元気な名古屋に暗雲が垂れ込め始めました。
もともと元気なのはトヨタさんで、それに引っ張られてなんやかや姦しかったのですが、トヨタさんの足取りが危うくなれば、「親亀こけたら皆こけた」になるわけです。
もともとトヨタさんのご威光が届かないところではさしたることはなかったのですから、いわばから元気だったのかも知れません。
全国でいきなり三万人の不正規労働者の首が飛びました。その大半は、契約期間内にもかかわらずです。愛知はトップで3,000人だそうです。そしてなんと第二位が、わが岐阜県の1,800人だそうです。この数字は、岐阜県の産業構造が完全にトヨタさんの下請け化ないしは植民地化していることを示しています。お隣の三重県も同様に高い数字を示しているようです。

名古屋駅前・1
でもこれはまだまだ序の口のようです。
不正規労働者は真っ先に狙い撃ちですが、その上に立ってふんぞり返っていた正規雇用者にも首切りの地獄が迫っています。
それら、職を失う人の数は、このままでゆけば来年には30万人に達しようかとも言われています。
日本の経済を支え続けてきた底辺の労働者たちが、要らなくなったといってボロ雑巾を捨てるように放り出されるのです。
政局のために補正予算の提出も拒んできたタロウさんたちも、さすがにこの「みぞうゆう」の事態に慌てて遅まきながらも不正規労働者の救済に乗り出しました。
それによれば、不正規労働者を正規採用にした企業に対しては一人当たり100万円を払うというのです。
何でもばらまくことが好きな人ですね。

名古屋駅前・2
でも、これって変ですよね。
何で企業に対して金を払うのでしょう。
本当に困っているのは職を奪われる労働者ですよ。
だったら、企業に100万円差し上げますではなくて、不正規労働者を契約期間内に首にする企業がその労働者に100万円を支払うことこそが妥当なのではないでしょうか。
それにこんな案を今さら出しても、目の前でばたばた首にされている事態への何の突っ張りにもなりません。
そのお金を受け取るのは、それなら不正規労働者を格上げして金をせしめようとする余裕のある企業だけです。
100人格上げすれば一億の金になるのですから・・。

名古屋駅前・3
タロウさんたちの泥縄式案が何らかの効果をもたらすとはとても思えません。
むしろ、早急にすべきは、日本の労働者の三分の一が不正規雇用であるという異常事態を、それを招いた規制緩和の時点にまでさかのぼって是正すべきなのです。
経済学者や政治学者のみなさんもこの「みぞうゆう」の(あ、ゴメンナサイ、みなさんはちゃんと「みぞう」と読めたのですね)事態に直面していろいろお忙しいようですね。
「だから言ったじゃぁないの」と、故・松山恵子さん(古いなぁ、だけど私好きだったのです)みたいなことをおっしゃっている方が多いのですが、本当に事前に予測されていたのかどうかは別として、こうした問題を生じるこの生産や流通、資本調達のシステムを根底から考え直し、アルタナティブなシステムがないのかどうかを真剣に考える時が来ているのではないでしょうか。

伏見にて
ようするに、博打打ち的、ネズミ講的、ババつかみ的な金融システムで資金調達をする実質経済が、その賭博的連鎖の破綻と同時に大恐慌を生じかねないという現行の資本主義についてラディカル(根底的)に思考し直すということです。
前世紀のそうした超克の試みが破綻したことは明らかですし、今さらそのミイラを掘り出せというのではありません。
しかし、それで腰が引けてしまって、アルタナティヴなあり方の追求自身がすっ飛んでしまい、まるで現行のシステムが自然的必然的様相であることを前提として論じられているのが現状ではないでしょうか。
人が言語と貨幣を持ったときから、欲求が欲望化し、質量共にグローバルなシステム化が必然であったことは事実でしょう。しかしそれは、今日のようなありようでグローバルであることを必ずしも意味しないはずです。
もし今日が必然であるならば、ヘーゲルさんやフランシス・フクヤマさんがおっしゃるように歴史は既にして終焉しているわけです。

