標題は周知のように、昨年末の選挙で自民党の安倍氏が力説した選挙用のスローガンです。
それが功を奏したのかどうか、自民党は圧勝しました。
もっとも、競争相手が四分五裂していたせいで、自民党そのものの得票率は27%台と、ボロ負けした前回並だったそうです。民主党がそれだけだらしなかったのと、小選挙区制のなせる技なのでしょうが、それはさておくとして、このスローガンの意味を考えてみたいと思うのです。
「日本を、取り戻す。」(句読点はその折のママです)が含意するものは、奪われたり失われたりしたものを取り戻すということなのですが、したがって誰が奪い、どう失ったのか、そしてそれを取り戻すということはどういうことなのかが問題になろうかと思います。
まず直接的には、民主党に奪われた政権を奪回するということだったのでしょうね。
むしろ選挙中はほとんどの自民党の候補者はそれで頭がいっぱいで、「日本」のことなどまったく考える暇がなかったのではないでしょうか。
で、このレベルでは「取り戻」せたのですが、さて選挙に勝ったうえで今度こそ「政権」ではなく「日本」を取り戻す段取りに至ったと思われます。
どんな日本でしょうか。ひとつの資料としては、前回、安倍政権が誕生した時のスローガン、「美しい国、日本」(これも句読点など当時のママ)が考えられます。その折、無念のリタイアーをした安倍氏にとってはその継続はやはり悲願といっていいでしょう。
ではここで考えられている「美しい国、日本」とはどんな国なのでしょう。
それらを安倍氏自身の言葉で聞くために、当時の「政権の基本的構想」からそのまま引用してみます。
文化・伝統・自然・歴史を大切にする国
・新たな時代を切り開く日本に相応しい憲法の制定
・開かれた保守主義
・歴史遺産や景観、伝統文化等を大切にする
・家族の価値や地域のあたたかさの再生
これにさらに、これらを詳細化した説明が続くのですが、これらを可能にするものとして、「イノベーション」という言葉が繰り返されているのが目立ちます。
この言葉は技術革新などに使われる他、新機軸、革新、などといった意味にも使われます。「革新」といえば、安倍氏の祖父、故・岸信介氏が、1937年ごろから戦時統制経済を主導し、後に国家総動員法を制定したりして、戦時を支配したという、いわゆる「革新官僚」の主要メンバーであったことが思い出されます。
まさか、隔世遺伝ではないでしょうが。
この憲法改正を初頭に掲げる「美しい国、日本」のイメージは、その詳論などを読み合わせてゆくと、ようするに、幻想の共同体としての日本の強化、そしてその国家意志への家族的な統合が見えてきます。
美しいこれらのお題目をあえて「幻想」というのは、競争社会のなかでますます格差が著しくなり、さらにそれに追い打ちをかけるような福祉の後退(弱者の切り捨て)が声高に語られているとき、そうした家族的な結合にはほとんどリアリティがないからです。いってみれば、抱擁力を欠いた裸の競争社会のなかで、国家への統合のみが語られているのです。
したがって、こうした民族や国家の価値肥大に依拠した呼びかけは、現実の私達の生活にはなじまない、どこか超越的なところからの掛け声のように聞こえるのです。
そうしたリアリティのないままにそれを強行しようとすれば、それらは法改正を伴う力による突破しかありません。その一環ともいえる「教育基本法」の改正は既に安倍氏の第一次内閣の時に行われています。
次は憲法改正を柱とする諸規定の改正という手順でしょう。
これらを総合してみると、この、「日本を、取り戻す。」ないしは「美しい国、日本」というスローガンの中には何か焦燥感のようなものがあるように思うのです。
そこには「取り戻す」べき一つの目標としての「大国」であった日本があるのではないでしょうか。ようするに「大国としての日本」こそ取り戻す価値のある「美しい国」のようなのです。
とりわけこの「取り戻す」という大国意識は、2010年にGDP(国内総生産)で中国に追い越されて以来(ちなみに2011年は第三位で中国の約80%)ある種のルサンチマンを伴って激しくなっているのではないでしょうか。
たしかにGDPは国の活力の一つの指標かも知れませんが、全く当然のことながら、それとその国に住んでいる人々の幸福度は全く比例しません。ちなみに、日本の一人あたりのGDPは2011年で世界の17番目です。
