日曜日、久々に柳ケ瀬へでた。
子どもの頃、休日ともなると人と肩が擦れ合うことなく歩けなかったような柳ケ瀬通りが、人もまばらに静まり返っている。
往年を知る者にとっては泣きたくなるような光景だ。「あ~あ~あ~柳ヶ瀬の~、夜に泣いている~」は美川憲一の歌だが、いま、柳ヶ瀬は夜も昼も泣いている。
そんな柳ヶ瀬にどうして出かけたかというと、飲食店時代の常連の顧客で若い友人から、岐阜は柳ケ瀬のレストランで行われた琉球民謡 大城節子さんのライヴ・コンサートに誘われたからである。
大城さんのコンサートは昨年に引き続き2回目で、昨年のコンサートでは左腕骨折のため、いいところで拍手ができず、代わりにテーブルを叩いたものである。
彼女の歌声は高音が抜けるようにきれいで、それに三線はもちろん、琉球笛や二胡が加わった演奏は、同じ日本列島でありながらどこかエスニックな叙情を表現している。
レとラを除いたド・ミ・ファ・ソ・シ・ドの5音で構成される音階いわゆる琉球音階は、それ自身が強烈に自己主張をして、ときに、それぞれの音曲の差異を曖昧にさせるが、よく聴いているとそれぞれの差異がわかるようになる。
そして、この琉球音階、実は琉球列島全てに相当するものではなく、南西部の石垣などには一律に相当しないことも今回のライヴではじめて知った。
ライヴの行われたレストランは数十人の座席がほぼ満席状態、大城さんが岐阜在住時代(現在は名古屋で、****の店主)の知己や、沖縄県人会の有志などで埋まっていた。
お昼のライヴとあって、一流シェフの昼食セットが1,200円(三種のうちからチョイス・ドリンク付き)とチャージ1,000円とリーゾナブル。
聞けば大城さん、19歳の折に沖縄のコザ(あの嘉手納基地があるところです)から岐阜にでてきて、初期の音楽活動として、岐阜バッハ合唱団(私の2回ほど聴いたことがある)で歌っていたこともあるという。
https://www.youtube.com/watch?v=3HgIbw6JL_M
ノリの良い曲、スローバラードなど悲喜こもごもの何曲かが披露されて〆はやはり「ハイサイおじさん」。前回もそうだったがこの曲はウィン・フィルのニューイヤーコンサートでの「ラデツキー行進曲」といったところか。
この曲、割りと新しいもので、1976年の喜納昌吉のデビュー曲である。歌詞は、ませた少年と近所のおじさんのとぼけた会話だが、その背後には、23万の県民が死亡したとされるあの沖縄戦の後遺症ともいえる悲惨な体験が埋め込まれているともいわれる。
そういわれて聴くと、とぼけた味の中にどこかやはり哀愁感が漂っている。
ただし、コンサートの終わりではひたすら明るく高揚感が溢れるままに歌われる。そしてこの瞬間を待っていたかのように、沖縄県人会の人たちや、かねてより琉球民謡に馴染んでいた人たちが席を立って踊り始める。
会場全体に、琉球の海、サンゴ礁、巨大な基地群、そこで怯まず生きている南国の人たちの息吹きが充満する瞬間だ。
コンサートを終えて外へ出ると、春の日差しが煌めいていた。
やはり寂しい柳ヶ瀬を離れて、JR岐阜駅まで歩く。
そして、岐阜駅北口 杜の架け橋および信長ゆめ広場で開催されていた「岐阜の地酒に乾杯」という催しに参加。
この催しは年一回、「岐阜県の酒蔵の酒」が集められ、それを岐阜の人気飲食店の料理と共に楽しむというイベント。
https://sites.google.com/view/gifunojizake2017/
午前から行われているこの催し、一人3,000円でおちょこ一つとコイン9枚をくれる。このコインを持って各ブースを回り、気に入った地酒をおちょこに注いでもらうという仕掛け。一杯あたりコイン一枚が普通だが、特別なお酒だとコイン二枚、三枚というのもある。
私たちは食後だったし、四時半の終了時間まで幾ばくもない頃だったので、二人で3,000円ということで、おちょこ二つと、コインを四枚ずつもって飲み始める。
しかしだ、呑兵衛の私たちには結局4枚のコイン=おちょこ4杯で済むはずもなく、結局はさらに追加コインを買う羽目となった。
ちなみに私の飲んだのは以下の銘柄(順不同)。
日本泉 恵那山 元文 初緑 天領 山車 〆で 三千盛
あとで出品酒蔵を見て、あれも飲んでおけばよかったという酒蔵もあったが、なにせ下調べも不足し、どの酒蔵がどのへんに出店しているかもわからず、おまけに終了時間(4時30分)も迫っているととあって、手近なところで手当たり次第となってしまったということ。
どこが旨かったかですか?それぞれ個性があってよかったが、吟醸系など割合味や風味の強いものを飲んだせいで、ありきたりだが最後の三千盛がやはり端麗で美味しかった。
ただし、これを最初に飲んだらやや物足りないと感じたかもしれない。
なお、朝一で来て閉幕まで粘っていた日本酒オタクのあんちゃんと知り合い、いろいろなうんちくを聞かせてもらったが、さほど深くはないが、よく知っている。ちなみに彼は、20杯以上飲んでいるといっていたが、ちゃんと酔い醒まし用の水などを用意し、適当にインターバルを置いて飲んでいたのは流石だと思った。
さほど酔うこともなく、駅構内の食料品スーパーで、3日分の食材を買って帰宅。
天候がよく、洗濯物がよく乾いていて気持ちよかった。
