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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

お母さん!僕のあの「青いカナリア」はどこへいったのでしょう?

2015-11-25 14:25:44 | 想い出を掘り起こす
 1950年代の中頃、私はややヒッキー気味に受験勉強をしていた。
 私に許された条件は、自宅(岐阜市)からの通学が可能な公立大ならということであった。こうなると対象は絞られてくる。
 商業高校に在校していた私にとっていちばん厳しかったのは、公立大の受験科目が多いことであった。英語、国語のほかに、数学2科目、理科2科目、社会2科目をクリアーしなければならなかった。

 商業科というのは、簿記、そろばん、商業法規、商業実践などの授業があり、当然、いわゆる普通科目は少ない。
 それだけにほぼ、独学の覚悟で望まなければならなかった。

            

 受験勉強の徒然を慰めるのはラジオであった(TV放送は開始されつつあったが、まだ普及してはいなかった)。
 チューニングの悪いそれを、マジックアイという猫の目のような指標を頼りに電波を拾い、主に音楽番組を聞いていた。そこで出会ったのがいわゆる洋楽の世界であった。

       
       https://www.youtube.com/watch?v=REPqry3tBUE

 そんなチューニングの途中、モスクワ放送や北京放送に行き当たることもあった。途切れ途切れの音声であったが、そこで「インターナショナル」のメロディも覚えた。
 それらの局からは、時折、4桁ほどの数字が無機的に読み上げられることがあった。おそらく、当時の国際共産主義組織、コミンフォルムからの司令か情報の伝達だったのだろう。
 もちろん、何のことかはさっぱりわからなかったが、どこかで乱数表を片手に、この数字を懸命にメモしている人がいるはずだった。
 5738 4691 3974 2714 ・・・・ ・・・・と延々続く数字の羅列は、とてもシュールなBGMであった。

      
      https://www.youtube.com/watch?v=O0gMQN9BXgo

 音楽に戻ろう。敗戦後10年が経過して、戦時中ははばかられていた軍歌以外の音楽がこの国へ戻ってきた。とりわけ敵性音楽として禁じられていた欧米の音楽が、ジャズやポピュラーをはじめ雪崩をうって入ってきた。
 世界にはこんなにたくさんの音楽があるのだと改めて思ったものだ。

 その頃、ラジオから流れてくる歌で私が好きだったのは、ダイナ・ショアが歌って一世を風靡した「青いカナリア」だった。軽快なうちにも哀愁を含んだこの歌はすっかり私のお気に入りになった。
 やがて、雪村いずみがそれをカバーしたものも流れ始め、彼女の澄んだ高音がよく合っていると思い、これも好きになった。

 時を経るに従い、それらも遠い思い出の彼方に去っていったのだが、最近、ひょんなことでそれのさらに新しいカバーに巡り合うこととなった。ほんとうに偶然で、「Blue Canary」とあったのでクリックして聴きだしてぶっとんだ。

      https://www.youtube.com/watch?v=04ps8n4Hlw4
 
 歌っているのはFRANK CHICKENSという2人の女性、よく見たら1984年とあるからもう30年以上前だが、この存在は知らなかった。コミックソングの部類で、後半の盛り上がりはカナリアというより鷹か鷲のようですらある。

 すごいものを聴いてしまった。
 まさに、「お母さん、僕の青いカナリアはどこへ行ってしまったのでしょう」だ。

      https://www.youtube.com/watch?v=p9q3-iW2DE0

 変なものをお聴かせしたついでにもう一つ、お見せしよう。こちらは口パクらしいがなかなか味がある。このグループ、私が知らないだけでけっこう世界的に有名らしい。
 このグループの紹介も貼り付けておこう。

       http://slavasnowshow.jp/

 さて、お口直しに、やはりその頃、ラジオから流れていて、私の好きだった曲、アマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ」も聴いてもらおうか。ご存知、ポルトガルのファドの名曲だが、どういうわけかこの雰囲気は後年好きになった浅川マキにつながってくる。音楽的には随分違うと思うのだが、私の中ではいつもくっついて連想されるのだ。

       
      https://www.youtube.com/watch?v=tRsuuebZmm4
 
 そんなわけで、浅川マキのライブに、名古屋栄のJazz inn LOVELYへ行ったのは2009年の1月17日だった。ひっきりなしに吸う彼女の煙草の煙が顔面にかかる距離でその歌を聴いた。そしてその翌年の同じ日、やはり、Jazz inn LOVELYのライブのために来ていた彼女は、ホテルで絶命しているのが発見されたのだった。
 早いもので、あれからもう5年以上、まもなく6年だ。こっちも歳をとるはずだ。

 おやおや、またまたどんどん脱線だ。
 というわけで、「青いカナリア」は私の青春の歌であるというお話。

 


 
コメント (10)
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