーである。
打ち上げで飲んだワインの火照りが残っている中でこれを書いている。
考えてみれば、贅沢な一日だった。