安倍総理は「一人あたりの国民総所得」を10年で150万円増やすといっています。
しかし、これは、すでに指摘されているように、「一人あたりの所得」ではなく、あくまでも国民総所得のレベルでの問題で、たとえそれが実現したとしても10人の内、一人が1,000万増えたとしたら、残りの9人が500万にありつくわけで、そのうちでもまた格差があり、なかにはマイナスの人も出てくることがありえます。
すでに非正規雇用が労働現場の40%を占める格差のシステムが定着してしまった現在ではその可能性は大きいと思います。
ただし、本当に多くの人たちの収入がこぞって伸びた時代が過去においてあったことはあったのです。それがちょうど、私がサラリーマンをしていた10年間に相当するのかもしれません。
60年安保が一段落したあとの1960年末、当時の池田内閣は、政治の分岐点は越えた、これからは経済の時代だとばかりに、その名もズバリ、「所得倍増計画」を打ち出しました。さてその帰結がどうなったのかは後述するとして、1962年に就職し、1972年に退職するまでのまる10年間の私の給与(基本給)を列記してみましょう。
私は曲りなりに大卒ですが、故あって(話せば長くなりますので端折ります)新聞広告でセールスマンとして採用されました。しかし、その会社の内部の都合により、歩合給の訪問セールスの部門から固定給のルート・セールス、ようするに販売店担当の営業部門に回されたのでした。
62年の春、私の初任給は16,000円でした。
その年の10月、18,000円になりました。
以下順次、書いてきます。
63年4月 24,000円 同10月 28,000円
64年4月 33,000円
65年10月 36,000円
66年6月 48,000円 同10月 52,000円
67年10月 60,000円
69年11月 86,000円
70年10月 100,000円
72年4月 110,000円
他に、この間の全てではありませんが、ボーナスは夏冬合わせて6ヶ月分ありました(夏2.5ヶ月、冬3.5ヶ月)。
どうです、かなり順調に伸びているでしょう。
私が優秀だったせいではありませんよ。平均してみんなこんなふうだったのです。
この間、「人手不足」が深刻な問題となり、私も営業の仕事をする傍ら、母校を訪れて求人活動もしました。当時の失業率は1%前後でした(現在は5%前後を推移しています)が、求人率ははるかにそれを上回っていました。
なお、先に現在の非正規雇用の割合が40%に至っているといいましたが、1990年代の中頃までのその割合は10%を切っていたのです。
こうして、日本経済は順調に伸び、私もそのオコボレを頂戴し、同時に、大手の労働組合もその恩恵に預かって徐々に姿勢が丸くなり、「戦わない労組」になってゆくのですが、やがて、そうしたほぼ万遍なく行き渡ったと思われた「成長」のなかで、私たちがいったい何を食いつぶして「豊か」になってきたのかを痛いほど知るところになります。
長くなりました。この続きは次回に譲ります。