栄付近のイルミネーション
経済学者や政治学の学者先生にもう一度いいます。
重箱の隅をつついたり、統計上の対比を観察するのも学問ですし、それを否定はしません。
しかし、上に見たような現行システムを根底的に見直すような分野での「理論」的思考も必要なのではないでしょうか。
今年のノーベル物理学賞も、そうした原理論的な考察だったと思います。
問いは単純です。
私たちの現行システムは、必然にして自然要件ですか?
*今日、12月5日はモーツアルトの命日でした。
「レクイエム」でも聴きましょうか。
ザルツブルグの大聖堂で聴いた折のことなど思い出しながら・・。
もともと元気なのはトヨタさんで、それに引っ張られてなんやかや姦しかったのですが、トヨタさんの足取りが危うくなれば、「親亀こけたら皆こけた」になるわけです。
もともとトヨタさんのご威光が届かないところではさしたることはなかったのですから、いわばから元気だったのかも知れません。
全国でいきなり三万人の不正規労働者の首が飛びました。その大半は、契約期間内にもかかわらずです。愛知はトップで3,000人だそうです。そしてなんと第二位が、わが岐阜県の1,800人だそうです。この数字は、岐阜県の産業構造が完全にトヨタさんの下請け化ないしは植民地化していることを示しています。お隣の三重県も同様に高い数字を示しているようです。

名古屋駅前・1
でもこれはまだまだ序の口のようです。
不正規労働者は真っ先に狙い撃ちですが、その上に立ってふんぞり返っていた正規雇用者にも首切りの地獄が迫っています。
それら、職を失う人の数は、このままでゆけば来年には30万人に達しようかとも言われています。
日本の経済を支え続けてきた底辺の労働者たちが、要らなくなったといってボロ雑巾を捨てるように放り出されるのです。
政局のために補正予算の提出も拒んできたタロウさんたちも、さすがにこの「みぞうゆう」の事態に慌てて遅まきながらも不正規労働者の救済に乗り出しました。
それによれば、不正規労働者を正規採用にした企業に対しては一人当たり100万円を払うというのです。
何でもばらまくことが好きな人ですね。

名古屋駅前・2
でも、これって変ですよね。
何で企業に対して金を払うのでしょう。
本当に困っているのは職を奪われる労働者ですよ。
だったら、企業に100万円差し上げますではなくて、不正規労働者を契約期間内に首にする企業がその労働者に100万円を支払うことこそが妥当なのではないでしょうか。
それにこんな案を今さら出しても、目の前でばたばた首にされている事態への何の突っ張りにもなりません。
そのお金を受け取るのは、それなら不正規労働者を格上げして金をせしめようとする余裕のある企業だけです。
100人格上げすれば一億の金になるのですから・・。

名古屋駅前・3
タロウさんたちの泥縄式案が何らかの効果をもたらすとはとても思えません。
むしろ、早急にすべきは、日本の労働者の三分の一が不正規雇用であるという異常事態を、それを招いた規制緩和の時点にまでさかのぼって是正すべきなのです。
経済学者や政治学者のみなさんもこの「みぞうゆう」の(あ、ゴメンナサイ、みなさんはちゃんと「みぞう」と読めたのですね)事態に直面していろいろお忙しいようですね。
「だから言ったじゃぁないの」と、故・松山恵子さん(古いなぁ、だけど私好きだったのです)みたいなことをおっしゃっている方が多いのですが、本当に事前に予測されていたのかどうかは別として、こうした問題を生じるこの生産や流通、資本調達のシステムを根底から考え直し、アルタナティブなシステムがないのかどうかを真剣に考える時が来ているのではないでしょうか。

伏見にて
ようするに、博打打ち的、ネズミ講的、ババつかみ的な金融システムで資金調達をする実質経済が、その賭博的連鎖の破綻と同時に大恐慌を生じかねないという現行の資本主義についてラディカル(根底的)に思考し直すということです。
前世紀のそうした超克の試みが破綻したことは明らかですし、今さらそのミイラを掘り出せというのではありません。
しかし、それで腰が引けてしまって、アルタナティヴなあり方の追求自身がすっ飛んでしまい、まるで現行のシステムが自然的必然的様相であることを前提として論じられているのが現状ではないでしょうか。
人が言語と貨幣を持ったときから、欲求が欲望化し、質量共にグローバルなシステム化が必然であったことは事実でしょう。しかしそれは、今日のようなありようでグローバルであることを必ずしも意味しないはずです。
もし今日が必然であるならば、ヘーゲルさんやフランシス・フクヤマさんがおっしゃるように歴史は既にして終焉しているわけです。

栄付近のイルミネーション
経済学者や政治学の学者先生にもう一度いいます。
重箱の隅をつついたり、統計上の対比を観察するのも学問ですし、それを否定はしません。
しかし、上に見たような現行システムを根底的に見直すような分野での「理論」的思考も必要なのではないでしょうか。
今年のノーベル物理学賞も、そうした原理論的な考察だったと思います。
問いは単純です。
私たちの現行システムは、必然にして自然要件ですか?
*今日、12月5日はモーツアルトの命日でした。
「レクイエム」でも聴きましょうか。
ザルツブルグの大聖堂で聴いた折のことなど思い出しながら・・。