ここんとこ自閉気味で気が晴れなかったのですが、やはり体を動かしていろんなものに触れることが大切ですね。
といって大したものに遭遇したわけではなく、私がしばしばここにマイ・フェイバリット・プレイスとして登場させる県立図書館や美術館界隈へ出かけて、そこにあるきわめて日常的な風景や風の匂いを嗅いできたのみなのです。
それでも、行きと帰りとでは自転車のペダルがうんと軽くなったように感じられたのでした。
まずはおなじみの(私にとってはですが)街頭ミュージシャンとの遭遇です。
「こんにちは!いつもご精が出ますね」
「ブヒャラヒャラ・・・ニャオ~ン」
サックスと横に鎮座する猫のボーカルです。
「あのおばさん、なんか忙しそう」
と猫君。
図書館の構内。私の好きなちょっとした庭です。
春の花は終わり、エゴの花が可愛くぶら下がっています。
私が一生懸命写真を撮っていると、背後から声が。
「やっぱりドウダンツツジはきれいですね」
と、どこかのおじさん。
「あ、あのう、これはドウダンツツジではなくエゴノキですが」
と、いおうとしたのですがくだんのおじさん早足でスタスタともう背中を見せています。
わざわざ呼び止めて言うほどのことはないかとそのままにしました。
エゴには赤い花柄のものもあるようです
しばらくして私の中で葛藤が・・。
やはりちゃんと言うべきだったのでは・・。
いや、折角感慨に耽っているところをいさめるのも野暮だし・・。
でも、あのおじさん、「どうだ、きれいなドウダンツツジだろう」などとどこかで恥をかいたら・・。
私の中でささやかな倫理的葛藤がグルグルと巡るのでした。
そんな私の葛藤も何のその、陽気な客がやってきました。
私の親指ほどもありそうなでっかいクマンバチが2匹です。
まず、私の顔の回りを飛び回ります。
「こいつは何者だ」
「う~ん、見たとこ人畜無害だな」
「それもいうなら蜂畜無害だろう」
これがクマンバチの会話の翻訳です。
彼らは文字通り私に気を許したのか、目の前、30センチほどのところで早速エゴの蜜を収集しはじめました。
私がカメラを近づけようがどうしようが全くお構いなしです。
私も子供の頃、何度もアシナガバチや蜜蜂に刺されたことがありますが、蜂は少しも怖くありません。逆に、人を刺した蜜蜂は針を残してゆくのでやがて死んでしまうのだと聞いて、私を刺した蜜蜂にいたく同情したものです。
最後はやはり子供たちでしょう。
図書館前の水路です。
ここなら転ぼうが寝そべろうが溺れる心配はありません。
自分の子育てがとっくに終わったので、かえって子供たちを安心してみていられます。
一見、屈託がなさげに見える子供たちの世界にも、それなりの葛藤や思惑があるとのことです。
それでいったら、子供たちをのほほんと眺めている私が一番屈託がないのかも知れません。
というようなわけで、すこし元気が回復した一日でした。
おまけは、帰途に撮したジャガイモの花です。こんな小さな花にも、また、ごま粒ほどの虫たちが蜜を求めて集まっています。
世界というのはこうした関連の総体なのだろうと生半可な哲学をしたのでした。
といって大したものに遭遇したわけではなく、私がしばしばここにマイ・フェイバリット・プレイスとして登場させる県立図書館や美術館界隈へ出かけて、そこにあるきわめて日常的な風景や風の匂いを嗅いできたのみなのです。
それでも、行きと帰りとでは自転車のペダルがうんと軽くなったように感じられたのでした。
まずはおなじみの(私にとってはですが)街頭ミュージシャンとの遭遇です。
「こんにちは!いつもご精が出ますね」
「ブヒャラヒャラ・・・ニャオ~ン」
サックスと横に鎮座する猫のボーカルです。
「あのおばさん、なんか忙しそう」
と猫君。
図書館の構内。私の好きなちょっとした庭です。
春の花は終わり、エゴの花が可愛くぶら下がっています。
私が一生懸命写真を撮っていると、背後から声が。
「やっぱりドウダンツツジはきれいですね」
と、どこかのおじさん。
「あ、あのう、これはドウダンツツジではなくエゴノキですが」
と、いおうとしたのですがくだんのおじさん早足でスタスタともう背中を見せています。
わざわざ呼び止めて言うほどのことはないかとそのままにしました。
エゴには赤い花柄のものもあるようです
しばらくして私の中で葛藤が・・。
やはりちゃんと言うべきだったのでは・・。
いや、折角感慨に耽っているところをいさめるのも野暮だし・・。
でも、あのおじさん、「どうだ、きれいなドウダンツツジだろう」などとどこかで恥をかいたら・・。
私の中でささやかな倫理的葛藤がグルグルと巡るのでした。
そんな私の葛藤も何のその、陽気な客がやってきました。
私の親指ほどもありそうなでっかいクマンバチが2匹です。
まず、私の顔の回りを飛び回ります。
「こいつは何者だ」
「う~ん、見たとこ人畜無害だな」
「それもいうなら蜂畜無害だろう」
これがクマンバチの会話の翻訳です。
彼らは文字通り私に気を許したのか、目の前、30センチほどのところで早速エゴの蜜を収集しはじめました。
私がカメラを近づけようがどうしようが全くお構いなしです。
私も子供の頃、何度もアシナガバチや蜜蜂に刺されたことがありますが、蜂は少しも怖くありません。逆に、人を刺した蜜蜂は針を残してゆくのでやがて死んでしまうのだと聞いて、私を刺した蜜蜂にいたく同情したものです。
最後はやはり子供たちでしょう。
図書館前の水路です。
ここなら転ぼうが寝そべろうが溺れる心配はありません。
自分の子育てがとっくに終わったので、かえって子供たちを安心してみていられます。
一見、屈託がなさげに見える子供たちの世界にも、それなりの葛藤や思惑があるとのことです。
それでいったら、子供たちをのほほんと眺めている私が一番屈託がないのかも知れません。
というようなわけで、すこし元気が回復した一日でした。
おまけは、帰途に撮したジャガイモの花です。こんな小さな花にも、また、ごま粒ほどの虫たちが蜜を求めて集まっています。
世界というのはこうした関連の総体なのだろうと生半可な哲学をしたのでした。