今なお、飲食店をやっていた頃の夢を見ます。
昨夜も見ました。
もう閉店してから10年が経つというのにです。
まあ、未だに宿題が間に合わないという子供の頃の夢も見るのですから、10年前はありえますよね。
なぜこんなことを書くかというと、昨夜の夢は幾分違っていたからです。
飲食店時代についてのこれまでの夢というのは、作った料理が客のところへ届いていない、慌てて作るのだがそれも届かない、さらに作り直そうとするのだが素材や調味料が足りない、若い衆を買いにやらせるのだが帰ってこない・・・、あるいは、レジを打っているのだがなかなか計算が合わない、合ったと思っても顧客からクレームがあり打ち直すと違っている、さらに打ち直すとまた違っている、気がつくとレジにはずら~っと顧客が待っている・・・とそんなのばかりでした。
目覚めると不快感が残るような、ようするに悪夢が多かったのです。
しかし、昨夜の夢は違っていました。

夢の状況は明るいイメージの店への改装を果たしたその当日のようです(私の店は照明は明るかったのですが幾分黒っぽい感じの店でした)。
早くから馴染みの客が来てくれています。
私のところへ握手をしに来てくれる人もいます。
ガールフレンドがお祝いの花を持ってきてくれました。
「あまり大きな花だと邪魔になるからと思って・・・」といって、小ぶりのミニバラかなんかの鉢植えを持ってきてくれました。
彼女を席へ案内し、カウンターにその鉢を飾りました。
飲食店時代の実際の私は、焼き方として焼き物を担当しながら店全体を眺めていたのですが、夢のなかでは店主でありフロアーの責任者でした。
突然、常連の顧客から、「マスター、今日のお勧めはなんだい」と訊かれました。
「しまった」と思いました。
いつも、「今週のお勧め」と「今日のお勧め」を店内に明示するのに、改装オープンの忙しさに紛れそれが出来ていなかったのです。
早速、板長のところへ行って、「今日は何を勧めたらいい?」と尋ねました。板長は恰幅のいい割烹料理店上がりのひとです。「そうですね。今日は甲烏賊(こういか)のいいのが入りましたからそれで行きましょう。刺しはもちろん焼きや揚げ物もいけますよ」とのこと。
おう、それはいいというので早速店内表示をと思い墨や筆を用意しようとしました。
そのとき、フロントの女の人から「マスター、お客さんです」と声がかかったのです。
変な話ですが、そうして声がかかるのは「顧客ではないお客さん」なのです。
顧客ならわざわざ「お客さんです」などは必要なく、「いらっしゃいませ~」でいいのですから。

慌てて入り口へ向かうと、そこには品のいいおばさん(今の私よりは遙かに若い人なんですが、夢のなかでは年上のひとなのです)がにこやかに立っています。
この辺が夢らしいのですが、初対面にもかかわらず、私はこの人が誰なのかすぐに分かりました。
彼女は、さっき述べた板長のサブ、つまり板場の「二番」の母親なのでした。
「いつもうちの息子がお世話になりまして」と母親。
私はその母の手を取るようにしてその息子が働いている辺りのカウンターに案内しました。
私の店はオープンキッチンで、調理師と顧客の垣根はなかったのです。
息子の二番は、腕はまだまだでしたが、人柄がよくスタッフからも顧客からも可愛がられていました。
その息子が、「なんで来たんだよー」と生意気な口をききます。
「バカ、そんなこと言ってる暇があったらお袋に巧いものを食わせてやれ」と私。
二番は照れたように笑って、「へい」と返事を返します。
フロントの責任者でレジも担当している女性を呼んで、お袋さんの伝票について指示をしました。
無料にしては彼女のプライドを傷つけるし、もう来てはくれないだろう。
かといって正規の値段をもらうわけには行かない。
だから、「何がどれだけ出ても2千円をもらっておけ、それでは少ないといわれたら、今日は改装記念のサービスディですと答えておきなさい」と指示を出しました。
そしてネタケースのところを通りかかると、先ほど板長のいった甲烏賊が美味そうに光っています。
あ、まだ、これを店内表示していなかった、しなければ…というところで目覚めました。
こうして改めて書くとなんだか他愛ない夢ですね。
でも目覚めたとき、いつもの悪夢からの目覚めと違って、なんだか少し自分の人生が肯定されたかのような気分になったのです。
もちろん、実際に店をやっていた頃はこんなに調子のよいものではありませんでした。
自分の醜いところもすべて露呈してただ懸命にやって来ました。
顧客とも喧嘩をしましたし、私を怨んでいる従業員だっていると思います。

