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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

バンザイで蜘蛛の子散らす永田町

2009-07-21 16:21:04 | 社会評論
 TVから時ならぬ「バンザイ!」の声が聞こえました。
 衆議院の解散だそうです。

 なぜ、それが「バンザイ!」なのかはいまだによく分からないのですが、戦後21回目の解散、かくいう私も年の功で何回ものこうしたバンザイを聞いてはきました。
 バンザイをしている人たちも複雑なのでしょうね。
 とりわけ自民党にとっては今回の解散は険しいもので、神風でも吹かない限り大幅な減少と政権党からの脱落がかなり濃厚だからです。
 ですから、やけくそ解散、玉砕解散などともいわれたりしています。

       

 その中でも事情はそれぞれあってさらに複雑なのでしょう。
 選挙基盤が強固で、「どっこいそれでも生き残る」というひともいれば、それが心許なく、もはや二度と赤絨毯を踏めない人たちもいるからです。
 いずれにしても「議員と物乞いは三日やったら辞められぬ」という甘い蜜を吸ってきた身としては、その去就に万感の思いを込めてバンザイを叫んだことでしょう。

 そうそう、かつて我が郷土が生みだした怪物議員の大野伴睦という人は、「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙で落ちれば政治家ではなくなる」という名言を吐露していますが、今回は猿・・・いや政治家ではなくなるひとがたくさん出るのでしょうね。

 政権交代、政権交代といったって、さほど期待が持てるものではないし、まあ、同じ穴の狢のようではないかという声が聞こえてきます。
 こうした声には二通りあって、ひとつは自公も、そして民主も信頼できないとして、その他の党を推す人たちです。さらにひとつはそもそも政治になんて何が出来るかという幾分ニヒルな立場です。

 なるほどとも思えるのですが、そしてまた、政権交代というものに過度の期待を持ちえないのではとも思うのですが、しかし、政権交代してみることそれ自体に意義があるように思います。民意によって政権の形を変えることが出来るということが必要なのだと思います。
 それが主権在民、民主主義の基礎だからです。
 戦後六〇数年、駆け引きによる野合のようなものやまったく奇天烈な大連立というものがありましたが、明確な民意による政権の交代というものをこの国はほとんど経験していません。

     

 ですから、あれかこれかの固定したものに縛られるのではなく、タックス・ペイアーにそれをちゃんと還元してくれる政治の形をドンドン追い求めるということが必要だと思うのです。その意味では今回の解散の意義は、戦後ほとんど固定してきた政権党を中心とした政・官・財のありようを流動化させる端緒を切り開くものでもあると思います。

 選挙後の政界再編も十分予想されますし、それも視野に入れてです。

 本当のことをいうと私自身はこのレベルの「政治」への関心は希薄だったのですが、今回はじっくり見てみようと思います。

 

コメント (5)
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