配分の問題や文化度の問題、医療や家族関係など、その指標では測れないものを重視すべきだというのは新保守主義者、新自由主義者のフランスの前サルコジ大統領でも言っているところです(フランスのGDPは第5位)。
もちろん安倍氏以下の自民党の諸氏が、GDPのみにこだわっているわけではないでしょうが、大国意識は厳然として見え隠れしますし、それを維持すべきだと思っているフシが多分にあります。
振り返ってみれば、日本が大国を謳歌した時期が二度ほどありました。
150年前、まだ日本はヨーロッパなどでも庶民の間でははほとんどその存在さえ知られていないほどの小国に過ぎませんでした。
当時の列強の関心も、「眠れる獅子」といわれた清(中国)にあり、日本はその周辺国に過ぎませんでした。また、列強のパワー・オブ・バランスのなかで日本がニュートラルな状態に置かれたことも幸いしたようです。
その間に日本は急速な富国強兵策を実施します。
そして主に、朝鮮半島の利権をめぐって、落ち目の清国や帝政ロシアとの部分的戦争に勝利します。また、第一次世界大戦においても主戦場であるヨーロッパへは(船団護衛以外には)参加することなく、戦勝国となることができました。
この辺りから日本の大国意識は急速に芽生えたと思います。それは開国から50年足らずのことで、それ以来、日本を盟主とした大東亜の建設という夢に向かってまっしぐらといっていいでしょう。朝鮮半島や台湾の併合、中国への侵略、満州国の建設、そしてついには米英などと帝国主義的進出を賭けて全面的な戦端を開くに至ります。
これが第一回目の大国日本の姿でした。
その結果をあえて語ることはいでしょう。
廃墟のなかで大国の夢を失った日本は元の木阿弥の小国へと戻ったのでした。
しかし、ここでも日本はツイていました。朝鮮戦争の勃発がそれでした。
連合国側の中枢アメリカは、対共産圏戦略での補給基地として日本を利用すべく、戦後厳しく規制していたその政治、経済、軍備の制限を解き放ったのでした。
それにより、日本経済は一挙に活気づきました。いわゆる特需景気や「金偏」景気がそれで、子供の私たちですら、くず鉄を集めてしかるべき業者のところへ持って行くとキャラメルぐらいは買えました。夜、いきなり停電になるのでびっくりしたら、何十メートルの間の電線がごっそり盗まれていたという乱暴な話もこの頃のことです。金属はすべてお金になったのです。
海ひとつ越えたところで何万という人たちが殺し殺されしているなかで、日本のみはウハウハしていたののが実状でした。
こうした朝鮮半島で流された血をすするようにして日本経済は立ち直りの契機を掴みました。そして60年代、70年代の高度成長期を経て、80年代のジャパン・アズ・ナンバーワンの時代を迎えたのでした。日本的経営こそが資本主義の鏡だと豪語し、一億総中流意識が蔓延していました。
富裕層は、マンハッタンでアメリカのシンボルとも言うべきビル群を買いあさり、アメリカ人の反感をもかったのでした。今、中国の富裕層が日本の不動産を買っていると不安を募らせる向きがありますが、それと同じことを80年代には日本もしていたのです。
一方、中流といわれた人たちははじめはへっぴり腰で、そして次第に大胆にマネーゲームにのめり込んでゆきました。
その頃、民営化したNTTの株が100万円前後で売りだされたのですが、それが瞬く間に300万円を越えたのです。私は、さして裕福でもない人が預金をはたくようにしてそれを買ったのを知っています。その人は老後のためにとそれを求めたのでしたが、それを買わなかった方がはるかに豊かな老後が送れたものと思います。
これが日本が大国を実感した二度目だろうと思います。
で、その二回の大国というのは何をもたらしたのでしょうか。
一度目のそれは、日本人のみで300万人の死者を出す(近隣諸国を含めると2,000万人)という結果を招くものでした。
そして二度目のそれは、バブルの崩壊とともに多くの倒産と失業者を生み出し、中流意識に駆られた人たちは株式投資などの所詮は素人のマネーゲームの結果、溜め込んだ金をごっそり奪われることとなりました。
そしてそこから、日本経済の立て直しということで従来の護送船団方式を改めることとなり、その結果としての新自由主義による規制緩和が進み、製造業での非正規労働者使用が肥大化し、今日の不安定雇用と格差の拡大が始まったといえます。
