百田尚樹が、「中国文化は日本人に合わぬ。漢文の授業廃止を」などといっているというので見に行ったら、ほんとうに「真面目に」そう主張している。
しかし、その根拠はまったくでたらめだ。ようするに彼の嫌韓・嫌中の思想のバイアスがかかった日中文化論で、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の範疇を越えるものではない。
現代人が、漢文の教育を受けることによって「中国への憧れ」をもっているという指摘そのものが裏付けのない憶測にすぎない、というかまったくちがうと思う。現代の日本人は、彼が心配するほど漢文の素養などはないし、それを介して中国に憧憬をもつ者などはほとんどいないだろう。そんな人がいたらお目にかかりたいものだ。
むしろ、漢文の素養をエリート意識としてもっていたのは、百田が好きな幕末の志士から明治維新後の知識階級、そして戦前のイデオローグたちが圧倒的に多いのだ。
そして、それが示す歴史的事実は、にもかかわらずこれら戦前のイデオローグたちは中国への憧憬などもたなかったし、彼らのもつ漢文の素養は、彼らのリーダーシップによって、大日本帝国が中国大陸を侵略し蹂躙するのになんの妨げにならなかったということなのだ。
ようするに、現代人よりも遥かに漢文の素養のある人々によって中国への侵略、中国の国土の一部占領は実行されたのだ。
この百田の思考能力の出鱈目さはどこか痛々しいものがある。
さらに、これはネットでも指摘されているが、百田が稼いでいる文筆の場で日本語表記のために使われている文字は、漢字はもとより、ひらがなやカタカナも、すべて中国の文字をなぞったものである。
文字のみならず、表面的には日本語に見えることばのうちで、かなりのものが中国語の転用である。例えば、「うめ」や「うま」などがそれだ。
だから百田が、自分の主張を実践しようとするなら、その著作を漢字、ひらがな、カタカナを使用しないで書かなければならない。更には、日本語に根強く混在している中国伝来のことばをことごとく除外して書かねばならない。
いってみれば、百田の言いがかりは、フランス語や、イタリア語、スペイン語を使う人々に、ラテン語由来のものを使ってはならないというようなものなのである。
バカなことを言ってるなぁと思って新聞の書籍の広告を見ていたら、百田のお仲間のケント・ギルバートの新著が、『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』というらしい。
ここにもまた、大陸の文化を否定しようといういう極めて浅薄にしてかつ政治的な見解が披露されているとみてまちがいない。
ようするに、中韓がケント・ギルバートや一部の日本人にとって否定の対象とされるのは彼らが儒教に支配されているから(ほんとうだろうか?)で、日本人は決してその真似をしてはいけないと親切に諭しているようなのだ。
これが、先にみた百田の見解とほぼ平行線であることは見やすいいところであろう。
この二人のように浅はかなレベルではなく、日本文化の独自性の根源を突き止めようとして苦闘した思想家を私たちは知っている。
それは何十年にわたって『古事記』の解読を試み、『万葉集』などの吟味を通じて「やまと」を差異化しようとした本居宣長の苦闘である。
前者の『古事記』は稗田阿礼が中国伝来の漢字を用いて日本語表記を試みた記念すべきテキストであるし、後者の『万葉集』はそうした試みに加えて、漢字を崩し加工し、日本語標記に適した文字を(いわゆる万葉仮名)産み出してきた、やはり記念すべきテキストである。
これらの研究を通じて宣長は、表層的には中国伝来の文化の中にあるこの国の独自性を見出してゆくのだが、それは一般に「もののあわれ」を介し、「漢意(からごころ)」とは異なる「古意(いにしえごころ)」の発見といわれたりする。
しかし、この過程を見てもわかるように、宣長のそれは、百田やギルバートのような単細胞的な「あれか、これか」の選択による思いつきではなく、大陸伝来の文化を介した、あるいはその古層に埋もれた独自性の再発見なのであった。
したがって、宣長が導き出した結論は、「もののあわれ」に示されるような「めめしさ」の称揚であり、それに対する「ををしさ」を反価値と断じるものであった。
それは、吉川幸次郎をして「武断を少なくともたてまえの価値とする武士支配の時代にあって、宣長が〈めめしさ〉の価値を大胆に主張したのことに対して、私は大きな敬意を表する」といわしめたものであった。
百田やギルバートが逆に「ををしさ」を叫び、具体的にはこの国の軍備の増強や、それを背景にした強硬路線=積極的「平和?」主義の推進者であることを考えるとき、そこにある「やまと」のイメージは宣長のそれとはまったく意を異にするというべきだろう。
ここには、宣長と百田やケント・ギルバートとの方法における決定的な相違がある。宣長は中国文化との同一性と差異とを丁寧に腑分けするなかで、その相対性の相貌のうちで「やまと」の文化の特色を捉えたのであるが、百田やギルバートには相対という思考回路はない。絶対的な善、絶対的な悪とが単純に存在し、一方の絶対的な悪を言い立てることによって、他方の、ようするに「ニッポン」の絶対的な善が浮かび上がると思っている。
だから、その論拠は論証も何もない思いつきの言いがかりのようなもので、それを聞いてる私たち自身が恥ずかしくなるほどのお粗末さだ。
結果として彼らやそのお仲間の野蛮な国粋主義者たちが、この国を著しく汚し、野卑なものにしていることを世界の心ある人たちは知っている。
百田といい、ギルバートといい、あんな浅薄な連中が大きな顔をしてくだらない論議を撒き散らすことができるのは、それが現今の政権が依拠する狭隘な愛国心と響き合っているが故であることはいうまでもない。
