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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

90歳の「新人」監督による『夢のまにまに』

2008-12-08 01:21:08 | インポート
 平均年令80歳以上の合唱団を描いたノンフィクション映画、『ヤング@ハート』を、老いてなおかつ「活動」し続けることの意味やありようを古稀を迎えたおのれと重ね合わせて観てきた経緯を先般ここに載せました。
 今回、またそうした映画にに遭遇しました。今度は90歳の「新人」監督・木村威夫による長編劇映画、『夢のまにまに』がそれです。

 もちろん新人といっても、90歳の老人がいきなり映画監督になれるわけではありませんから、この木村威夫も、もともと映画に縁のあったひとではあります。縁があったどころか、鈴木清順や熊井啓、黒木和雄などのそうそうたる監督の代表作の美術監督を担ったひとで、その道の巨匠ともいえるひとですらあります。

          

 しかしながら、90歳にして美術監督という従来の役割を越えて、脚本・監督と一本の映画をまるまる作ろうというのは並大抵ではないと思います。まずは何をさておいても、それに敬意を表して観に行くことにしました。
 ただし、90歳のひとが作ったのだからという先入観はこの際抜きにして観させて貰いました。

 まず特筆すべきは、やはり絵の綺麗さでしょう。さすが長年美術監督をつとめてきただけのことはあります。ショットのひとつひとつがとても美しいのです。どの画面も、切り取って写真展に出品したらそのまま入選しそうな感じです。
 
 ストーリーは、これから観る人のために触れませんが、主人公にして映画学校の校長(長門裕之)とその妻(有馬稲子)との戦中戦後の歴史、そして、その映画学校の生徒である青年(井上芳雄)との絡み、さらには幻のように現れる女性(宮沢りえ)との関連、この三つが柱となって展開されます。
 この三つの要素を結びつけるキー・ポイントはやはり戦争であろうかと思います。

 ストーリー展開に破綻はもちろんありませんし、丁寧に描かれてはいますが、青年を病者にする必然性は今ひとつ分かりません。監督自身の実体験かもしれませんが、少し欲張りすぎたかも知れないなと懸念する唯一の点です。

  

 確かに、「夢のまにまに」です。戦中戦後、私はまだ幼かったのですが、そこで青春を迎えた人たちはいっそうリアルに戦争と向かい合ってきたはずです。それだけに、その後、半世紀以上を経過して迎えた現実は果たして何だったのかという回顧には重いものがあるはずです。
 戦前戦後が「夢のまにまに」であったともいえますが、しかし、表層的なビジュアルで彩られた現在もまた、「夢のまにまに」ではないでしょうか。

 この映画は、90歳の新人監督の回想録にとどまらず、変転する歴史の流れを遮断する瞬間々々のコラージュのようなものとして作られています。
 そういえば、主人公の妻が実際にアルバムなどを切り抜いてコラージュを作っているのは象徴的です。主人公が買い求めた絵にも、そしてこの映画のところどころにまさにコラージュの手法が使われます。
 それは、日常的な関連のうちにあるものをその場から剥がし、他のものと接続させる異化作用によって新たな視点が導入されるといった方法ですが、それにより日常の連続として生きてしまっている歴史が改めて対象となり問われることとなります。

 
 
 木村監督の培ってきたキャリアが、この映画に結集したスタッフやキャストの顔ぶれに現れているのも見所のひとつでしょう。上に紹介したキャストの他、永瀬正敏、浅野忠信、桃井かおりなどがほんのちょい出風に現れますし、先に紹介した鈴木清順監督も映画監督役で出てきます。そして昨年他界した観世榮夫も・・。

 私にとっての嬉しいおまけは、映画青年役の井上芳雄が、私の好きな歌、「夜のプラットフォーム」を、若手のミュージカルスターらしく朗々と歌い上げるシーンがあったことです。
 この歌を男性が、しかもあのように歌い上げたのを聴くのは初めてです。

 繰り返しますが、とにかく絵が美しい映画です。



そういえば今日は、67年前、日本があの無謀な戦争に突入した日です。むろん、それ以前からの動きと連続性があるのですが、もはや戻れない地点にさしかかったという点では決定的な節目であったと思います。
 それを、「蒋介石の陰謀で戦争に引きずり込まれた」と解釈するのは、まさに「自虐史観」に他ならないと思うのですが・・。

コメント (4)
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