これらが、日本が内外ともに大国と認められ、自らも「一等国」と自負していた時代の終焉の姿です。
この長い文章の書き始めは、安倍氏の「日本を、取り戻す。」というスローガンの日本がどの時代のものなのか、それが以前に政権の座に付いていた折の「美しい国、日本」の継承であるとすれば、その美しさはどのようなものであるかの探求でした。
そして日本が、自他ともに大国としてある意味での誇りをもっていた時代を1900年代の前半と後半の2回に分けてざっと見てきました。
「取り戻す」という以上、過去への遡行を意味するわけですが、常識的にいって江戸時代以前を除外して考えれば、安倍氏の「美しい、日本」はおそらくこの二回の大国経験のないまぜになったものではないかと思われます。
しかし、この道は当時においても険しかったし、今はそれに増して厳しいのです。
日本が最初に大国になった折は、近隣諸国は未だ近代化の途上にあり、日本の軍事力を背景とした政治的経済的支配に不本意ながら屈服を余儀なくされました。
ところが、今は違います。日本が二回目の大国意識にあぐらをかいている時期から、近隣諸国は急速に力をつけてきました。中国が2010年の段階で日本のGDPを凌駕したことは既に述べたとおりです。お隣の韓国もどんどん力をつけてきて、家電産業では日本のそれを世界市場から駆逐する勢いです。
安倍氏の政権復帰に狂喜したといういわゆるネット右翼と云われる人たちの言説も、そうした背景のなかでつとに嫌韓嫌中の度合いを増しています。そこには相変わらずの大国意識、一等国意識と、それが今や脅かされつつある、いや既に追い越されている面もあるというルサンチマンをも含んで、あらゆる論理性をかなぐり捨てた罵倒の連鎖反応のような観を呈しています。
80年代以降に自己形成をした彼らは、私のいう日本の一回目の「大国」が実現する際、そこにどのような暗黒面があったのかを完全に捨象しています。無知であったり、「日本がそんなことをするはずがない」というイデオロギー的な前提に信仰にも似た帰依を表明しているのです。
そして二回目もまた、日本人の勤勉さにのみそれを還元し、国際情勢の機微を理解してはいません。それらはあたかも日本民族に内在している力ゆえだと信じているようなのです。
既に述べたように、世界は変わってしまったのです。日本の近隣諸国は、ネット右翼諸氏の罵倒や中傷にもかかわらず、確実に力をつけています(それらの国々を手放しで礼賛しようとするわけではありません。例えば中国では想像を絶する格差が存在し、各種少数民族との間の矛盾ももはや容易に押さえ込めない次元にまで至っていますし、民主的人権派への弾圧も続いています)。中韓の後を追うようにしてインドや東南アジア諸国がその力をつけつつあります。太平洋の向こう側では、ブラジルやメキシコが脱後進化を図りつつあります。
こうした中で、「美しい、日本」へのノスタルジックな回帰は何の意味ももちません。むしろ、伝統的なそれらとは切れた、「真のイノベーション」こそが必要なのです。
安倍氏については、その思想的な面などについての厳しい批判があります。それらの批判の幾分かは私も共有しています。
しかし、一国の総理になった以上、それらの思想信条は個人的なものとして棚上げし、つらつら国際情勢を鑑みた上での効率的実効的な政治を執り行ってほしいものだと思います。
もし、安倍氏が選挙前などに気が許せる人たちに語った思想信条をそのまま具体化したら、戦争への危惧が現実的になりかねません。
どうかそれらは棚上げにして、現実を冷静に見て諸施策を考慮してほしいものだと思います。それをもって、たとえあなたの思想信条のゆらぎを批判する連中がいたとしても、「政治というものはプラグマティックな実効性を重んじるもので、私は自分の思想信条よりも、国民の安心安全を重視する」と胸を張って答えて下さい。
途中でも触れましたが、大国であることとその国民の幸せは比例しません。
アメリカはその大国ゆえに、多くの戦争に関わり、多くの若者を戦場に送り、その何人かは帰らぬままです。
1945年以来、約70年にわたって戦争をしなかった(部分的加担はあったものの)この国の伝統を守り続けることこそが、「美しい国、日本」の誇りであり、そのためにはとりざたされている「国防軍」への昇格(?)などという危険な試みが放棄されてしかるべきだと思っています。
