*写真は例によって関係ありません。
私はキリスト教徒ではないし、ましてやカソリックに馴染みがあるわけではない。しかし、H・アーレントの『暗い時代の人々』のなかで割かれた標題の人物についてのエピソードにはとても興味を覚えるし、惹かれるところがある。
アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリ(ロンカッリと表記される方が多い)は、1958年から63年までローマ教皇を務めたヨハネ23世の本名である。
その教皇になった経緯も面白い。前教皇ピウス12世の死去に伴って行われたコンクラーヴェは様々な思惑が錯綜し、候補者としてほとんど影が薄かったロンカーリが選ばれるや世界が驚愕した。しかし、この結果に最も驚いたのは本人だという。

当初、誰しもが彼のことを一時的な「つなぎ」の教皇だと思っていたようだ。事実、在位は5年と短いがこれは彼が病に倒れたためである。
そうした短い在位期間であったが、実際には「つなぎ」どころかその独自性を大いに発揮した。
まずは他宗派への対応だが、プロテスタントに対しては、それまでの「教会の外部にいる哀れで不運な人々」というカソリック側からの一方的な規定をやめることとし、「洗礼の如何にかかわらずすべての人間はイエスに帰属する権利を持つ」とした。
更には、1500年以来、初めて英国教会大主教をバチカンに招待し、さらにはギリシャ正教にも公式のメッセージを送った。
その活動は宗教内部についてのみならず、キューバ危機に際しては米ソ双方の仲介をするなど戦争回避にも尽力した。

個人的にも面白いエピソードがある。
教皇が散歩をする時間はその区域から一般参拝者を締めだすのがバチカンの決まりだったことに対し彼はいったという。
「どうか、他の参拝者も入れて下さい。私はお行儀よくしていますから」
あるときは、重罪者の収容されている刑務所に出向き、「あなたたちは全て神の子なのです」と祝福を与えたという。どこかで、親鸞の「悪人正機説」と関わる気がしないでもない。
また、バチカンで働く人々に対し「教皇としてではなく、あなた達の雇用主として要求を聞こうではないか」と持ちかけ、「労使交渉?」の場を設け、事実その待遇を改善したという。

ここに見られるエピソードの共通点は、彼がそれまでの頑強な伝統や習慣にとらわれず、この世界において自分がいかにあるべきかを考え、判断し、行動したということである。
私たちは出生によって世界へとデビューし、そして死によってそこから去ってゆく。
そうした有限である私たちが、私たち以前からあり、私たち以後もあるであろう世界のなかで、思考し、行動するということはいうならばそれでもって永遠とつながるということだと思う。
思考するキリスト者ロンカーリはそれを十分にわきまえていた。
彼の死の床での言葉は感動的ですらある。
「いつの日も生まれるには良き日であり、いつの日も死に逝くには良き日である」
私はキリスト教徒ではないし、ましてやカソリックに馴染みがあるわけではない。しかし、H・アーレントの『暗い時代の人々』のなかで割かれた標題の人物についてのエピソードにはとても興味を覚えるし、惹かれるところがある。
アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリ(ロンカッリと表記される方が多い)は、1958年から63年までローマ教皇を務めたヨハネ23世の本名である。
その教皇になった経緯も面白い。前教皇ピウス12世の死去に伴って行われたコンクラーヴェは様々な思惑が錯綜し、候補者としてほとんど影が薄かったロンカーリが選ばれるや世界が驚愕した。しかし、この結果に最も驚いたのは本人だという。

当初、誰しもが彼のことを一時的な「つなぎ」の教皇だと思っていたようだ。事実、在位は5年と短いがこれは彼が病に倒れたためである。
そうした短い在位期間であったが、実際には「つなぎ」どころかその独自性を大いに発揮した。
まずは他宗派への対応だが、プロテスタントに対しては、それまでの「教会の外部にいる哀れで不運な人々」というカソリック側からの一方的な規定をやめることとし、「洗礼の如何にかかわらずすべての人間はイエスに帰属する権利を持つ」とした。
更には、1500年以来、初めて英国教会大主教をバチカンに招待し、さらにはギリシャ正教にも公式のメッセージを送った。
その活動は宗教内部についてのみならず、キューバ危機に際しては米ソ双方の仲介をするなど戦争回避にも尽力した。

個人的にも面白いエピソードがある。
教皇が散歩をする時間はその区域から一般参拝者を締めだすのがバチカンの決まりだったことに対し彼はいったという。
「どうか、他の参拝者も入れて下さい。私はお行儀よくしていますから」
あるときは、重罪者の収容されている刑務所に出向き、「あなたたちは全て神の子なのです」と祝福を与えたという。どこかで、親鸞の「悪人正機説」と関わる気がしないでもない。
また、バチカンで働く人々に対し「教皇としてではなく、あなた達の雇用主として要求を聞こうではないか」と持ちかけ、「労使交渉?」の場を設け、事実その待遇を改善したという。

ここに見られるエピソードの共通点は、彼がそれまでの頑強な伝統や習慣にとらわれず、この世界において自分がいかにあるべきかを考え、判断し、行動したということである。
私たちは出生によって世界へとデビューし、そして死によってそこから去ってゆく。
そうした有限である私たちが、私たち以前からあり、私たち以後もあるであろう世界のなかで、思考し、行動するということはいうならばそれでもって永遠とつながるということだと思う。
思考するキリスト者ロンカーリはそれを十分にわきまえていた。
彼の死の床での言葉は感動的ですらある。
「いつの日も生まれるには良き日であり、いつの日も死に逝くには良き日である」