いろいろ気が晴れぬことが多い中、元気に触れて自身を奮い立たせるべく、岐阜市北西部の葛懸(かつらがけ)神社の神事、通称「池の上裸まつり」を見に行きました。
同じ岐阜にいながら、このお祭りは初めてです。
この地方では、愛知県の国府宮の裸まつりが規模も大きく有名ですが、この「池の上」のそれは毎年、年末に行われること、国府宮が裸でもみ合うだけなのに池の上は長良川に漬かって「みそぎ」をするなどという特色があります。

それともうひとつは、そのみそぎの行事が午後3時、7時、10時と三回にわたって行われるのも相違点でしょう。さらには、国府宮が大人のまつりであるのに対し、池の上では大人たちに加えて子供の裸隊も加わります。
夜は苦手ですから、3時の部に出かけました。

始まる前に神社に着き、そのたたずまいなどを写真に納めていたのですが、なんだか様子が変です。
地味な背広の目つきがきつい人たちが、神社のあちこちに配備されていて、鋭く警戒の目を光らせているのです。

昼行灯の私が気づくくらいですから、かなり目立つ存在です。
同行した人に「なんでしょうね、あれは?」と尋ねると、「この祭りは荒れるから警察関係が警備しているのでは」と自信なさげな返事です。それもそのはず、普通の警官はちゃんと警官と分かる服装で警備に当たっているのですが、彼ら「地味背広軍団」は明らかに一般の警備とは別なたたずまいなのです。

拝殿の中での神事
彼らの警戒は周到です。たとえば、私がいいカメラアングルを探して拝殿の裏に回ると、そこにも彼らがいるのです。
同行者もそれに気付いて、「あれはSP(Security Police)かな。この祭りが有名になって、皇室の人でも来るのだろうか」といっていました。
やがて、拝殿付近でどよめきが起こり、その謎が解けました。

後ろにいるのもSP
彼らが警備していたVIPは、先の「vs佐藤ゆかり」戦を制したあの大臣の参拝なのでした。
彼女が信心深いと思う人はよほどナイーヴな人です。
彼女ら政治家という人種は、人の集まる場所には顔を出すのです。
私は、昨年の加納天満宮のお祭りでも彼女と出会っています。
かくして、謎が解けました。
大臣は、ほぼ10分ほどの滞在で、姿を消しました。
私は近くにまで寄って彼女の行動を観察したのですが、年配者やミーハー(死語か?)の若者たちが、SPに囲まれた彼女に握手を求め、彼女は彼女で子供たちに「どう、楽しい」などと声をかけていました。
やがて、彼女が足早に立ち去ると、あの地味背広軍団もサッと潮が引くようにいなくなりました。

出番が待ちきれなくて控所から覗く少年
これでいつもの祭りの雰囲気に戻ったようです。
社務所のところで、受付のおじさんの話を聞いていて、面白いと思いました。
このお祭りの裸男、誰でも参加できるのです。
近くの公民館で記帳すれば、鉢巻きとフンドシが支給され、大根の煮付けを肴に酒が振る舞われて、裸男の一丁上がりなのだそうです。
これを読んでいるあなた、来年はいかがですか? え?あなた、女性? 女性は見なかったですね。

いよいよ子供隊の出陣
まずは子供たちの裸が登場です。
例年になく暖かかったのですが、その陽を受けて子供たちの裸は綺麗です。
元気で、いたずらっぽく、先導の大人が統率しようとするのですが、それを逸脱して弾けています。
拝殿から長良川へ向かう道筋を元気なかけ声を挙げながら、家族や知り合いから名を呼ばれるとVサインをしながら進みます。

続いて大人隊 出発前の揉み合い
その後に続く大人たちは勇壮です。メタボおじさんも、異国の人も。そしてなんと、私ぐらいの人も混じっているではありませんか。そのしわくちゃなおっさんが、一瞬神々しく見えました。
でもって、来年は私もというわけにはゆきません。
今年はともかく、例年雪がちらつくという長良川へ、裸で入る勇気は私にはありません。
行く途中と帰途の二回、神男の胴上げがあります。
神男は、赤い鉢巻きに赤いフンドシで、進行中はいつも裸の集団の中央にいて揉まれながら進みます。
ですから、胴上げの時以外、観衆からは神男はほとんど見えません。

長良川へ 後ろの白い橋は忠節橋 金華山と頂上の岐阜城も
ワッショイ、ワッショイと練り歩いて川へ入ります。
しかし、川でのもみ合いはなく、みそぎは割合淡白です。
その後、また揉み合いながら神社へと帰ります。
この一サイクルの終わった後、近くの公園で餅撒きがあります。
紅白揃いの餅を拾うと縁起がいいようです。
ぼんやり見つめていてひとつも拾わなかった私に、同行者が、自分は紅白含めて三つ拾ったからといって私にひとつくれました。赤い餅の方でした。