それが功を奏したのかどうか、自民党は圧勝しました。
もっとも、競争相手が四分五裂していたせいで、自民党そのものの得票率は27%台と、ボロ負けした前回並だったそうです。民主党がそれだけだらしなかったのと、小選挙区制のなせる技なのでしょうが、それはさておくとして、このスローガンの意味を考えてみたいと思うのです。
「日本を、取り戻す。」(句読点はその折のママです)が含意するものは、奪われたり失われたりしたものを取り戻すということなのですが、したがって誰が奪い、どう失ったのか、そしてそれを取り戻すということはどういうことなのかが問題になろうかと思います。
まず直接的には、民主党に奪われた政権を奪回するということだったのでしょうね。
むしろ選挙中はほとんどの自民党の候補者はそれで頭がいっぱいで、「日本」のことなどまったく考える暇がなかったのではないでしょうか。
で、このレベルでは「取り戻」せたのですが、さて選挙に勝ったうえで今度こそ「政権」ではなく「日本」を取り戻す段取りに至ったと思われます。
どんな日本でしょうか。ひとつの資料としては、前回、安倍政権が誕生した時のスローガン、「美しい国、日本」(これも句読点など当時のママ)が考えられます。その折、無念のリタイアーをした安倍氏にとってはその継続はやはり悲願といっていいでしょう。
ではここで考えられている「美しい国、日本」とはどんな国なのでしょう。
それらを安倍氏自身の言葉で聞くために、当時の「政権の基本的構想」からそのまま引用してみます。
文化・伝統・自然・歴史を大切にする国
・新たな時代を切り開く日本に相応しい憲法の制定
・開かれた保守主義
・歴史遺産や景観、伝統文化等を大切にする
・家族の価値や地域のあたたかさの再生
これにさらに、これらを詳細化した説明が続くのですが、これらを可能にするものとして、「イノベーション」という言葉が繰り返されているのが目立ちます。
この言葉は技術革新などに使われる他、新機軸、革新、などといった意味にも使われます。「革新」といえば、安倍氏の祖父、故・岸信介氏が、1937年ごろから戦時統制経済を主導し、後に国家総動員法を制定したりして、戦時を支配したという、いわゆる「革新官僚」の主要メンバーであったことが思い出されます。
まさか、隔世遺伝ではないでしょうが。
この憲法改正を初頭に掲げる「美しい国、日本」のイメージは、その詳論などを読み合わせてゆくと、ようするに、幻想の共同体としての日本の強化、そしてその国家意志への家族的な統合が見えてきます。
美しいこれらのお題目をあえて「幻想」というのは、競争社会のなかでますます格差が著しくなり、さらにそれに追い打ちをかけるような福祉の後退(弱者の切り捨て)が声高に語られているとき、そうした家族的な結合にはほとんどリアリティがないからです。いってみれば、抱擁力を欠いた裸の競争社会のなかで、国家への統合のみが語られているのです。
したがって、こうした民族や国家の価値肥大に依拠した呼びかけは、現実の私達の生活にはなじまない、どこか超越的なところからの掛け声のように聞こえるのです。
そうしたリアリティのないままにそれを強行しようとすれば、それらは法改正を伴う力による突破しかありません。その一環ともいえる「教育基本法」の改正は既に安倍氏の第一次内閣の時に行われています。
次は憲法改正を柱とする諸規定の改正という手順でしょう。
これらを総合してみると、この、「日本を、取り戻す。」ないしは「美しい国、日本」というスローガンの中には何か焦燥感のようなものがあるように思うのです。
そこには「取り戻す」べき一つの目標としての「大国」であった日本があるのではないでしょうか。ようするに「大国としての日本」こそ取り戻す価値のある「美しい国」のようなのです。
とりわけこの「取り戻す」という大国意識は、2010年にGDP(国内総生産)で中国に追い越されて以来(ちなみに2011年は第三位で中国の約80%)ある種のルサンチマンを伴って激しくなっているのではないでしょうか。
たしかにGDPは国の活力の一つの指標かも知れませんが、全く当然のことながら、それとその国に住んでいる人々の幸福度は全く比例しません。ちなみに、日本の一人あたりのGDPは2011年で世界の17番目です。