子どもの頃、休日ともなると人と肩が擦れ合うことなく歩けなかったような柳ケ瀬通りが、人もまばらに静まり返っている。
往年を知る者にとっては泣きたくなるような光景だ。「あ~あ~あ~柳ヶ瀬の~、夜に泣いている~」は美川憲一の歌だが、いま、柳ヶ瀬は夜も昼も泣いている。
そんな柳ヶ瀬にどうして出かけたかというと、飲食店時代の常連の顧客で若い友人から、岐阜は柳ケ瀬のレストランで行われた琉球民謡 大城節子さんのライヴ・コンサートに誘われたからである。
大城さんのコンサートは昨年に引き続き2回目で、昨年のコンサートでは左腕骨折のため、いいところで拍手ができず、代わりにテーブルを叩いたものである。
彼女の歌声は高音が抜けるようにきれいで、それに三線はもちろん、琉球笛や二胡が加わった演奏は、同じ日本列島でありながらどこかエスニックな叙情を表現している。
レとラを除いたド・ミ・ファ・ソ・シ・ドの5音で構成される音階いわゆる琉球音階は、それ自身が強烈に自己主張をして、ときに、それぞれの音曲の差異を曖昧にさせるが、よく聴いているとそれぞれの差異がわかるようになる。
そして、この琉球音階、実は琉球列島全てに相当するものではなく、南西部の石垣などには一律に相当しないことも今回のライヴではじめて知った。
ライヴの行われたレストランは数十人の座席がほぼ満席状態、大城さんが岐阜在住時代(現在は名古屋で、****の店主)の知己や、沖縄県人会の有志などで埋まっていた。
お昼のライヴとあって、一流シェフの昼食セットが1,200円(三種のうちからチョイス・ドリンク付き)とチャージ1,000円とリーゾナブル。
聞けば大城さん、19歳の折に沖縄のコザ(あの嘉手納基地があるところです)から岐阜にでてきて、初期の音楽活動として、岐阜バッハ合唱団(私の2回ほど聴いたことがある)で歌っていたこともあるという。
https://www.youtube.com/watch?v=3HgIbw6JL_M
ノリの良い曲、スローバラードなど悲喜こもごもの何曲かが披露されて〆はやはり「ハイサイおじさん」。前回もそうだったがこの曲はウィン・フィルのニューイヤーコンサートでの「ラデツキー行進曲」といったところか。
この曲、割りと新しいもので、1976年の喜納昌吉のデビュー曲である。歌詞は、ませた少年と近所のおじさんのとぼけた会話だが、その背後には、23万の県民が死亡したとされるあの沖縄戦の後遺症ともいえる悲惨な体験が埋め込まれているともいわれる。
そういわれて聴くと、とぼけた味の中にどこかやはり哀愁感が漂っている。
ただし、コンサートの終わりではひたすら明るく高揚感が溢れるままに歌われる。そしてこの瞬間を待っていたかのように、沖縄県人会の人たちや、かねてより琉球民謡に馴染んでいた人たちが席を立って踊り始める。
会場全体に、琉球の海、サンゴ礁、巨大な基地群、そこで怯まず生きている南国の人たちの息吹きが充満する瞬間だ。
コンサートを終えて外へ出ると、春の日差しが煌めいていた。
やはり寂しい柳ヶ瀬を離れて、JR岐阜駅まで歩く。
そして、岐阜駅北口 杜の架け橋および信長ゆめ広場で開催されていた「岐阜の地酒に乾杯」という催しに参加。
この催しは年一回、「岐阜県の酒蔵の酒」が集められ、それを岐阜の人気飲食店の料理と共に楽しむというイベント。
https://sites.google.com/view/gifunojizake2017/
午前から行われているこの催し、一人3,000円でおちょこ一つとコイン9枚をくれる。このコインを持って各ブースを回り、気に入った地酒をおちょこに注いでもらうという仕掛け。一杯あたりコイン一枚が普通だが、特別なお酒だとコイン二枚、三枚というのもある。
私たちは食後だったし、四時半の終了時間まで幾ばくもない頃だったので、二人で3,000円ということで、おちょこ二つと、コインを四枚ずつもって飲み始める。
しかしだ、呑兵衛の私たちには結局4枚のコイン=おちょこ4杯で済むはずもなく、結局はさらに追加コインを買う羽目となった。
ちなみに私の飲んだのは以下の銘柄(順不同)。
日本泉 恵那山 元文 初緑 天領 山車 〆で 三千盛
あとで出品酒蔵を見て、あれも飲んでおけばよかったという酒蔵もあったが、なにせ下調べも不足し、どの酒蔵がどのへんに出店しているかもわからず、おまけに終了時間(4時30分)も迫っているととあって、手近なところで手当たり次第となってしまったということ。
どこが旨かったかですか?それぞれ個性があってよかったが、吟醸系など割合味や風味の強いものを飲んだせいで、ありきたりだが最後の三千盛がやはり端麗で美味しかった。
ただし、これを最初に飲んだらやや物足りないと感じたかもしれない。
なお、朝一で来て閉幕まで粘っていた日本酒オタクのあんちゃんと知り合い、いろいろなうんちくを聞かせてもらったが、さほど深くはないが、よく知っている。ちなみに彼は、20杯以上飲んでいるといっていたが、ちゃんと酔い醒まし用の水などを用意し、適当にインターバルを置いて飲んでいたのは流石だと思った。
さほど酔うこともなく、駅構内の食料品スーパーで、3日分の食材を買って帰宅。
天候がよく、洗濯物がよく乾いていて気持ちよかった。