あんな連中が跋扈する偏向した現状をどこかで断ち切らねばならない。
しかし、その根拠はまったくでたらめだ。ようするに彼の嫌韓・嫌中の思想のバイアスがかかった日中文化論で、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の範疇を越えるものではない。
現代人が、漢文の教育を受けることによって「中国への憧れ」をもっているという指摘そのものが裏付けのない憶測にすぎない、というかまったくちがうと思う。現代の日本人は、彼が心配するほど漢文の素養などはないし、それを介して中国に憧憬をもつ者などはほとんどいないだろう。そんな人がいたらお目にかかりたいものだ。
むしろ、漢文の素養をエリート意識としてもっていたのは、百田が好きな幕末の志士から明治維新後の知識階級、そして戦前のイデオローグたちが圧倒的に多いのだ。
そして、それが示す歴史的事実は、にもかかわらずこれら戦前のイデオローグたちは中国への憧憬などもたなかったし、彼らのもつ漢文の素養は、彼らのリーダーシップによって、大日本帝国が中国大陸を侵略し蹂躙するのになんの妨げにならなかったということなのだ。
ようするに、現代人よりも遥かに漢文の素養のある人々によって中国への侵略、中国の国土の一部占領は実行されたのだ。
この百田の思考能力の出鱈目さはどこか痛々しいものがある。
さらに、これはネットでも指摘されているが、百田が稼いでいる文筆の場で日本語表記のために使われている文字は、漢字はもとより、ひらがなやカタカナも、すべて中国の文字をなぞったものである。
文字のみならず、表面的には日本語に見えることばのうちで、かなりのものが中国語の転用である。例えば、「うめ」や「うま」などがそれだ。
だから百田が、自分の主張を実践しようとするなら、その著作を漢字、ひらがな、カタカナを使用しないで書かなければならない。更には、日本語に根強く混在している中国伝来のことばをことごとく除外して書かねばならない。
いってみれば、百田の言いがかりは、フランス語や、イタリア語、スペイン語を使う人々に、ラテン語由来のものを使ってはならないというようなものなのである。
バカなことを言ってるなぁと思って新聞の書籍の広告を見ていたら、百田のお仲間のケント・ギルバートの新著が、『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』というらしい。
ここにもまた、大陸の文化を否定しようといういう極めて浅薄にしてかつ政治的な見解が披露されているとみてまちがいない。
ようするに、中韓がケント・ギルバートや一部の日本人にとって否定の対象とされるのは彼らが儒教に支配されているから(ほんとうだろうか?)で、日本人は決してその真似をしてはいけないと親切に諭しているようなのだ。
これが、先にみた百田の見解とほぼ平行線であることは見やすいいところであろう。
この二人のように浅はかなレベルではなく、日本文化の独自性の根源を突き止めようとして苦闘した思想家を私たちは知っている。
それは何十年にわたって『古事記』の解読を試み、『万葉集』などの吟味を通じて「やまと」を差異化しようとした本居宣長の苦闘である。
前者の『古事記』は稗田阿礼が中国伝来の漢字を用いて日本語表記を試みた記念すべきテキストであるし、後者の『万葉集』はそうした試みに加えて、漢字を崩し加工し、日本語標記に適した文字を(いわゆる万葉仮名)産み出してきた、やはり記念すべきテキストである。
これらの研究を通じて宣長は、表層的には中国伝来の文化の中にあるこの国の独自性を見出してゆくのだが、それは一般に「もののあわれ」を介し、「漢意(からごころ)」とは異なる「古意(いにしえごころ)」の発見といわれたりする。
しかし、この過程を見てもわかるように、宣長のそれは、百田やギルバートのような単細胞的な「あれか、これか」の選択による思いつきではなく、大陸伝来の文化を介した、あるいはその古層に埋もれた独自性の再発見なのであった。
したがって、宣長が導き出した結論は、「もののあわれ」に示されるような「めめしさ」の称揚であり、それに対する「ををしさ」を反価値と断じるものであった。
それは、吉川幸次郎をして「武断を少なくともたてまえの価値とする武士支配の時代にあって、宣長が〈めめしさ〉の価値を大胆に主張したのことに対して、私は大きな敬意を表する」といわしめたものであった。
百田やギルバートが逆に「ををしさ」を叫び、具体的にはこの国の軍備の増強や、それを背景にした強硬路線=積極的「平和?」主義の推進者であることを考えるとき、そこにある「やまと」のイメージは宣長のそれとはまったく意を異にするというべきだろう。
ここには、宣長と百田やケント・ギルバートとの方法における決定的な相違がある。宣長は中国文化との同一性と差異とを丁寧に腑分けするなかで、その相対性の相貌のうちで「やまと」の文化の特色を捉えたのであるが、百田やギルバートには相対という思考回路はない。絶対的な善、絶対的な悪とが単純に存在し、一方の絶対的な悪を言い立てることによって、他方の、ようするに「ニッポン」の絶対的な善が浮かび上がると思っている。
だから、その論拠は論証も何もない思いつきの言いがかりのようなもので、それを聞いてる私たち自身が恥ずかしくなるほどのお粗末さだ。
結果として彼らやそのお仲間の野蛮な国粋主義者たちが、この国を著しく汚し、野卑なものにしていることを世界の心ある人たちは知っている。
百田といい、ギルバートといい、あんな浅薄な連中が大きな顔をしてくだらない論議を撒き散らすことができるのは、それが現今の政権が依拠する狭隘な愛国心と響き合っているが故であることはいうまでもない。
あんな連中が跋扈する偏向した現状をどこかで断ち切らねばならない。