夢は、その見ている過程ですでにして「加工」が施されるといいます。そしてまた、それを想起するとき、第二次の加工があるといいます。さらにそれをこうして記述するときには第三の加工が施されているのかも知れません。
でも、それを含めてこれは私が自分の店についてこれまで見た夢のなかで一番いいものなのです。
そうした加工を施してはじめて自分の過去を受け入れることが出来る私自身の弱さかも知れません。ようするに、そうしたありようを肯定ではないにしても「さもありなん」として許容したがる自分がいるのです。
本当にとりとめのない話になってしまいました。
読んでくれたひと申しわけありません。
書く前から、起承転結など全くないままに書いてきてこうなりました。
お許し下さい。
昨夜も見ました。
もう閉店してから10年が経つというのにです。
まあ、未だに宿題が間に合わないという子供の頃の夢も見るのですから、10年前はありえますよね。
なぜこんなことを書くかというと、昨夜の夢は幾分違っていたからです。
飲食店時代についてのこれまでの夢というのは、作った料理が客のところへ届いていない、慌てて作るのだがそれも届かない、さらに作り直そうとするのだが素材や調味料が足りない、若い衆を買いにやらせるのだが帰ってこない・・・、あるいは、レジを打っているのだがなかなか計算が合わない、合ったと思っても顧客からクレームがあり打ち直すと違っている、さらに打ち直すとまた違っている、気がつくとレジにはずら~っと顧客が待っている・・・とそんなのばかりでした。
目覚めると不快感が残るような、ようするに悪夢が多かったのです。
しかし、昨夜の夢は違っていました。

夢の状況は明るいイメージの店への改装を果たしたその当日のようです(私の店は照明は明るかったのですが幾分黒っぽい感じの店でした)。
早くから馴染みの客が来てくれています。
私のところへ握手をしに来てくれる人もいます。
ガールフレンドがお祝いの花を持ってきてくれました。
「あまり大きな花だと邪魔になるからと思って・・・」といって、小ぶりのミニバラかなんかの鉢植えを持ってきてくれました。
彼女を席へ案内し、カウンターにその鉢を飾りました。
飲食店時代の実際の私は、焼き方として焼き物を担当しながら店全体を眺めていたのですが、夢のなかでは店主でありフロアーの責任者でした。
突然、常連の顧客から、「マスター、今日のお勧めはなんだい」と訊かれました。
「しまった」と思いました。
いつも、「今週のお勧め」と「今日のお勧め」を店内に明示するのに、改装オープンの忙しさに紛れそれが出来ていなかったのです。
早速、板長のところへ行って、「今日は何を勧めたらいい?」と尋ねました。板長は恰幅のいい割烹料理店上がりのひとです。「そうですね。今日は甲烏賊(こういか)のいいのが入りましたからそれで行きましょう。刺しはもちろん焼きや揚げ物もいけますよ」とのこと。
おう、それはいいというので早速店内表示をと思い墨や筆を用意しようとしました。
そのとき、フロントの女の人から「マスター、お客さんです」と声がかかったのです。
変な話ですが、そうして声がかかるのは「顧客ではないお客さん」なのです。
顧客ならわざわざ「お客さんです」などは必要なく、「いらっしゃいませ~」でいいのですから。

慌てて入り口へ向かうと、そこには品のいいおばさん(今の私よりは遙かに若い人なんですが、夢のなかでは年上のひとなのです)がにこやかに立っています。
この辺が夢らしいのですが、初対面にもかかわらず、私はこの人が誰なのかすぐに分かりました。
彼女は、さっき述べた板長のサブ、つまり板場の「二番」の母親なのでした。
「いつもうちの息子がお世話になりまして」と母親。
私はその母の手を取るようにしてその息子が働いている辺りのカウンターに案内しました。
私の店はオープンキッチンで、調理師と顧客の垣根はなかったのです。
息子の二番は、腕はまだまだでしたが、人柄がよくスタッフからも顧客からも可愛がられていました。
その息子が、「なんで来たんだよー」と生意気な口をききます。
「バカ、そんなこと言ってる暇があったらお袋に巧いものを食わせてやれ」と私。
二番は照れたように笑って、「へい」と返事を返します。
フロントの責任者でレジも担当している女性を呼んで、お袋さんの伝票について指示をしました。
無料にしては彼女のプライドを傷つけるし、もう来てはくれないだろう。
かといって正規の値段をもらうわけには行かない。
だから、「何がどれだけ出ても2千円をもらっておけ、それでは少ないといわれたら、今日は改装記念のサービスディですと答えておきなさい」と指示を出しました。
そしてネタケースのところを通りかかると、先ほど板長のいった甲烏賊が美味そうに光っています。
あ、まだ、これを店内表示していなかった、しなければ…というところで目覚めました。
こうして改めて書くとなんだか他愛ない夢ですね。
でも目覚めたとき、いつもの悪夢からの目覚めと違って、なんだか少し自分の人生が肯定されたかのような気分になったのです。
もちろん、実際に店をやっていた頃はこんなに調子のよいものではありませんでした。
自分の醜いところもすべて露呈してただ懸命にやって来ました。
顧客とも喧嘩をしましたし、私を怨んでいる従業員だっていると思います。

夢は、その見ている過程ですでにして「加工」が施されるといいます。そしてまた、それを想起するとき、第二次の加工があるといいます。さらにそれをこうして記述するときには第三の加工が施されているのかも知れません。
でも、それを含めてこれは私が自分の店についてこれまで見た夢のなかで一番いいものなのです。
そうした加工を施してはじめて自分の過去を受け入れることが出来る私自身の弱さかも知れません。ようするに、そうしたありようを肯定ではないにしても「さもありなん」として許容したがる自分がいるのです。
本当にとりとめのない話になってしまいました。
読んでくれたひと申しわけありません。
書く前から、起承転結など全くないままに書いてきてこうなりました。
お許し下さい。