配分の問題や文化度の問題、医療や家族関係など、その指標では測れないものを重視すべきだというのは新保守主義者、新自由主義者のフランスの前サルコジ大統領でも言っているところです(フランスのGDPは第5位)。
もちろん安倍氏以下の自民党の諸氏が、GDPのみにこだわっているわけではないでしょうが、大国意識は厳然として見え隠れしますし、それを維持すべきだと思っているフシが多分にあります。
振り返ってみれば、日本が大国を謳歌した時期が二度ほどありました。
150年前、まだ日本はヨーロッパなどでも庶民の間でははほとんどその存在さえ知られていないほどの小国に過ぎませんでした。
当時の列強の関心も、「眠れる獅子」といわれた清(中国)にあり、日本はその周辺国に過ぎませんでした。また、列強のパワー・オブ・バランスのなかで日本がニュートラルな状態に置かれたことも幸いしたようです。
その間に日本は急速な富国強兵策を実施します。
そして主に、朝鮮半島の利権をめぐって、落ち目の清国や帝政ロシアとの部分的戦争に勝利します。また、第一次世界大戦においても主戦場であるヨーロッパへは(船団護衛以外には)参加することなく、戦勝国となることができました。
この辺りから日本の大国意識は急速に芽生えたと思います。それは開国から50年足らずのことで、それ以来、日本を盟主とした大東亜の建設という夢に向かってまっしぐらといっていいでしょう。朝鮮半島や台湾の併合、中国への侵略、満州国の建設、そしてついには米英などと帝国主義的進出を賭けて全面的な戦端を開くに至ります。
これが第一回目の大国日本の姿でした。
その結果をあえて語ることはいでしょう。
廃墟のなかで大国の夢を失った日本は元の木阿弥の小国へと戻ったのでした。
しかし、ここでも日本はツイていました。朝鮮戦争の勃発がそれでした。
連合国側の中枢アメリカは、対共産圏戦略での補給基地として日本を利用すべく、戦後厳しく規制していたその政治、経済、軍備の制限を解き放ったのでした。
それにより、日本経済は一挙に活気づきました。いわゆる特需景気や「金偏」景気がそれで、子供の私たちですら、くず鉄を集めてしかるべき業者のところへ持って行くとキャラメルぐらいは買えました。夜、いきなり停電になるのでびっくりしたら、何十メートルの間の電線がごっそり盗まれていたという乱暴な話もこの頃のことです。金属はすべてお金になったのです。
海ひとつ越えたところで何万という人たちが殺し殺されしているなかで、日本のみはウハウハしていたののが実状でした。
こうした朝鮮半島で流された血をすするようにして日本経済は立ち直りの契機を掴みました。そして60年代、70年代の高度成長期を経て、80年代のジャパン・アズ・ナンバーワンの時代を迎えたのでした。日本的経営こそが資本主義の鏡だと豪語し、一億総中流意識が蔓延していました。
富裕層は、マンハッタンでアメリカのシンボルとも言うべきビル群を買いあさり、アメリカ人の反感をもかったのでした。今、中国の富裕層が日本の不動産を買っていると不安を募らせる向きがありますが、それと同じことを80年代には日本もしていたのです。
一方、中流といわれた人たちははじめはへっぴり腰で、そして次第に大胆にマネーゲームにのめり込んでゆきました。
その頃、民営化したNTTの株が100万円前後で売りだされたのですが、それが瞬く間に300万円を越えたのです。私は、さして裕福でもない人が預金をはたくようにしてそれを買ったのを知っています。その人は老後のためにとそれを求めたのでしたが、それを買わなかった方がはるかに豊かな老後が送れたものと思います。
これが日本が大国を実感した二度目だろうと思います。
で、その二回の大国というのは何をもたらしたのでしょうか。
一度目のそれは、日本人のみで300万人の死者を出す(近隣諸国を含めると2,000万人)という結果を招くものでした。
そして二度目のそれは、バブルの崩壊とともに多くの倒産と失業者を生み出し、中流意識に駆られた人たちは株式投資などの所詮は素人のマネーゲームの結果、溜め込んだ金をごっそり奪われることとなりました。
そしてそこから、日本経済の立て直しということで従来の護送船団方式を改めることとなり、その結果としての新自由主義による規制緩和が進み、製造業での非正規労働者使用が肥大化し、今日の不安定雇用と格差の拡大が始まったといえます。