川からの帰途の揉み合い
そこで家路につきました。
実はこの神社から、ほど遠くないところに私の通っていた高校があります。
その近くの、忠節橋に立って長良川を見つめると、折りからの夕陽が川面にきらめいて、半世紀以上前にここを自転車で通学していた紅顔の美少年の頃が偲ばれるのでした。
同じ岐阜にいながら、このお祭りは初めてです。
この地方では、愛知県の国府宮の裸まつりが規模も大きく有名ですが、この「池の上」のそれは毎年、年末に行われること、国府宮が裸でもみ合うだけなのに池の上は長良川に漬かって「みそぎ」をするなどという特色があります。

それともうひとつは、そのみそぎの行事が午後3時、7時、10時と三回にわたって行われるのも相違点でしょう。さらには、国府宮が大人のまつりであるのに対し、池の上では大人たちに加えて子供の裸隊も加わります。
夜は苦手ですから、3時の部に出かけました。

始まる前に神社に着き、そのたたずまいなどを写真に納めていたのですが、なんだか様子が変です。
地味な背広の目つきがきつい人たちが、神社のあちこちに配備されていて、鋭く警戒の目を光らせているのです。

昼行灯の私が気づくくらいですから、かなり目立つ存在です。
同行した人に「なんでしょうね、あれは?」と尋ねると、「この祭りは荒れるから警察関係が警備しているのでは」と自信なさげな返事です。それもそのはず、普通の警官はちゃんと警官と分かる服装で警備に当たっているのですが、彼ら「地味背広軍団」は明らかに一般の警備とは別なたたずまいなのです。

拝殿の中での神事
彼らの警戒は周到です。たとえば、私がいいカメラアングルを探して拝殿の裏に回ると、そこにも彼らがいるのです。
同行者もそれに気付いて、「あれはSP(Security Police)かな。この祭りが有名になって、皇室の人でも来るのだろうか」といっていました。
やがて、拝殿付近でどよめきが起こり、その謎が解けました。

後ろにいるのもSP
彼らが警備していたVIPは、先の「vs佐藤ゆかり」戦を制したあの大臣の参拝なのでした。
彼女が信心深いと思う人はよほどナイーヴな人です。
彼女ら政治家という人種は、人の集まる場所には顔を出すのです。
私は、昨年の加納天満宮のお祭りでも彼女と出会っています。
かくして、謎が解けました。
大臣は、ほぼ10分ほどの滞在で、姿を消しました。
私は近くにまで寄って彼女の行動を観察したのですが、年配者やミーハー(死語か?)の若者たちが、SPに囲まれた彼女に握手を求め、彼女は彼女で子供たちに「どう、楽しい」などと声をかけていました。
やがて、彼女が足早に立ち去ると、あの地味背広軍団もサッと潮が引くようにいなくなりました。

出番が待ちきれなくて控所から覗く少年
これでいつもの祭りの雰囲気に戻ったようです。
社務所のところで、受付のおじさんの話を聞いていて、面白いと思いました。
このお祭りの裸男、誰でも参加できるのです。
近くの公民館で記帳すれば、鉢巻きとフンドシが支給され、大根の煮付けを肴に酒が振る舞われて、裸男の一丁上がりなのだそうです。
これを読んでいるあなた、来年はいかがですか? え?あなた、女性? 女性は見なかったですね。

いよいよ子供隊の出陣
まずは子供たちの裸が登場です。
例年になく暖かかったのですが、その陽を受けて子供たちの裸は綺麗です。
元気で、いたずらっぽく、先導の大人が統率しようとするのですが、それを逸脱して弾けています。
拝殿から長良川へ向かう道筋を元気なかけ声を挙げながら、家族や知り合いから名を呼ばれるとVサインをしながら進みます。

続いて大人隊 出発前の揉み合い
その後に続く大人たちは勇壮です。メタボおじさんも、異国の人も。そしてなんと、私ぐらいの人も混じっているではありませんか。そのしわくちゃなおっさんが、一瞬神々しく見えました。
でもって、来年は私もというわけにはゆきません。
今年はともかく、例年雪がちらつくという長良川へ、裸で入る勇気は私にはありません。
行く途中と帰途の二回、神男の胴上げがあります。
神男は、赤い鉢巻きに赤いフンドシで、進行中はいつも裸の集団の中央にいて揉まれながら進みます。
ですから、胴上げの時以外、観衆からは神男はほとんど見えません。

長良川へ 後ろの白い橋は忠節橋 金華山と頂上の岐阜城も
ワッショイ、ワッショイと練り歩いて川へ入ります。
しかし、川でのもみ合いはなく、みそぎは割合淡白です。
その後、また揉み合いながら神社へと帰ります。
この一サイクルの終わった後、近くの公園で餅撒きがあります。
紅白揃いの餅を拾うと縁起がいいようです。
ぼんやり見つめていてひとつも拾わなかった私に、同行者が、自分は紅白含めて三つ拾ったからといって私にひとつくれました。赤い餅の方でした。

川からの帰途の揉み合い
そこで家路につきました。
実はこの神社から、ほど遠くないところに私の通っていた高校があります。
その近くの、忠節橋に立って長良川を見つめると、折りからの夕陽が川面にきらめいて、半世紀以上前にここを自転車で通学していた紅顔の美少年の頃が偲ばれるのでした。