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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「倒れちゃならない」のリフレインから

2016-05-03 02:30:56 | よしなしごと
 咲き誇っていたツツジも、花弁の縁が茶色くなって、地上に落ちるものもで始めた。
 さんざん楽しませてもらっていうのも何だが、この花の終わりはあまり綺麗ではない。
 その点、桜はぱっと潔く散るからその終わりまで珍重されるのであろう。

 一昨日、息子夫妻がやってきた。
 これを機会とばかりに、もう十分大きくなった鉢植えの桜を直植えに移植してもらう。
 まだ左腕の後遺症が残る私にはとてもできない作業だ。
 この鉢植えは、いま枯れかかっている桜ん坊がなる木の後継として、私が種から育てたもので、うまく根付けば将来は桜ん坊がなる予定だ。
 それまで、こちらが生き残れるかどうかが問題ではあるが・・・。

              

 彼らの労働に報いるために、心尽くしの手料理を振る舞う。

 そして昨夜、風呂から上がって2階の部屋でPCで文章など読んでいたら、急に不快感が襲ってきていてもたってもいられず、とりあえずベランダに出て夜気に浸り、金属製の手摺りに額を付けてしばらくじっとしていたが、一向に治まらない。
 やるべきことはあったが、こんなときは横たわったほうがいいと寝室へ。
 倒れこむように身を沈め、じっとしている。
 「倒れちゃならない」、「倒れちゃならない」のフレーズが頭のなかを巡るなか、いつしか眠りにつく。

              

 この「倒れちゃならない」は、先般先に逝った旧友を想起したものでもあるかもしれないが、よく思い起こすと、戦後流行した歌謡曲『異国の丘』の一節でもあった。
 この歌が流行ったころ、私の父はシベリアへもってゆかれたという不確かな情報のみで、その生死すらわからないままであった。母と私は疎開先の掘っ立て小屋で、母の手内職の編み物(もちろん手編み)を頼りに、ひっそりと母子家庭のように暮らしていた。
 夜になると、疲れた母の肩を叩くのが私の「仕事」であった。その折、しばしば二人で歌ったのがこの『異国の丘』であった。
 もちろん、それには帰らぬ父への思いがこもっていた。

          https://www.youtube.com/watch?v=9hkoI_r3MLM

 この行進曲風のリズムは肩たたきにはよくマッチしていた。
 後年、つらつら考えるに、この歌は、その曲想といい歌詞といい、軍歌の系列に属するものであったと思う。
 ようするに、ベッドに身を横たえながら、「倒れちゃならない」のリフレインを自分に言い聞かせていたのは、この頃の歌を無意識のうちに思い起こしていたからだと思う。それに気づいたのは、一時間余の眠りから醒めてからだった。
 おかげで、その頃には体調はすっかり回復していた。

              

 もうひとつ、ドイツはライプチヒに在住の旧友K氏から手紙をもらった。彼は、私の畏友であり、彼とも交流があったS氏の死去を私のブログで知ったという。彼は日本でも著作が何冊もある哲学者で、とても懐かしかった。
 近況報告と、今度日本へ来た折には是非逢いたいという返信を書いたのだが、ドイツへの国際便ははじめて、たどたどしい宛名書きをして郵便局へと思ったのだが、あいにくの連休、それは6日まで持ち越しだ。
 それにしても、ドイツで私のブログを読んでいてくれるとは、いささか感動モノであった。

 *写真はツツジが終わりかけているいま、わが家で咲いているスズランとカタバミ。




コメント
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