これらが、日本が内外ともに大国と認められ、自らも「一等国」と自負していた時代の終焉の姿です。
この長い文章の書き始めは、安倍氏の「日本を、取り戻す。」というスローガンの日本がどの時代のものなのか、それが以前に政権の座に付いていた折の「美しい国、日本」の継承であるとすれば、その美しさはどのようなものであるかの探求でした。
そして日本が、自他ともに大国としてある意味での誇りをもっていた時代を1900年代の前半と後半の2回に分けてざっと見てきました。
「取り戻す」という以上、過去への遡行を意味するわけですが、常識的にいって江戸時代以前を除外して考えれば、安倍氏の「美しい、日本」はおそらくこの二回の大国経験のないまぜになったものではないかと思われます。
しかし、この道は当時においても険しかったし、今はそれに増して厳しいのです。
日本が最初に大国になった折は、近隣諸国は未だ近代化の途上にあり、日本の軍事力を背景とした政治的経済的支配に不本意ながら屈服を余儀なくされました。
ところが、今は違います。日本が二回目の大国意識にあぐらをかいている時期から、近隣諸国は急速に力をつけてきました。中国が2010年の段階で日本のGDPを凌駕したことは既に述べたとおりです。お隣の韓国もどんどん力をつけてきて、家電産業では日本のそれを世界市場から駆逐する勢いです。
安倍氏の政権復帰に狂喜したといういわゆるネット右翼と云われる人たちの言説も、そうした背景のなかでつとに嫌韓嫌中の度合いを増しています。そこには相変わらずの大国意識、一等国意識と、それが今や脅かされつつある、いや既に追い越されている面もあるというルサンチマンをも含んで、あらゆる論理性をかなぐり捨てた罵倒の連鎖反応のような観を呈しています。
80年代以降に自己形成をした彼らは、私のいう日本の一回目の「大国」が実現する際、そこにどのような暗黒面があったのかを完全に捨象しています。無知であったり、「日本がそんなことをするはずがない」というイデオロギー的な前提に信仰にも似た帰依を表明しているのです。
そして二回目もまた、日本人の勤勉さにのみそれを還元し、国際情勢の機微を理解してはいません。それらはあたかも日本民族に内在している力ゆえだと信じているようなのです。
既に述べたように、世界は変わってしまったのです。日本の近隣諸国は、ネット右翼諸氏の罵倒や中傷にもかかわらず、確実に力をつけています(それらの国々を手放しで礼賛しようとするわけではありません。例えば中国では想像を絶する格差が存在し、各種少数民族との間の矛盾ももはや容易に押さえ込めない次元にまで至っていますし、民主的人権派への弾圧も続いています)。中韓の後を追うようにしてインドや東南アジア諸国がその力をつけつつあります。太平洋の向こう側では、ブラジルやメキシコが脱後進化を図りつつあります。
こうした中で、「美しい、日本」へのノスタルジックな回帰は何の意味ももちません。むしろ、伝統的なそれらとは切れた、「真のイノベーション」こそが必要なのです。
安倍氏については、その思想的な面などについての厳しい批判があります。それらの批判の幾分かは私も共有しています。
しかし、一国の総理になった以上、それらの思想信条は個人的なものとして棚上げし、つらつら国際情勢を鑑みた上での効率的実効的な政治を執り行ってほしいものだと思います。
もし、安倍氏が選挙前などに気が許せる人たちに語った思想信条をそのまま具体化したら、戦争への危惧が現実的になりかねません。
どうかそれらは棚上げにして、現実を冷静に見て諸施策を考慮してほしいものだと思います。それをもって、たとえあなたの思想信条のゆらぎを批判する連中がいたとしても、「政治というものはプラグマティックな実効性を重んじるもので、私は自分の思想信条よりも、国民の安心安全を重視する」と胸を張って答えて下さい。
途中でも触れましたが、大国であることとその国民の幸せは比例しません。
アメリカはその大国ゆえに、多くの戦争に関わり、多くの若者を戦場に送り、その何人かは帰らぬままです。
1945年以来、約70年にわたって戦争をしなかった(部分的加担はあったものの)この国の伝統を守り続けることこそが、「美しい国、日本」の誇りであり、そのためにはとりざたされている「国防軍」への昇格(?)などという危険な試みが放棄されてしかるべきだと思っています。